子どもは大人のパートナー

子どもの人権救済活動の現場から
2003年9月28日(日)
坪井節子 弁護士


(1)傷ついた子どもたち

 私の所属する東京弁護士会では、1985年から子どもの人権救済センターを設けています。その活動を通じ、いじめ、体罰、虐待、少年犯罪、売買春などの只中で傷ついた、想像を絶する子どもの苦しみに触れて、衝撃を受け続けてきました。自分は何をすればいいのか。答えが見つからず、無力感にさいなまれることもしばしばです。

(2)死を選ぶしかなかった少年

 中学3年のA君は、クラスメイトのいじめの標的にされました。毎日続く無視、嫌がらせ、侮辱。自信を失い、心身ともにぼろぼろになり、学校に行けなくなったA君は、死ぬしかないと、自殺の準備を進めました。薬を飲んで意識を失っているA君を、親が発見し、遺書を読み、彼はあやうく命をとりとめました。一か月後、彼は私に次のように話してくれました。
 「死ぬのは何も恐くなかった。死んだら両親が悲しむだろうと思った。でも死んでしまえば両親の悲しみを見ないですむと考えたんだよ。自殺を考えているときに、何より腹がたったのは、死なないで子どもたち、死ぬ勇気があるのなら、いじめに立ち向かえっていうメッセージ。死ぬのに勇気なんかいらない。いじめに立ち向かえないから死ぬんだよ。そのいじめに何もしてくれなかった大人が、何て無責任なことを言うんだ。」
 返す言葉もありませんでした。子どもがひとりでこんな真っ暗闇にいたなんて。でもおろおろしている私に、A君が言ってくれたのです。「子どもの話をこんなに一生懸命聞いてくれる大人がいると思わなかったよ」と。私は救われました。私が生きている意味を、彼が与えてくれたのです。

(3)親に見捨てられた子どもたち

 虐待事件の報道が毎日のように流されます。1991年には1年間に全国の児童相談所に通報される虐待事件は一千件程度に過ぎなかったのですが、10年後には2万4000件を超えました。一年間に60人を超える子どもたちが、虐待のために命を落とし、そのうちの4分の3が、3歳未満の幼い子どもだと言われています。
 これらの数字から虐待事件が増加しているとは簡単には言えません。虐待を見て見ぬふりをする人が減り、勇気をもって通報する人が増えたということもあるからです。しかし、痛ましい事件が跡を絶たないことは現実です。
 私たち弁護士は、は、虐待が疑われており、親元においておくことは命にかかわると児童相談所が判断しているが、親が子どもの保護を拒んでいるというような事案に関わります。家庭裁判所の許可を得て、子どもたちを児童養護施設などに保護できるようにするためです。
 保護したあとでも、子どもたちの心の傷をどうやって癒していくのか、親子の関係を回復させるために、親のケアをどのようにすればいいのかなど、非常に困難な問題が横たわるのです。
 子どもがひとりの人間であって、親の所有物ではないということ、親の思いのまま、心も体も傷つけられてはならないのだということを、多くの親たちに理解してほしいと願います。と同時に子どもを傷つける親たちも、実は深い不幸を背負って生きており、支援を必要としているということを、周囲の多くの人に知ってほしいと思うのです。

(4)児童養護施設の子どもたち

 虐待から救出された子どもたち、親の病気や死亡、貧困などのために親と暮らせない子どもたち約2万8000人が、全国約500箇所の児童養護施設で暮らしています。
 親に育ててもらえないというだけで、子どもの大切な権利を奪われている子どもたちが、施設の中で十分に人間として尊重され、物心両面にわたり十分な条件のもとで育まれているかというと、そうではないのです。中には、どこにも助けを求められない子どもたちに対し、信じられないような虐待を加えている施設もあったことが次第に明るみに出ており、私もいくつかの裁判に関わっています。
 親がいないということで、なぜ差別をされなければいけないの、なぜこんなに苦しまなければならないのという、この子どもたちの悲痛な声を、多くの方に聞いてほしいと願います。

(5)犯罪に陥る子どもたち

 幼いときからひとりの人間として尊重され、愛された子どもが自分や他人を傷つけるでしょうか。少年犯罪の背景には、虐待や過保護、いじめが見え隠れします。
 17歳のC君は、傷害致死事件で逮捕されました。暴走族同士の抗争で、逃げおくれた相手方を集団で襲い、ナイフで死なせてしまった事件でした。私は彼の付添人になりました。
 野球大好き少年が、中学の部活動でいじめられ、退部。勉強は嫌いで、学校に居場所を失い、地元の不良グループへ。先輩の命令に絶対服従の集団で、すさまじいリンチを受けました。無理に暴走族に加入させられ、抗争が起きてナイフを持たされて、ビンタを張られてバイクで追撃。怖かったけれど逃げ帰ることもできずつき進み、事件に関わってしまったのです。
 私は亡くなられた被害者のご両親にお目にかかり、そのあふれる怒りと悲しみの言葉を聞きました。そしてこれをC君に伝えました。聞き終わった彼は号泣しました。
 「時間を戻してください。俺が死にます。何で彼が死んだんだ。俺が死んでれば、彼のご両親はそんなに悲しまないですんだんだ。俺が死んでいれば、俺はこんなに苦しまないですんだ」
 「時間は戻せないよ。あなたが死んでも彼は生き返ってこないんだよ。彼の魂に祈ろうよ。許してください。ごめんなさい。僕の気持ちをご両親に伝えてくださいって」
 そのようなやり取りの後、C君は本当に祈り始めました。少年院からきた彼の手紙に、「僕はどんなに苦しくても、いつか両親の元に帰る日がきます。でも彼は二度と帰れない。ご両親も二度と彼の誕生日を祝えないのです。僕はこのことを一生忘れずに生きていきます」と書いてきました。
 彼の謝罪文を読むことを拒んでこられた被害者のお母様が、始めてこの手紙を読み、涙を流してくださったのとのことでした。
 取り返しが付かない事件が起きても、子どもも被害者も生きていかねばなりません。周囲の人間が見て見ぬふりをしたために、真っ暗闇で一人ぼっちで放っておかれたら、自暴自棄になるしかないかもしれないのです。犯罪に陥った子どものために、また被害者のために、私たちが何をしなければならないのかを、改めて深く考えさせられた事件でした。

(6)子どもは大人のパートナー

 子どもの人権、人間としての尊厳を守る権利とは何かを、子どもたちが教えてくれました。ありのままで生きていていい、生まれてきてよかったのだということ。自分の人生の主人公は自分なのだ、人の暴力や無視、差別、権力やお金等などの奴隷になってはならないのだということ。そして一人ぼっちではない、共に泣き、励ましあえるパートナーがいるのだということ。これらのことが守られないと、子どもは、そしてあらゆる人間は、尊厳を保って生きていけないのだと思います。
 私も3人の子どもの親として、子どもと対等なパートナーとして生きたいと願い、失敗だらけの悪戦苦闘を続けてきました。少しずつですが、子どもたちが自分の道を誇りをもって歩いていく姿を認められるようになり、また自分自身が解放されていくことを感じてきました。またどれほど子どもに教えられ、支えられ、励まされているかを、実感するようになりました。
 大人は子どものパートナーです。と同時に、子どもも大人のパートナーなのですね。