敵を愛する?

イザヤ書53章1〜5節
マタイによる福音書5章43〜48節
2006年6月25日 経堂緑岡教会青年月間特別礼拝
代々木上原教会  牧師  村上 伸


 今日は「青年月間特別礼拝」ということで、主として若い方々に向けて語りたい。
人は誰でも、青年期に人生の激動を経験する。肉体の成長に伴って精神的にも不安定になる時期であり、家庭や学校で「保護されて」いた歳月も終わって「親離れ」しなければならない。自立した生活を始める時の不安もある。そして、ほぼ同じ頃に思春期のあらゆる悩みが始まる。性の問題。友情。異性への、あるいは同性への愛。
 18世紀後半のドイツでは、この年頃に心や体で経験する激動は必ずしも悪くはないという考え方が現われ、それは文芸作品にも反映された。"Sturm und Drang"というドイツ語が合言葉のように唱えられた。日本語では普通、「疾風怒濤」と訳されるが、直訳は「嵐と衝動」である。形や程度はそれぞれ違うとしても、基本的にはすべての若者が同じように「嵐と衝動」を経験する。そして、それは、一人の人間にとって、自然で意味のある人生の一段階なのである。
 私の場合は、戦争末期から敗戦、戦後にかけての数年間が「疾風怒濤」の時代であった。そのために、平和な時代におけるよりも激しい形でそれを経験した。中でも、「価値観」が根底からひっくり返ったことが大きい。
 私は14歳の時、当時小・中学校で受けた「愛国心」教育に押し出されるようにして、「国のために命を捧げる」つもりで陸軍の学校に入り、そこではさらに徹底して「愛国心」を叩き込まれた。日本は万世一系の天皇を頂く比類なき「神国」であり、この戦争はアジア諸国の盟主として欧米の帝国主義と戦う「聖戦」である。この「悠久の大義」のために我々は喜んで死ぬのだ。天皇とその国を愛し、米英などの敵はどこまでも憎む。そのためには、自分の命などは、「鴻毛の軽きに」比べられた。
 この戦時中の経験から、今の私は「愛国心」教育などというものに「胡散臭さ」を感じている。政治家たちが躍起になって「愛国心」を叫ぶようになると、それは危険が近づいているという徴候だ。だが、当時14歳の少年だった私は、それを丸ごと信じた。それだけに、日本が無条件降伏した後の数週間に私を襲った虚無感は並みのものではなかった。第一、「正義の戦争だから絶対に負けない」と教えられていたのに、無残にも負けたのだ。精神の支柱は折れてしまった。しかも、そうした危機に教官たちは全く頼りにならなかった。「帝国陸軍」の正体も次々に暴露された。
 私は、何を信じていいのか分らないまま、学校から放り出された。「家に帰れ」というのである。だが、私には帰るべき家がなかった。満州で連隊長であった父は、敗戦の直前に南京に転勤になって単身赴任し、母は私の姉・妹・弟と一緒に満州に残っていた。家族はバラバラになり、私はたった一人で焼け跡の東京で途方に暮れていた。たまたま軍需省に勤めていた親戚のおじさんから、「埼玉県の山奥で仲間たちと共同生活を始めることになったから、お前も来ないか」と誘われ、喜んでそれに乗った。要するに軍需省の倉庫から盗み出してきた雑多な物資を闇で売るという怪しげな「共同生活」だ。私もその片棒を担いだ。まるで山賊みたいな無頼な暮らしだったが、気楽なのが気に入って、私はそこで半年間ブラブラして過ごした。「学校なんか行くものか」と心に決めていた。学校で教えられたことは全部、嘘だったではないか!
 やがて、ここでの暮らしにも行き詰まり、私は母の故郷・弘前に帰った。学校にも行くようになったのだが、「疾風怒濤」の時代はまだ終わってはいなかった。とくに、心の支えが見つからない。戦争中、陸軍の学校で「敵を憎め」と教えられてそれに従っていたが、そのように教えた「国」も「軍隊」も、もう存在しないのだ。私は一体、どのように生きればいいというのか?
 その頃、私が厄介になっていた母の実家に、3歳年長の従兄がいて、よく話をしたが、その彼がある日突然、「汝の敵を愛せよ」という言葉を引用した。心の底からの驚ろきだった。今まで聞いたこともない。何という美しい言葉だろう!
 私は、「誰がそんなことを言ったの?」と訊ねたが、彼もどうやら又聞きらしく、詳しいことは何も知らない。やっと「聖書に書いてあるらしい」ということを突き止めた私は、翌日、新約聖書を買い求め、夢中になってそれを読み始めた。「山上の説教」の中にその言葉を見つけたとき、どんなに感動したことか。
 「『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章44節)。その瞬間から、「敵を憎め」という言葉に代わって、これが私の新しい心の支柱となった。
 幸いなことに両親は何とか命長らえて帰国し、非常に貧しくはあったが家族揃っての生活が始まった。私も学校に復帰して教会にも通うようになり、1947年に洗礼を受け、さらに牧師を志して神学大学に進んだ。
 だが、その頃になって、せっかく新たに心の支えとなった「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という聖句に関して、深刻な疑問を抱くようになったのである。この言葉の真実を疑ったことは一度もない。だが、私は「敵を愛する」どころか、家族さえ本当に愛することができない自分を知らされるようになった。その中で、イエスのこの言葉は畢竟、美しい「理想」ではあっても「現実的」とは言えないのではないか、という疑問が生じたのである。これは、中々解決できなかった。
 しかし、時が満ちたのだろう。やがて私は「あなたがたの天の父の子となるため」という45節の言葉に導かれた。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。これは何を意味するのだろうか?
 この世界では、「悪人」・「正しくない者」と、「善人」・「正しい者」を峻別する二分法的な考え方が一般的である。自分たちは「正義」を所有する「善人」で、向こうは正義に逆らう「悪人」、つまり「敵」である。敵は徹底して憎むべき対象だ。パレスチナその他、世界の各地で起こっている恐ろしい悲劇も、そういう考え方から出て来るのである。残念ながら旧約聖書の多くの箇所も、そう教えている。
 だが、このような「正義」は相対的なものに過ぎない。17世紀フランスの思想家パスカルは、鋭くそのことを指摘した。「川一つで仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である」(由木康訳『パンセ』293)。「こちら側の真理」も「あちら側の誤謬」も、実は大して違わないというのだ。
 だが、イエスは2000年も前に、パスカルよりも遥かに深くこのことを洞察していた。天の父なる神の目から見れば「悪人」も「善人」もない、というのである。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。彼が「敵を愛せよ」と言われたのは、「敵」を前提して上で、敵は憎らしいけれども努力して愛するのが人の道だと、理想論を振り回すためではない。敵・味方の区別そのものが根本的に間違っている、ということではないか。そのことに気づいた時、長く私の心の負担だった「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(48節)という言葉も新しく理解できるようになった。
 「完全な」というのは、元来「テレイオス」というギリシャ語で、これは「目標」(テロス)に達した状態を言い、「成熟した」(エフェソ4章13節)とも訳される。単なる道徳的完全ではない。悪人にも善人にも太陽を昇らせ・雨を降らせる「天の父なる神の子となるために」(45節)、すべての人が小っぽけな区別を超えてお互いを同じ神の子として受け入れる。完全さとは、このような「全体的な見方」のことである。
 敵国を憎んで滅ぼそうとすれば、自国も一緒に滅びるほかはない。核戦争が可能な現代においては、このことは非常に切羽詰まった仕方で認識されるようになった。環境問題を考えても同様である。「自国の利益」だけを優先させる考え方は、今日、事実上もう成り立たなくなっている。「宇宙船地球号」に乗り合わせているすべての民族、すべての国家は「運命共同体」なのだ。
 イエスの言葉は、この真理を明らかにしているのである。私たちは、この真理に従って歩んで行きたい。


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