恵みの豊かさにあずかる

詩編107編1〜9節
ホセア書6章1〜6節
コリントの信徒への手紙U 5章14節〜6章2節
マタイによる福音書9章9〜13節
2005年7月17日
        北 村 宗 次 先 生(元神戸栄光教会牧師)


(1)はじめに

 今朝は、この経堂緑岡教会のみなさま、松本牧師、一色牧師をはじめ教会員の会友の方々と共に主の日の礼拝をささげることを許されております。このことは教会の主にいますイエス・キリストの赦しと導きの下にあることと信じ、感謝しております。
 10年余り前の1995年1月17日夜明け前に起こりました阪神淡路大震災の時、当時私が牧会の責任を持っておりました神戸栄光教会のレンガ造りの建物も全壊いたしました。そのとき教団の三役でもいらした、一色義子先生がいち早くお見舞いに来てくださったことを今も感謝のうちによく覚えております。また震災の翌年、まだ神戸の街も教会も混乱期にある中、薦められまして、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれました第17回世界メソジスト大会に私も妻と共に出席することになったのです。松本敏之先生は当時ブラジルに宣教師として派遣されておられる中、一時帰国の機を得て、神戸に私たちを訪ねてくださり、初めて訪れるブラジルとそこの教会のことなどいろいろ教えてくださいました。また大会の期間中も何かとお世話くださり、世界各地からの出席者に被災教会のことをアピールする機会も得させて頂きました。大変有り難く思っております。
 さてこの度は、この礼拝に始まり、今日の午後から明日にかけて修養会が開かれます。この礼拝の説教をはじめ、讃美を主題として、私がお話をさせていただき、皆様とともにその恵みの豊かさを分かち合い、その豊かな恵みそのものに、共に与ることのできることを重ね重ね感謝しています。そして先ずこのように、共に集まって、礼拝をささげるということは、私たちにとって何よりも大切な時であることを、先ず覚えさせられます。ことに今日の主日のための主要日課、使徒パウロによるコリントの信徒への手紙二には「今や恵みの時、今こそ救いの日」という極めて印象深い言葉があるのを、先ほどの朗読で共に聞きました。それはまさに、このようにして礼拝を共にささげている今の時にこそ実感を持って受けとめ、まさに恵みの時であり、救いの日であるということができるのではないでしょうか。そこから神に対して讃美をささげることが、心から湧き出てくるのです。

(2)教会の礼拝を考える

 先ほど共に歌いました讃美歌2番は、「聖なる御神はわれらの集いに、今共にいます」と歌い出しておりました。この讃美歌の歌詞は、東中野教会で50年牧会の責任をもたれました、由木康牧師によるものです。由木牧師は、パスカルの『瞑想録』(パンセ)を初めて邦訳、紹介され、またわが国の礼拝学の先駆者、さらにわが国の讃美歌作者を代表する方であります。原作は「聖なる御神はこの殿にいます、ああ尊きかな」でしたが、『讃美歌21』では改訂委員会の改訳になっています。いずれにせよ、この讃美歌は、神を礼拝するこの場に、神が今共にいます、ということを実感することこそ、「今が恵みの時であり、救いの日」である、ということを基調に歌っています。
 私が神学校を卒業し、教会の牧会に携わるようになり、最初は甲子園教会の伝道師として2年、そのあと新しくできたばかりの宝塚教会に10年勤めたのでありますが、そのころその地区=阪神地区での研修会でのことです。十数人の小グループに分かれて、語り合う中で、ある教会の一人の信徒の方が、突然、次のようなことを言われたのです。「日曜日ごとの礼拝に出席しているのだけれども、その一時間の礼拝を終えた時に充実感が余り感じられない。むしろ空しさを感じることさえある。それをどうしたらいいだろうか。」と。そして「教会の礼拝に出席するよりも、禅寺にいって30分ほどでも座禅を組んだあとのほうが、もっとすがすがしさや充実感を感じる」と訴えられたのです。この方の言葉に私はそれ以来、ずっと考えさせられてきたのです。私たちのささげている主の日の礼拝は、出席する人たちに、何の感動も与えることができないのだろうか、と思い続けてきました。このような経験も含めて、私はそれまでも課題としておりました、教会の礼拝のこと、そこに含まれる聖書朗読や、説教、祈り、讃美、あるいは献金、そして洗礼、聖餐などはもとより、教会生活における礼拝について考え続けてきました。

(3)ツーリズム

 そのようにしている中で、1975年に、世界教会協議会(WCC)の一部門による協議会が、イギリスのウィンザー城で開かれ、日本からぜひ誰かに来てほしいということで、私が遣わされることになりました。その協議会の主題は、「ツーリズム」というものでした。ツーリズムとは、この場合、旅行、旅、あるいは旅する人一般の意味です。世界教会協議会のようなところが、なぜこのことを問題にして協議会をしようとしたのか、というと、戦後間もなくして、ヨーロッパ各地に日本人の旅行者が非常に増えてきた頃のことです。殊に、ヨーロッパの教会に沢山の日本人が訪れてきていた、という状況がありました。日本人からすれば、単なる観光としてのツーリストであったのでしょう。そして、それぞれの現地の言葉で観光案内がなされるのですが、その中でも、比較的よく判る方といわれる英語でも、日本人観光客では3パーセントの人しか理解していないということも調査済みでした。さらに、ヨーロッパの人たちには理解できないほど、日本ではキリスト者の数が極めて少なく、カトリックとプロテスタントを合わせても1パーセントにもなっていないということも知られていました。このことに対してヨーロッパの諸教会では、当惑と共に問題を感じていたのです。更に教会で結婚式をしてほしいという日本人のカップルが現れた場合、どのように対処すべきか、まじめに問題にし始めていたことから出た課題でした。
 なぜ日本人は教会堂に入っても、礼拝や祈りに参加しようとしないのだろうか。礼拝で讃美が歌われていても無関心か、ただ聞いているだけで、意見を聞くと「きれいですね」ということしか言わない。私たち日本人、また殊に日本のキリスト者にはよく判ることです。日本では普通、神社仏閣に参るということは、個人的な礼拝、あるいは瞑想、黙想をすること、あるいはよくても賽銭をあげるようなことが多いというのも知っております。そのような日本人の信仰、あるいは宗教についての受け止め方、考え方はそれなりの意義もあるでしょう。また、何よりも私たち日本人の特性になっていることは認めなければならない、そういうことは私どもは知っていたはずです。ところがヨーロッパの教会の人たちには理解できないことでした。そこで私が参加して、日本での考え方など、その特性を紹介し、対処の仕方などを話し合ったのでした。

(4)「今や恵みの時、今こそ救いの日」

  私たちが礼拝をささげていることが、「今や恵みの時、今こそ救いの日」という実感と感謝をもって、受けとめることができるのは、今日の日課の最初から記されていることを味わう時、一つ一つうなずけるものになるでしょう。それは礼拝を共にしている現実と結び付けてこそ、そこに示されている言葉が実感をもって聞き取れるように、響いてくるということでもあります。5章14節で、「なぜならキリストの愛が、わたしたちを駆り立てているからです。私たちはこう考えます」というふうに書き出されています。続く16節では、「それで私たちは今後誰をも、肉に従って知ろうとはしません。」あるいは17節「だから、キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造されたものなのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」。そして6章に入りまして、「私たちはまた、神の協力者としてあなた方に勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」。それに続いて2節で、「なぜなら、恵みの時にわたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた、そう語っておられるではないか」と進められてきます。 
 そして「今は恵みの時、今こそ救いの日」と使徒パウロは宣言するように告げているのです。「恵みの時」というのは、ギリシャ語を見ますと、「受け入れられる」という意味の語です。このコリントの信徒への手紙Uでも、8章12節に「神に受け入れられるのです」という言葉がありますが、これは同じ語です。新約聖書ではこのほか何箇所かに、同じ言葉が、「神に喜ばれる」と訳されていたり、あるいは「歓迎される」ともなっている、みな同じ語です。「救いの日」というのは、文字通り、「神、あるいは主キリストの愛に基づく救いを受ける日」ということです。新しい讃美歌の一つ『讃美歌21』542番に、こういう歌詞があります。「主が受け入れてくださるから、われら互いに受け入れ合おう」という歌い出しです。まさにそのようなことが今、この礼拝において感じられるならば、「今や恵みの時、救いの日」ということになるのではないでしょうか。

(5)主イエスが声をかけられるところに

 ところで、その実例の証しとなるような出来事が、福音書に記されております。今日の福音書日課は、説教に入る時に朗読し、共に聞いたのでありますが、マタイによる福音書9章9節以下、「マタイを弟子にする」というところです。そこでは、徴税人マタイが収税所に座っているのを、主イエスが見かけられ、「私に従いなさい」と声をかけてくださっています。徴税人のように地域社会から阻害されがちな人たちに声を掛け、召し出して下さる方としての主イエスの姿が見られます。その様子を見ていたファリサイ派の人々が非難するのに対して、主イエスは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』」。このように今日の旧約の日課でもある預言者ホセアの言葉を引き合いに出しながら、主が徴税人や罪人を受け入れてくださる方、恵みをもたらす方であることを証ししています。主イエスが声をかけてくださるところに、恵みの時が始まり、救いが見えてくるのです。
 さらには、今日の福音書の少し後には、主を求めつつも、近寄りがたい思いを持っている人々のあることが証しされています。同じマタイの9章18節以下を見ますと、18〜26節に「指導者の娘とイエスの服に触れる女」と小見出しのついている証しの物語があります。そこには、いわば目に入れても痛くないほどかわいがっていた「私の娘が今死にました」と訴えつつ、主イエスに「来て、手を置いてやってください」と切実な求めをする指導者がいます。するとそこに、12年間も出血が続いて苦しみ、助けを求めている女性が、主イエスを取り巻き、群がる人々の間を縫うようにして近づいて、「主の服の房に触れた」という出来事も起こったのです。この証しの物語にはマルコとルカに平行記事があり、そこでは主イエスが「自分の内から力が出て行ったことに気づいて」おられたという注釈があります。ご自身を十字架の死に至らしめるようにされた愛が注がれている、ということです。
 自らは主イエスに対する期待をもちつつ、なすすべを見出し得なかった徴税人マタイも、あるいは娘を失おうとしていた指導者の切実な求めにも、あるいは群衆の隙間から手を伸ばして、主イエスの服の房に望みをかけるような求めをする女性に対しても、神の愛のゆえに、ご自身から力を注ぎだして、受け入れてくださる方がおられる。これらの人々の、それぞれの主イエスに対する近づき方があるというその姿こそ、私たちの教会の礼拝に集まる人々の姿を示しているのではないでしょうか。それぞれに一様でない人々の集まり、しかし全ての人が主イエスに対する求めの心を抱いている。その全ての人のそれぞれの求めに応じて、「私に従ってきなさい」「娘よ、元気になりなさい」、あるいは、愛するものの死の現実に対しても、「タリタ・クム」(少女よ、起きなさい)と声を掛けてくださる主がそこにおられるのです。そこに「今は恵みの時、今こそ救いの日」が現実となってくるのです。礼拝に集まっている私たちのために、ご自身のうちから力が出て行ったのを感じられた主がそこにおられる。その主の愛のゆえに、今、主に受け入れられ、その恵みと救いに与っているのではないでしょうか。

(6)一緒に礼拝を守りたい

 10年前の阪神淡路大震災で、レンガ造りの会堂が全壊、そこに入ることもできない状態になった時ことのです。何から手を付けるべきか。なすべきことが沢山あったのですが、一番の問題は、それからの礼拝の場をどこにするか、ということでした。次の日曜日が近づく中、教会関係者に何の連絡もとれないままでした。幸いすぐ近くにパルモア学院という、教会と創立者を同じくする英語学校があり、そこは、その震災の2年ほど前に建物を建て替えたばかりで、震災でも壊れずに残っておりました。電気も通じない、暖房も効かない状態でしたが、そこの講堂をお借りすることができました。200人ほど入る講堂でしたが、そこでの震災後、最初の礼拝には、何の連絡もできなかったにもかかわらず、壊れた教会堂には小さな張り紙をして、「今朝の礼拝はパルモア学院の6階の講堂です」とだけ書いておきました。その日は67人集まりました。殆どの人は歩いて、それに自転車の人が少し。何の連絡も出来なくても、教会に来ている人たちは、主日の朝には礼拝に集まろう、一つ所に集まろうとしておられたことが、強く感じられました。その次の日曜日には、出席者が増えました。そして週ごとにさらに出席者が増え、2月に入ると200人を超えるようになり、200人収容の講堂にこれからは一緒に集まれないから、礼拝を2回に分けることにしようか、という話も出ました。
 しかし皆の考えは、やっぱり一つの礼拝を守りたい、一緒に集まって礼拝をささげたい、という声が強くなってきたのです。そのうちに、会堂跡地の瓦礫が片付けられ、更地になったのを見て、そこにテントを設営してでもよいから、一緒に礼拝をささげたい、ということになったのです。再建の目処も全く立たない状態ではありましたが、ともかく大きなテントを張ることにして、その年の復活祭の日は4月16日でしたが、震災から丁度三ヶ月目のその日にテントでの礼拝が始まったのです。そのテントは350人以上入るものでしたが、満席でした。けれども、そこに集まって復活祭の礼拝を守った時の私たち皆の感動は、何とも言葉にも言い表せないものでした。そのテントが何年もつのか、業者も保障はしてくれませんでした。1年もつのか、3年か、・・実際には8年もったことになるのですが、そのテントでの礼拝で、わたしも初めの6年間責任を持って70才過ぎて行こうとした時に、辞任させていただき、若い牧師にバトンタッチをしたのです。私たちが一緒に集まって礼拝をささげることがどんなにすばらしいかということを、平生はそれほど感じないかもしれませんが、わたしたちはあの震災3ヵ月後の復活祭に始まるテントでの礼拝で、それを実感したのを忘れることができません。(その後、会堂再建は昨年秋に実現しました。)

(7)神の喜ばれるもの

 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、癒し
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださる。
我々は御前に生きる。
我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように、必ず現れ降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、我々を訪れてくださる。」

と預言するホセアが、続く6章6節で、「私が喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くすささげものではない。」と告げています。主イエスはこのホセアの言葉を引用しながら、それが「どういう意味か行って学びなさい。」と言われます。この厳しい勧めの言葉は、私自身にとっては50年に渡って教会に仕える勤めについてきた中で、あの10年前の思いがけない震災後の、あの復活祭のテントの礼拝で、初めて目が開かれたような思いをしたということを、今皆さんに証しさせていただいております。
 そして、「いけにえではない」とホセアは言いますが、ただ、私たちがささげるものがあるとするならば、それは讃美のいけにえだけである、ということを聖書から学ぶことができます。これは今日の午後の話につながっていくことでありますが、ヘブライ人への手紙の最後のところ13章15節で、「唇の実、讃美のいけにえ、それをささげようではないか」という言葉を私たちは聴くことができます。それは、主御自身が「一度だけ」(Once-for-all=一度だけで完成した十字架の死による救いの成就のため)ささげられたことによって、その主ご自身の恵みの豊かさに与るのが、共に集まってささげる礼拝なのです。収税所に座っていたマタイに呼びかけ、「私に従ってきなさい」と告げられ、主イエスを取り巻く群衆のため、近づくことのできない主の服の房にでも触れるならば、と求め、近づく女性が癒されるためには、「ご自身の中から力が出ていくのを感じられた」ということが、ほんとに礼拝において実感させられるのです。そして、私たちは、パウロが言いますように、新しい創造、新しい被造物として讃美しつつ、この礼拝から、新しい週の歩みへと遣わされていくのであります。神の御名と主の救いの御業を讃美しつつ。

 お祈りをいたしましょう。
 教会の主にいます、恵み深い主イエス・キリストの父なる神さま。今日も週の初めの日の朝、こうして私たちはひとつところに集められ、礼拝をささげる時を与えられ、感謝いたします。あなたが、私たちのために、救い主イエス・キリストを送ってくださり、主が私たちの罪のために死を遂げられました。しかし、その主を復活させてくださった、神の愛の大きさは、他の何にもたとえようのないほど大きな命の輝きであり、私たちに新しく生きる希望を与え、平安を与えてくださるものであることを、深く思わされるものであります。この礼拝において旧約の預言者の言葉を通し、新約の使徒の教えを聞き、また主ご自身の福音の言葉を聞きながら、あなたがそれぞれに、「私に従ってきなさい」、「元気を出しなさい」、ひとりひとりにふさわしい語りかけをしていてくださることを聞くことができ、感謝をいたします。どうか、この「恵みの時、救いの日」である礼拝の恵みに与ることのできました私たち、また新しい命の息吹を受けて、これからの歩みへと進んでいくことができますように。今日の礼拝を心から感謝しつつ、この感謝と祈りを主イエス・キリストの御名によって御前におささげいたします。 アーメン。


HOMEへ戻る