虹を見上げて

創世記9章12〜17節
ローマの信徒への手紙 5章1〜5節a
2005年6月26日
東神戸教会牧師  川上盾先生


 今日は、僕が現在住んでいる街、神戸からのメッセージを語ると共に、メッセージの中で歌を3曲歌わせていただきたいと思います。

 今年、2005年は神戸にとってある意味でひとつの大切な節目に当たる年と言えます。兵庫県南部大地震(阪神淡路大震災)から今年でまる10周年が経過しました。地震を体験した人にとっては、「もう二度と立ち上がることはできないのではないか」と思えるぐらいの衝撃的な出来事でした。震災で亡くなった人の数は、6,432人。その中には514人の子どもたち(18歳以下)が含まれています。一瞬の出来事によって大切な家族を失ったご家族にとって、どんなにか辛い日々だったかと思います。

 その神戸で、復興に向けての日々を歩む中で繰り返し歌われてきた歌があります。神戸市長田区は、震災後の火災で多くの被害が出た地域です。その長田で生まれた歌、今でも震災に関するイベントなどで歌われる歌、震災で生まれた代表的な鎮魂歌です。

 地震がおこったあの日の夜、そのあまりの悲惨な状況を前に、人々はただただうつむいて涙を流すしかありませんでした。「神も仏もないわ...」そんなつぶやきが人々の口にのぼったそうです。それも仕方ないことでしょう。それほどひどい体験、この世の地獄を見たような、夢も希望も消え失せるような体験を多くの人がしたのです。

 ところが、みんなが悲しみに暮れていたその夜、けれども空にはそれはそれは美しい満月が輝いていたそうなんです。多くの人がうつむいて、下を向いて過ごしていた。しかしその時に、天を見上げた人がいたのです。そしてその美しい風景を歌にしたんです。「大変な状況の中で、なにをのん気な・・・」と思いますか?でも「天を見上げる」ということ、それは人の祈りにも通じる行為なのではないか、と思うのです。
 どんなに辛い状況の中でも、天を見上げ、祈りをささげることができる人は、明日に希望を託すことができるのだと思います。そんな思いの中から作られた歌、神戸では今も多くの人々によって歌い継がれている歌、「満月の夕べ」という歌です。  どんなに辛い状況の中でも、天を見上げ、祈りをささげることができる人は、明日に希望を託すことができるのだと思います。そんな思いの中から作られた歌、神戸では今も多くの人々によって歌い継がれている歌、「満月の夕べ」という歌です。

  「満月の夕べ」
(歌詞は略)
作詞・作曲 中川 敬(ソウルフラワー・ユニオン)& 山口 洋(ヒートウェーブ)

 僕が神戸の教会の牧師になったのは、1997年、震災後2年たった時期でした。当時はもう瓦礫はほとんど見られず、電車や道路もかなりの部分が復興していました。
 ただ、街のあちこちに空き地があり、そこに花が飾られている光景はよく目にしたものです。それから8年が経過し、空き地にも次々に家が建てられていきました。神戸は海と山に囲まれた美しい街です。「この街で本当にあんなにひどい地震があったんだろうか...」と感じるくらい、街の外見は復興してきていると思います。
 しかし、人の心の中は、そんなに簡単に「復興」できるものではありません。家族や家を失った人たちだけでなく、あの地震を体験したことによって心に大きな傷を受けてしまった人もいます。そういった人たちにとって何よりも辛いことは何だろうか。

 自分自身はその辛い気持ちを忘れることができないのに、周りの人・震災を体験しなかった人はどんどんそのことを忘れていってしまう、そのギャップが何よりも辛いのではないでしょうか。今年の1月15日、僕は神戸を離れたある街でコンサートを頼まれて出かけてきました。コンサートが終わって、打ち上げのときに主催者のひとりが「いつ帰られますか?」と聞かれるので、「明日(16日)には帰ろうと思います。あさっては1月17日ですから。」と答えると、「え?1月17日って、何かありましたっけ?」と言われるんです。その人は決して悪い人ではありません。どちらかと言えば良心的な人です。「1月17日は震災の日です」と言うと、「あっ!そうでしたね!ごめんなさい!」と恐縮しておられました。でも、人の意識ってそんなもんなんやな、と思いました。神戸の人で「1月17日って何の日やったっけ?」という人はまずいません。
でも、どんなに良心的な人でも、神戸以外の人にとってはもう「過去の話、昔の、忘れかけてる出来事」になってしまってるんですね。こんなギャップを感じると、震災を体験していない僕ですら、ちょっと悲しくなります。ましてや体験した人は、どう思うでしょう。でも逆に、神戸の人も、世界のあちこちで起こっている悲しみの出来事には、同じようなことをしてしまっているのだろうと思います。
 そんな神戸の街で、僕は牧師をしながら歌を歌っています。神戸に来た翌年、ゴスペルのクワイア(聖歌隊)を作りました。今も活動を続けている「神戸マス・クワイア」というグループです。「ゴスペル」は昔アメリカで奴隷として働かされていた黒人たちが、辛い状況の中でも希望を失わないように祈りを込めて歌った歌から始まった音楽です。そんな「希望の歌」ゴスペルを、神戸の街で歌うものとして、自分たちの状況から生まれたオリジナルの歌を歌いたい。そんな思いから作った歌があります。世界中の人が忘れても、神さまだけは忘れない。そんなメッセージを伴った歌です。

  「いまこの街に希望を」

船の汽笛がはるかに響き   山すそをわたるそよ風
海と山に囲まれた      美しいこの街
まるであの日がなかったような  姿に戻りつつあるけど
あの日何かが確かに変わり    あの日何かが始まった

  人の記憶は   薄れゆけども 
  主よあなたは忘れない  あの日別れた人のこと

(くりかえし)
いまこの街に希望を    信じる心と勇気を
そして永遠に続く愛を   与えてください
きょうもこの街に光を   新しく生きるいのちを
そしてあしたへと続く道を 与えてください

あれから何年たっただろう? 
もう忘れてもいいことがある
でも忘れてはいけないこともある
歌を歌って 楽しんで 忘れる
もう一度 思い出す
そしてそれをくりかえす

人の記憶は   薄れゆけども
主よあなたは忘れない  この街に生きる人のこと

(くりかえし)

 今年の1月17日、震災からまる10周年にあたる震災記念の日は、朝からどしゃぶりの雨でした。神戸の中心地・三宮の公園で、毎年地震の起こった時間に行なわれる追悼行事にも、人々は傘をさし、寒さに震えながら参加しておられました。
 ところがその後雨はやみ、厚く覆われた雲も次第に晴れてゆき、そして陽の光が差し込んできました。そうして午前9時過ぎ、神戸の北西・六甲山のふもとに現れた光景を、今でも忘れることができません。くっきりと、端から端まで見渡せるような見事な虹がかかったのです。それはそれは美しい、見事な虹でした。僕はその瞬間、心の中があったかいものに満たされて、感激のあまりに思わず叫んでいました。
 「何ちゅうことや!10年目の、よりによってこの1月17日に、虹がかかるとは!」。それはまるで、10年を経過してこれからさらに復興の道を歩もうとしている神戸の人々に対する、神さまからの祝福のしるしのように感じられました。

 旧約聖書の創世記には、有名なノアの箱舟の物語があります。昔々、人間があまりにも悪さを働くので、神さまが洪水を起こしてこれを滅ぼそうとされた。しかし、信仰深いノアとその家族だけは助けようとされ、ノアに箱舟を作るよう命じられた。
 ノアは神さまの言われた通りに従い、洪水の被害を受けずに助かることができた。
 めでたし、めでたし…。そういうお話しです。正直言って僕の心の中には、「悪い人間には罰を与えて滅ぼしてしまえ!」、そういう神さまって「何だかイヤやなー」という思いがあって、複雑な思いでこの物語を読んできました。
 でもこのお話しの最後に、洪水の水が引いて箱舟から降りてきたノアに向かって、神さまが言われた言葉があります。「もう二度とこのような洪水で人や大地を懲らしめることはしない」。神はそのように言われて、ノアを祝福された。そしてその祝福のしるしとして、空に大きな虹がかかった、と聖書に書いてあるんです。僕はこの箇所がとても好きです。

 虹を見ると、私たちの心は躍ります。理屈ぬきにその美しさ、そして自然の営みの素晴らしさに心奪われます。虹を見て、心が弾まない人はいないでしょう。昔の人は、そのような虹の中に、神さまの祝福を感じたのではないかなー、と思うんです。そして「洪水や地震、生きてるといろんな辛いことも確かにあるけど、それでも神さまの不思議な導きを信じて生きていこう」そんな思いを、虹を見ながら抱いていったのではないかと思うんです。
 もちろん、虹を見たからといって、辛いことのすべてが消えてなくなるわけではありません。これからも、再び辛い雨の降る日もあるだろうし、苦しみ・悲しみの現実も訪れるでしょう。それでも「虹を見上げた時の感激」を忘れない限り、私たちは「いつかまた晴れる日がやってくるんだ!」と信じることができると思うんです。「虹の約束」を信じる限り、私たちの心は明日の希望に向かって開かれていくに違いない。そんな風に僕は信じています。

 イエス・キリストは、「何を食べようか何を飲もうかと自分の命のことで思いわずらうな、何を着ようかと身体のことで思い悩むな」と語られました。そして、空の鳥、野の花を指さして、「働きもせず紬ぎもしないあの鳥や草花を、それでも神さまはちゃんと養っていて下さるではないか。あなたがたも同じように、神さまに守られ、養われているんだよ」と語りかけられました。イエスがこのように語りかけられた相手は、多くが貧しい人、しんどい日常を抱えていた人たち、思いわずらわずには生きられないような人たちでした。
 でもそんな人々に向かってイエスは「それでも今日一日、私たちを生かして下さる神さまに感謝して生きていこう」と呼びかけられるのです。空の鳥、野の花を見たからといって、現実の何かが変わるわけではありません。空腹が満たされるワケでもなければ、問題が解決されるワケでもない。目に見える状況は何にも変わらないんです。

 でも私たちの心は変わる。そして心が変わるならば、そこに生きる希望が沸いてきます。神さまの不思議な導きを信じる心が、私たちを希望に向けて押し出してくれるのです。
 パウロは、そのような、キリストを信じる信仰によって与えられる希望について、とても力強い言葉を記しています。「わたしたちは苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。そしてその希望は、わたしたちを欺くことがありません。」

 ひょっとすると、わたしたちにもこれから先、心ふさぐような、辛い時の訪れることがあるかも知れません。でもわたしたちには「虹の約束」が与えられている。そのことを信じたいと思うんです。そしてそんな時にも、いやそんな時だからこそ、天を見上げて、美しい月を見つめて、そして虹を見上げて、希望を捨てずに生きていくものでありたいと願っています。

  「虹の約束」

虹の約束 苦しみの後に
与えられる天からの 祝福
どんなときも 新しい 物語がはじまる

虹の約束 悔しさの後に
与えられるやりなおしの チャンス
あきらめずに 新しい 物語をはじめよう

  つらい雨もいつかは降りやみ
  あふれる陽の光に照らされ
  空に浮かぶ 七色の架け橋が
  僕らを 未来に 運ぶよ

虹の約束 不思議なみちびき
信じるこころが ぼくらを支える
明日を信じ 空を見上げ 物語をつむごう
〔ミニ・コンサート 演奏曲目〕
Amazing Grace 作詞/John Newton 曲/Virginia Harmony
Nobody Knows Traditional(黒人霊歌)
Moon goes down Traditional(黒人ブルース)
死ぬ日まで天をあおぎ 原詩/尹東柱 編詩・作曲/川上 盾
ヌチドゥタカラ 作詞/菅澤邦明 作曲/川上 盾
今を生きるいのち 作詞/菅澤邦明 作曲/川上 盾
だから今日希望がある   作詞/Federico Pagura   作曲/Homero Perera

HOMEへ戻る