愛の決断

イザヤ書55章1〜3節
ヨハネの手紙一4章7〜12節
2003年11月30日 待降節第一主日礼拝
        大宮チヱ子先生(元阿佐ヶ谷教会牧師)


 今日から待降節、アドベントが始まりました。神様からの最大の贈り物、最もすばらしいプレゼントである、真の救い主を、心からの喜びをもってお迎えするために準備をする時です。この期間は「紫の季節」とも言われ、真実の悔い改めと瞑想の時として、御言葉に導かれて祈る生活をすすめられています。
 更に、教会暦の新しい1年の初めの日でもあります。「水と霊とによって」「新たに生まれ」(ヨハネ3章)、主イエスが、一人一人の心の真中に新たに誕生してくださるように期待し、祈りつつ待降節の日々をすごしたいものです。
 イザヤ書55章は、40章から始まる第二イザヤの預言の最後の章です。彼は無名ですが、解放の希望と真の慰めを語ったすぐれれた預言者です。ここでは、銀を払うことなく、価なしに、命の源である水を飲み、穀物を食するようにと告げ、しかも「皆来るがよい」と、すべての人に呼びかけています。また、主を呼び求め、主に立ち返って「魂に命を得よ」と招いています。神は、その「真実の慈しみ」のゆえに、「とこしえの契約」、永遠にかわることのない、救いの約束をしてくださると告げています。この神の恵みが、すべての人に価なしに与えられたのが、クリスマスの出来事です。
 主イエスは、すべての人が、「魂に命を得る」ために、すべての人が神の命と力を頂き、喜びと感謝をもって共に生きるために、この世界に来られました。神は、限りなく深い愛の故に、御子をお与えくださいました。私達が「一人も滅びないで、永遠の命を得」(ヨハネ3章16節)、かわらない祝福にあずか与るために、神は驚くべき、途方もないことをしてくださいました。その独り子、かけがえのない、最も大切な方をお与えくださいました。このことによって神の愛が明らかにされました(ヨハネの手紙一、4章9〜10節)。神がこの世を、私達一人一人を、いかに深く愛し、心にかけていてくださるかを知らされます。
 この手紙の著者は、独り子を世にお遣わしになった神の愛に感動し、感謝して、心をゆり動かされ、心を熱くして、繰り返し神の絶大な愛、深く大きい愛を語っています。ここには、神の強い御決意と御意志、神が何を選ばれ、何を決断されたかが明らかにされています。神は人間の滅びではなく、救いを望まれ、選ばれました。しかも、そのために独り子をお与えくださいました。神に逆らい、悪を行う者、神の愛を理解せず、受けいれず、神を崇めることができない、反逆の民にです。
 神は、愛故に、愛に基づく決断をされました。御子の誕生、クリスマスは、このような、神の愛の決断が実行され、明らかにされた出来事です。ハレルヤ詩篇の一つ、113編には、天を超えて輝く神が「低く下って」、御自身の身をかがめ、投げ捨てて、弱い者、乏しい者を顧みてくださると歌われています。御子を人間として、しかも、いと小さく弱いみどり子としてこの世に送ってくださり、人間と等しくなってくださった、神のへりくだりの姿を思わされます。
 ヨハネの手紙は、私達に、神の愛を受け、知ったものとして、「互いに愛し合いましょう」と、神の愛に応える道を示し、すすめています。世界の情勢は瞬時に伝わる時代でありながら、人間同士の距離は遠く、個人的、国家的に自己中心的であるように思われます。居場所がない、居心地が悪い、自分を理解し受け入れてくれる人がいないという嘆きがあります。孤立や孤独の悲しみ、病いや死の闇があります。しかし、神は、このような闇のただ中に、望みがない、光がないと思われる現実、罪深く愛に乏しい人間の所へ、今年も来てくださいます。
 私達も、平和と愛の世界を造るために、かけがえのない大切なもの、時間や財や賜物を隣人のためにも差し出す「愛の決断」をする生活をしたいものです(ヨハネ15章13節)。


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