曙の光のように

ホセア書6章1〜3節
コリントの信徒への手紙一15章1〜11節
2003年4月20日(イースター礼拝)
経堂緑岡教会   牧師  松本 敏之


(1)復活は理解しがたい

 イースター、おめでとうございます。
 コリントの信徒への手紙第15章は、使徒パウロが復活について述べたところです。復活について語るということは、ある意味で非常に難しいことです。降誕や十字架について語るよりも難しい。降誕についても十字架についても、確かにそれが一体どういう意味を持つのかということを語るのは同じように難しいことでありますが、出来事そのものは私たちの頭でも理解できることでしょう。それは生まれるということであり、死ぬということだからです。誕生と死。それは、私たちの誰もが経験することです。ここにいるすべての人は、みんな赤ちゃんとして生まれてきたわけですし、ここにいるすべての人は、私も含めて、やがていつか死んでいきます。これには一人の例外もありません。他のことについては、この世の中には不平等に思えることがたくさんあります。しかし生まれて死ぬということは、形こそさまざまですが、100%平等にすべての人が経験することです。すべての人が経験することを、神の子であるイエス・キリストも経験してくださったということなのです。
 しかしながら復活というと、そう簡単にはいきません。意味だけではなく、出来事そのものが理解しがたい。現象そのものが受け入れられない。誕生や死というような自然現象ではないのです。
 使徒パウロは、伝道旅行していた時にアテネの町に立ち寄りました。この町の人は非常に好奇心が強く、教育程度も高かったようです。彼らはパウロの話も熱心に聞きました。興味本位の人もあったでしょうが、何か自分の生き方に益があるかも知れないと思って聞いた人もあるでしょう。ところが復活の話をすると、みんな去ってしまいました。パウロはアテネの広場アレオパゴスの真ん中で長い説教をし、次のように結びました。

「『神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。』死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それでパウロはその場を立ち去った」(使徒17:31〜32)。

 復活について語ることは、そのように難しい面があります。愚かなことのように思えます。復活を信じるというのは、信じない人からすれば、あざ笑われるようなことです。この当時でもそうであったとすれば、科学の進歩した現代ではなおさらのことでありましょう。「聖書はなかなかいいことを言っている」という人はたくさんありますが、復活のことになると話が変わってきます。アテネの人々同様、「あれはいただけない」ということになるのです。しかしながら教会というところは、そのようにイエス・キリストという方が死人の中から復活したということ、さらにそれに続いて私たちも死人の中から復活させられるのだということを本気で信じ、2000年間そのことを大真面目に宣べ伝えてきた、ちょっと不思議な集団なのです。

(2)リレーのバトンのように

 最初に申し上げましたように、このコリントの信徒への手紙一の第15章において、パウロは「死者の復活」について詳細に論じていますが、最初の1〜11節の部分において、まず「キリストの復活」について述べるのです。
 私はその中でもとりわけ3節以下の言葉に注目したいと思います。

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、十二人に現れたことです」(3〜4節)。

 この「現れた」というのが8節まで続くのですが、一応、ここまでにします。この短い言葉の中に、キリスト教の神髄に触れることが、少なくとも三つ語られております。
 第一は、「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」という言葉です。パウロが伝えようとしている福音は、パウロがひらめいて考えだしたものではありませんでした。あるいは直接啓示を受けて、彼が始めたことでもありませんでした。この後でパウロ自身が、復活のイエス・キリストが直接自分にも現れてくださったと述べますが、それは内容的に言えば、すでに人から聞いていたことでありました。彼は、ちょうどリレーのバトンのように、この「最も大切なこと」を人から受け、それを他の人に伝えたのです。私は、これはとても大切なことであると思います。
 そしてその「最も大切なこと」は、その後も代々の教会を通して、今日にいたるまで伝え続けられました。
 私たちは来週、経堂緑岡教会創立73周年記念礼拝をもとうとしておりますが、実は、本日、4月20日が本当の創立記念日であります。1930年4月20日、この年も4月20日がイースターでありました。イースターが4月下旬になるというのは、10年に一度もないでしょうが、この1930年も珍しく随分遅い方であったのですね。この経堂の一角の借家で、木原外七牧師の説教を中心に、最初の礼拝が行われました。恐らくこの日も、代々の教会によって語り伝えられてきた「最も大切なこと」が語られたことでしょう。そして私たちは、その日以来、この73年の間、その「最も大切なこと」を語り伝えながら、経堂緑岡教会を形成してきたのです。

(3)最も大切なこと

 この箇所から心に留めたい第二のことは、その「最も大切なこと」の内容であります。それは「すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。ここに「最も大切なこと」、まさにキリスト教の本質にかかわることが、凝縮されて四つの動詞で記されています。一つ目は「キリストがわたしたちの罪のために死んだこと」、二つ目は「葬られたこと」、三つ目は「復活したこと」、四つ目は「弟子たちに現れたこと」です。
 少し話が余談になりますが、ここに出てくるケファというのは、シモン・ペトロのことです。ペトロというのは、ギリシャ語で「岩」という意味で、イエス・キリストによって付けられた名前ですが、ケファというのは「岩」という意味のアラム語です。つまりイエス・キリストやシモン・ペトロが実際に使っていたのはアラム語ですが、新約聖書はギリシャ語で書かれています。そこにちょっとしたずれがあるのです。イエス・キリストが、シモンに向かって、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる」と言われましたが、もしかすると、実際には、アラム語で「あなたはケファ。わたしはこの岩の上に教会を建てる」と言われたのかも知れません。
 さて、この四つの動詞、「死んだ」「葬られた」「復活した」「現れた」というのは、よく見ると二つずつセットになっています。つまり「死んだ」「葬られた」というのがセットで、「復活した」「現れた」というのがセットです。そしてそれぞれの最初の方、「私たちの罪のために死んだ」というのと、「復活した」というのが中心です。それに続く「葬られた」というのと「現れた」というのは、その前の事柄を確認する言葉になっています。つまり、「葬られた」とわざわざ書くことによって、イエス・キリストは本当に死んだのだということを強調して、確認しようとしているのです。それと同じように「現れた」と書くことによって、本当に復活したのだということを強調して、確認しようとしているのです。実によく整った表現であると思います。

(4)聖書に書いてあるとおり

 さてこの箇所で大事な三つ目のことは、「聖書に書いてあるとおり」という言葉です。ここに記された四つの動詞のうち、「わたしたちの罪のために死んだ」という言葉と、「復活した」という言葉の前に、それぞれ「聖書に書いてあるとおり」と書いてあります。ここで言う「聖書」というのは、いわゆる旧約聖書のことです。新約聖書はまだ編纂されていませんし、そのほとんどはまだ書かれていませんでした。この手紙自体が書かれている途中であることを示しています。パウロは、イエス・キリストの受難と復活は、すでに旧約聖書の中に預言されていたということを言おうとしているのです。
 それが一体旧約聖書のどこに書いてあるのかを特定するのは難しいですし、いや旧約聖書が全体として、それを預言しているということもできるでしょう。しかしあえて言うならば、受難については有名なイザヤ書53章の「苦難の僕」などを挙げることができるでしょう。ただし今日はもうイースターなので、それは引用いたしません。興味のある方は、どうぞ後でご覧ください。それでは、復活についてはどこで預言されているのか。しばしばキリストの復活を預言した言葉として引用されるのが、先ほど読んでいただいたホセア書6章2節の言葉です。

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし、
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし、
三日目に、立ち上がらせてくださる」。

 主の裁きと、それでも新たに生かすという約束が、ここに語られています。まずイエス・キリストをそのように立ち上がらせ、そしてそれに続いて私たちも同じように復活させ、立ち上がらせてくださるのだと言えるでしょう。イエス・キリストの受難と復活は、突然ふって沸いたような出来事であったのではなく、前々から神様によって準備され、計画され、その成就として起こったのだということを、「聖書に書いてあるとおり」という言葉で言おうとしているのです。
 さらにそれが起こった後は、イエス・キリストは次々と弟子たちの前にその姿を現されて、復活を証明された。最初にケファ、次に十二弟子、次に500人以上の人々、それからヤコブ、すべての使徒たち、そして最後にパウロ自身にも現れてくださった。そのようにパウロは証言するのです。そしてその後も、代々のクリスチャンたちが、この「最も大事なこと」をリレーのバトンのように語り伝えてきたのです。
 そのように見てみますと、イエス・キリストの受難と復活は、歴史の前と後ろから支えられている。旧約聖書の時代から、そしてその後は今日にいたるまで、それを証ししていると言えるでしょう。主イエスの十字架と復活はそのように歴史の中心的出来事でありました。

(5)復活は証を通して伝わる

 パウロは、そのようにして復活のキリストが次々にいろんな人に現れ、最後には自分は月足らずで生まれたような自分にも現れてくださった、と言います。「月足らずで生まれたようなもの」というのは、「未熟児で生まれたような自分」という意味です。これは未熟児で生まれた人がいかにも不完全な人間であるかのような誤解を招きやすい表現であり、あまりよくないと思います。いずれにしろパウロは、自分は不完全なもので、使徒の中でも最も値打ちのない者ということを言いたいのです。パウロは彼自身が書いていますように、最初はクリスチャンたちを迫害していた人間ですから、そのように書いたのかも知れません。もしかすると、他の使徒たちからそのように揶揄されていたのかも知れません。
 しかしパウロはそのように謙遜した言葉から、突然「そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりもずっと多く働きました」と言います。今度は何だか自慢しているように聞こえかねない言葉ですが、そうではありません。それはその次を読めばわかります。「しかし働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」(10節)。つまり、自分は、この復活のキリストによってこのように変えられた、キリストの復活の出来事が、今の自分の根底にあるのだと言おうとしているのです。これもとても大切なことであると思います。
 最初に復活について語るのは非常に難しいと申し上げました。復活の出来事を伝えるということは、究極のところはこのことにかかっているのではないか、あるいはこれしかないのではないかと思うのです。つまり復活というのは、何か科学的真理のようには伝えることができない事柄なのです。ということは、復活というのは、それを知った人間がいかにそれを証ししているか、それがその人にとってどういう力になったのかということを通してしか伝わらないのではないかと思うのです。
 パウロは、復活というのは実は旧約の時代から預言されていたことであり、さらにこんなにもたくさんの証言者がいると語りながら、最後には、自分自身がこのキリストの復活によっていかに変えられたかということを語るのです。私たちは、教会においてキリストの復活を聖書の真理として語るわけですが、本当にそれが伝わるかどうかは、私たちがそれによって本当に生かされているかどうかにかかっているのではないでしょうか。

(6)私たちの思いを超えた神の恵み

 先ほどホセア書6章2節までを読みましたが、3節にこのように記されています。

「我々は主を知ろう。
主を知ることを追い求めよう。
主は曙の光のように必ず現れ、
降り注ぐ雨のように
大地を潤す春雨のように、
我々を訪れてくださる。」

 美しい言葉です。今日は雨模様のイースターになりました。教会学校では野外の早天礼拝を準備していましたが、それをすることができませんでした。昨日から心配して何度も天気予報を見たりいたしましたが、天候が私たちの思いを超えたところにあるということを実感させられました。「(主は)大地を潤す春雨のように我々を訪れてくださる」などという聖書のテキストを選びましたので、雨になってしまったのかなあ、などと考えました。
 天候のことをそのように心配しながら、神様の恵みというのも、それと似ていると思いました。天候は、必ずしも晴れて欲しいと思う時に晴れるとは限りませんし、雨が降って欲しいと思う時に雨になるとは限りません。しかしどちらも必要なのですね。「曙の光」のように輝く太陽も必要ですし、「大地を潤す春雨」も必要なのです。神様の恵みもそうです。それは思いがけない喜びとして来る場合もあるし、試練のようにして来ることもある。私たちの思いを超えているのです。しかしその時その時に私たちに本当に必要なものを与えてくださるのです。そのような恵みを私たちも、そして私たちの教会も一身に受けていることを覚えて、共にイースターをお祝いいたしましょう。