2005年5月22日

グロジャ・アルセンヌ氏の仮放免と在留特別許可を求める署名願い

日本基督教団経堂緑岡教会 牧師 松本敏之

 2004年8月、一人の女性が経堂緑岡教会を訪れ、こう尋ねました。「教会は誰が来てもいいのですか。外国人でもいいのですか。」私は「もちろんです」と答えました。グロジャ・ジャル・アルセンヌ(GRODYA NJALU ARSENE)氏は、その頃、この女性、すなわち笹井小夜子さんの家にホームステイしていました。笹井さんの家の3階の窓から見える経堂緑岡教会の十字架を見ながら、「サヨコ、一緒にあの教会へ行こう」と誘っていたのでした。その直後、グロジャ氏が突然、収監拘束されたことにより、この二人の願いは未だ実現していません。

 グロジャ氏は、祖国コンゴ民主共和国における部族間抗争と、同族内抗争という二重の危機の中を、奇跡的に生き延びてきましたが、その悲惨な現実は、私たちの想像を絶する凄まじいものです。
 彼は、2003年9月16日に観光ビザで日本へ入国した後、同年10月9日に難民申請しましたが、2004年4月7日、難民認定が否認されました。通知書の別紙には、次のように記されていました。「あなたは、『人権』を理由とした迫害を受ける恐れがあると申し立てています。しかしながら、@レンドゥ族とヘマ族内の集団は、難民条約上の迫害の主体であるとは認められないこと、A外務省地域情報等関係資料によれば、あなたの出生地ブニアにおいてはMONUC国連ミッションが、あなたの居住地キンシャサにおいてはコンゴ民主共和国軍及び国連軍が治安維持にあたっていることから、あなたが政府当局から保護を受けられないとは認められないこと、等からすると、申し立てを裏付けるに足る十分な証拠があるとは認め難く、難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。」

 しかし日本政府がどんなに、「それは難民条約に当てはまらない」と言おうとも、「国連軍やコンゴ軍があなたを守ってくれるはずだ」と言おうとも、グロジャ氏が何度も毒殺、死の恐喝、拷問、暗殺の危機にさらされてきたことは事実ですし、一族は以下の家系図に明らかなように、ほとんど全員が虐殺されているのです。だからこそ、彼は日本を「平和の国」と信じてやってきて、保護を求めているのです。
 日本はいわゆる「先進国」の中で、難民受入数が極端に少ない国です。(2003年におけるG7構成国における難民認定者数は次の通り。アメリカ合衆国 24036名、イギリス 19711名、カナダ 17682名、フランス 13167名、ドイツ 3136名、イタリア 625名、日本 10名。)ちなみに、日本におけるアフリカからの難民認定者は、これまでひとりもいません。

 グロジャ氏は熱心なクリスチャンであり、日本へ来てからも熱心に東京バプテスト教会へ通っていました。そして2004年4月に「東京イースターのつどい」で、やはりクリスチャンの前田力さんと出会いました。前田さんは、グロジャ氏の笑顔と優しさに「ほれ込み」、自分が経営する会社に彼を招き、その会社で彼は笹井小夜子さんと出会うことになるのです。彼が来ると、会社のみんなが不思議に「癒された」そうです。グロジャ氏が住むところに困った時、笹井さんは家族に相談の上、彼を自分の家の3階に住むように、と招きました。グロジャ氏のホームステイは、笹井さん一家の大きな喜びとなりました。突然の収監拘束により、一家も大きなショックを受けましたが、笹井さんは毎日のように彼と面会をし、結婚にいたりました。二人で教会に通う夢は中断していますが、笹井さんはグロジャ氏を生かしているキリスト教をもっと深く知りたいと願って、一人で熱心に教会に通い、洗礼を受けられました。

 グロジャ氏は難民申請が否認された後、すぐに異議申出をしましたが、それも「理由がない」と却下され、2004年10月26日に退去強制令書が発付されました。現在は、東京地方裁判所に対し、退去強制令書発付処分等取消請求訴訟と難民不認定処分等取消請求訴訟を提起し、係属中です。同時に、日本人との婚姻を理由とする再審情願についても準備中です。どうかグロジャ氏が仮放免され、さらに在留特別許可を受けて、日本で安定した生活ができますよう、署名にご協力ください。