私は、今ブラジルの首都ブラジリアにあるCCM(Centro Cultural Missionario)というカトリックの宣教師訓練機関でポルトガル語の研修をしています。ほとんど日本語が通じる今のサンパウロの環境を離れて、仕事も一時中断し、言葉の習得に集中したいと思ったからです。本来は4ヶ月のコースですが、教会と幼稚園を長く不在にできないので、2回に分けて、今回は前半だけやることにしました。
ここCCMには、これからブラジルで働くカトリックの宣教師たちが世界中からやって来て、まずポルトガル語の訓練を受け、4ヶ月後にそれぞれの働き場へ派遣されていきます。今学期の学生は全部で45人くらいで、合衆国から約10人、ポーランドから5人、他はオランダ、ドイツ、フランス、スイス、イタリア、カナダ、メキシコ、ハイチ、ペルー、コロンビア、インド、フィリピン、日本から1〜2人ずつです。神父が5人、シスターが約15人、神学生が約15人、あとは信徒の宣教師です。こうして見ると、やはりカトリックの国が多いですね。プロテスタントは、私の他にドイツ人のルーテル教会の牧師夫妻と、カナダ人のバプテストの人がいます。
8月1日の開会礼拝では、礼拝堂の真ん中にブラジルの大地を象徴する土や太鼓などが置いてあり、順々にそこに自分の靴を置いていきました。この国に敬意を表し、宣教師としてやって来た決意を新たにするしるしであろうと思います。そして各国ごとに進み出て、自分の国の言葉で主の祈りをしました。その後は楽しい集い。それぞれ自己紹介をして、自分の国の歌を歌いました。私は日本のプロテスタントの新しい讃美歌として、第2編80番「みことばをください」を歌いました。
クラスは大体4〜5人、授業は毎日午前中4時間です。わたしのクラスでは今、最後の1時間に、それぞれの学生が興味のある読み物をもってきて、みんなでそれを陰府、意見を言いあいます。ヨーロッパの言葉を話す人は、これまで全くポルトガル語を勉強していないのに、とにかく何とか読んでしまうからすごいです。単語もかなり想像できるようですね。またこの時は、それぞれの個性や関心事が一番よくあらわれる時でもあります。
ハイチ人のクラスメイト、ガルヅイは「白人によるラテンアメリカの征服(発見)500年」についての記事を持ってきました。今ラテンアメリカでは、1992年(コロンブスが1492年にアメリカにやって来てから500年)をどう見るかが大きな問題となっており、キリスト教会では、これを安易に祝いの時とせず、悔い改めと連帯の時としようというコンセンサス(共通理解)が大体できています。有名な解放の神学者レオナルド・ボフも、昨年これについての小さな本を出版しました。ハイチという国はコロンブスが到着したカリブ海のヒスパニョーラ島の西部にありますが、他のラテンアメリカの国と違って、インディオの子孫もその混血もいません。白人がそれまで住んでいたインディオを皆殺しにしてしまったからです。現在は人種の99%は黒人、すなわちアフリカから連れて来られた奴隷の子孫です。ガルヅイにとって「500年」の問題は、複雑な、しかし非常に大きな意味をもっているのです。(ちなみにブラジルには1492年当時には、数百万人のインディオがいたと言われますが、現在は約22万人にまで減っています、)先のカナダ人のバプテストであるジョイスは、キリスト教教育主事(DCE)ですが、ある神父の作った『見捨てられた子供たち』という歌の歌詞を持ってきました。「この国は幸せだ、道でみんな歌っているから、と人は言う。私たちの国はそれほど悪くない、みんなカーナヴァルをしているじゃないか、と人は言う。でもぼくは一人でも覚えていよう、何百万人の家のない子供たちが、心の中に悲しみをもち、同じヴィジョンを分かちあえないことを。」という言葉で始まります。彼女は研修の後、DCEとしてブラジリアでストリートチルドレンのために働きます。彼女は、「なぜ超現代都市ブラジリアにも、ストリートチルドレンがいるのか」という問いかけをしました。
またもう一人のカナダ人、シスター・テレジーニャは、『アマゾンの水は、月の涙である』というインディオの伝説の読み物をもってきました。「昔々、太陽と月が大恋愛をして一緒になろうとしたとき、アマゾンは干からびそうになってしまったが、トゥッパンという神様がアマゾンのことを心配して二人を引き離した。月は太陽のことが忘れられず、来る日も来る日も泣いて泣いて、その涙がアマゾンの生命の水になった」という話です。アマゾンの環境破壊が大きな問題となっている今日、私たちはインディオたちが自然に対して、いかに感謝と畏敬の念をもっているかを聞かなければならないと思います。テレジーニャは、ブラジル東北部の貧しい地域で働きます。
私はこの研修で多くの友人ができました。特にカトリックの友人ができたことはうれしいことです。私は彼らと共に生活することによって、改めてカトリック信仰のもつ深さに触れています。カトリックについて知らないで、ブラジルの精神性を理解することはできません。ここでは毎日ミサがあり、私もできるだけこれに参加しています。ミサは美しいです。独特の流れとリズムがあります。そこで彼らの信仰は養われているのです。もちろん私たちの理解と彼らの理解には多くの違いがありますが、私はそうした違いを超えて、彼らのいいところをできるだけ多く学びたいと考えています。彼らは国民の大多数がすでにカトリックであるこのブラジルへ、宣教師として一体何をしにやってきたのか。彼らにとって宣教とは何か。それは自分と同じ信仰をもつ人が増えていくことではありません。そんなことはいわばどうでもいいのです。宣教とは、ここも神の国であることが証しされること、この地上のまことの神の支配下にあることが証しされることです。その働きを通して、神の愛が確かに働いていることを告げるために、ここブラジルにやって来ているのです。私は彼らの神の国のヴィジョンに深く共鳴します。過去の伝統よりも、神の国のヴィジョンが私たちを結びつけます。彼らは、共に神の国のために働く同士です。研修の後も彼らと交わりを続けていきたいと思っています。
(松本敏之)
(「ジャカランダのかおり」第5号、1993年11月)