主を賛美するために人は創造された

詩編102章19〜29節
マルコ福音書15章16〜20節、33〜39節
2003年1月26日
経堂緑岡教会   牧師  松本 敏之


(1)「血しおしたたる」

 今日は、バロックギターおよびリュート奏者である竹内太郎さんをお招きし、ヨハン・アントン・ロジーのアリア、カプリースとコラールという曲を演奏していただきました。この曲の終わりのコラールは、この後歌います「血しおしたたる」という讃美歌(『讃美歌21』311)に基づいております。これはH・L・ハスラーという人の作曲ですが、むしろJ・S・バッハの「マタイ受難曲」の中に何度も出て来るコラールとして有名です。
 実は、この曲はもともとは「わが心は千々に乱れ」という当時のポピュラーソングであったそうです(1601年)が、この美しい旋律にパウロ・ゲルハルトという作家が讃美歌歌詞をつけたのです(1656年)。

血しおしたたる 主のみかしら
とげにさされし 主のみかしら
悩みと恥に やつれし主の
痛ましきさま だれのためぞ

(2)十字架上のキリスト

 イエス・キリストの受難物語には、イエス・キリストが侮辱される様が克明に記されております。イエス・キリストはピラトの裁判で死刑の判決を受けた後、兵士たちに取り囲まれて侮辱されます。王のしるしである紫のマントを着せられて、茨の冠を編んでかぶらされました。そして「ユダヤ人の王、万歳」と言って、みんなが敬礼します。もちろん全部おふざけです。誰も本気でそう信じている訳ではありません。ここでイエス・キリストはなされるがまま、口も開かなければ、手も出さない。これを読む私たちの方がもどかしく思います。全く神の子らしくありません。
 そして十字架につけられます。十字架の上でも侮辱されるままです。そこを通りがかった人がののしりました。

「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて救ってみろ」(マルコ15章30節)

 祭司長や律法学者たちも共々に、こう言いました。

「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」(31〜32節)

 しかしイエス・キリストは降りてこられません。
 午前9時に十字架にかけられて、昼の12時を通り越し、午後3時になりました。その時イエス・キリストは十字架の上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(34節)と叫ばれます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。誰かが、スポンジに酸いぶどう酒を染み込ませて、棒の先につけて飲ませようといたしました。別の人が「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いました。誰も助けには来ませんでした。イエス・キリストは大声を出して、ついに息を引き取られました。

(3)百人隊長の告白

 これがマルコ福音書の伝えるイエス・キリストの最期の姿であります。全く神の子らしくありません。しかしそこで不思議なことが起こりました。

「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」(39節)。

 これは変な話です。百人隊長というのは、ローマの軍隊の小隊長です。このあたりの小隊を統括していた人物でありましょう。だとすれば、イエス・キリストをもてあそんだのも、恐らくは彼の部下であったのでしょう。彼はその時、「あれだけの人間を騒がせた男だ。このまま終わるはずはない」と、横でそれを観察していたのかも知れません。「もしかすると、この男は十字架から降りてくるかも知れない」と、ひそかに期待していたのかも知れません。エリヤか誰かが助けにくるのを待っていたかも知れません。しかし、そのようなこともなく、ただ絶望的な叫びをあげて、死んでいかれました。
 ところがその姿、その一部始終を見ていたこの百人隊長の中で何らかの変化が起きたのです。この人は、ユダヤ人からすれば、異邦人です。イスラエルの信仰の外にいた人物です。聖書の知識も何も持ち合わせていません。その人が、全く神の子とは対極にあるように見えるみじめな姿の中に、逆に「本当の神の子」の姿を見いだしたのでした。きっとそれだけインパクトのある姿であったのでしょう。彼はその姿を見ながら、思わず、イエス・キリストを賛美する言葉を口にしました。
 もしかすると、この百人隊長は、そこで死んでいった男の死が、自分の罪と無関係ではないことを、とっさに悟ったのかも知れません。「自分は何も手をくだしたわけではない。自分は職務としてここにいただけだ。いやな任務ではあるが、軍人であるから仕方がない。」しかしそれではすまされない何かを感じたのではないでしょうか。
 「血しおしたたる」の第2節は、このように歌います。

主の苦しみは わがためなり
われこそ罪に 死すべきなり
かかるわが身に 代わりましし
主のあわれみは いととうとし

(4)信仰と芸術

 考えてみると、キリスト教の芸術というものは、そのようにして芸術家の魂を揺り動かしながら生まれてきたのではないかと思います。ヨーロッパの芸術の歴史、ことに音楽の歴史というものは、キリスト教抜きにして語ることはできません。もしもキリスト教が存在しなかったら、私たちの芸術というものは、もっともっと貧しいものではなかったかと想像します。当然、バッハの「マタイ受難曲」も生まれませんでした。
 ただ今申し上げましたように、この「血しおしたたる」という讃美歌は、恋の歌でありました。しかしそれがパウル・ゲルハルトの心を動かして主を賛美する歌に変わり、300年を超えて、教会で歌い継がれることになったのです。

(5)主を賛美するために

 先ほどの詩編の中にこういう言葉がありました。

「後の世代のために
このことは書き記されなければならない。
『主を賛美するために民は創造された』」
(詩編102編19節)。

 この詩編を最初から読んでみると、この人は決して幸せな状況にいたのではないことがわかります。

「わたしの生涯は煙となって消え去る。
骨は炉のように焼ける。
打ちひしがれた心は、草のように乾く。
わたしはパンを食べることすら忘れた」(4〜5節)。
「敵は絶えることなくわたしを辱め
嘲る者はわたしによって誓う。
わたしはパンに代えて灰を食べ
飲み物には涙を混ぜた」
(9〜10節)。

 しかしそのような状況の中で、この詩人は心を絞り出すようにして、主をほめたたえるようになるのです。そして「主を賛美するために民は創造された」という、すばらしい証しの言葉を残しました。
 私はイエス・キリストが十字架におかかりになったのも、まさに私たちが主を賛美することができるようになるために他ならない、と思います。主を呪いたくなるような状況にある人々の苦しみを引き受け、ご自分も同じところに立って、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と共に叫ばれる。同時に私たちの罪をも引き受け、その罪のために十字架で死に、それをあがなってくださった。その方をあの百人隊長と共に見上げ、「本当に、この人は神の子であった」と、主を賛美する者となりましょう。