サンパウロ福音教会について

(1)沿革

 サンパウロ福音教会(当初はサンパウロ・キリスト教会)は、1967年1月に宗像基牧師(現、日本基督教団小平学園教会牧師)と十数人の信徒によって始められた教会です。宗像牧師は、1957年に日本基督教団より宣教師としてブラジルに来られ、9年間南米キリスト教会で伝道牧会された後に、この教会を創立されました。その時基本方針とされたことは、「この教会は他の教会と組織的つながりはもたないが、精神的には日本基督教団につながる」ということでした。特に「日本基督教団戦争責任告白」を大切にされ、社会の右傾化に対する批判をもち続けられました。ベトナム戦争反対集会なども何度かもたれたようです。このようなことは、ブラジルが軍事政権下にあったことや、ブラジル日系社会が日本国内よりはるかに保守的であることを思えば、非常に大胆なことであったと思います。

 宗像牧師は家庭の事情により1979年に日本に帰られ、同時に海老沢義道牧師(その後、教団江古田教会牧師、1993年逝去)が2代目として就任されました。海老沢牧師は4年間のお働きでしたが、1950年代にYMCA主事としてサンパウロにおられたので、ポルトガル語もよくでき、教会内にも最初から親しい人たちがいました。礼拝や教会についての学びに力を注ぎ、教会員の交わりも大切にされて、現在の会員の核になる人が育てられました。

 1983年に海老沢牧師がブラジルを去られた後、1990年まで、小笠原勇二牧師が3代目牧師として働かれました。小笠原牧師はもともと移住者としてブラジルに来られ、こちらで献身し、メソジストの神学校を終えて牧師になられた方です。現在はブラジルでTEAMという宣教団体に属し、星野富弘の詩画集の展覧会を催すなど幅広く活躍中です。

 その後1年間楠秀樹牧師が協力牧師としてお手伝いくださり、約半年無牧の期間を経て、1991年10月に私が4代目牧師として赴任し、現在に至っています。(坂下注−1996年3月に松本牧師も辞任し、現在は小井沼國光牧師、小井沼真樹子牧師が働いている)

(2)地域と課題

 サンパウロ福音教会は、1990年にサンパウロ市のパライゾ(楽園の意)地区に引っ越してきました。パライゾ地区は、サンパウロの中心であるセー広場から南に延びるリベルダーデ通りとパウリスタ大通りが合流する地域ですが、ここにサンパウロ福音教会がたてられていることは、この教会の使命を象徴しているようです。

 セー広場からリベルダーデ通りを歩いて5分ほど下ったリベルダーデ地区は、東洋人街と呼ばれ、日本人が中心になってこの街を築いてきました。街に入ると、ちょうちん形の街灯が鈴なりに並び、そのうちに忽然と巨大な赤い鳥居が現れます。日本語書店、日本食料品店、さくらもちや大福を売る和菓子屋、みやげ物屋など日本語の看板がずらりと並び、日本語の図書館、日本語で診察してもらえる病院や日本語日刊新聞3社もこの地域にあります。このリベルダーデ地区と、さらに下ったアクリマソン地区という住宅街には、多くの日本人移住者が住んでいます。

 一方パウリスタ大通りは銀行の本店、近代的なオフィスビルが立ち並び、おしも押されぬブラジル金融経済の中心です。聞くところによると、広いブラジル中のお金の半分以上がこのパウリスタ大通りに集まっているとか。日本から来た駐在員のほとんどが、この通りをはさんだ両側の地区に住んでいます。

 またリベルダーデ通りとパウリスタ大通りはパライゾで合流し、ドミンゴ・デ・モライス通りとなって、さらに南へ延びていますが、この沿線にも多くの日本人移住者が住んでいます。サンパウロ福音教会は、こうした交通の要所パライゾにあって、主に日本人移住者と日本からの駐在員を対象にした伝道・牧会をしています。日本国外で最大の日本語人口を有するブラジル・サンパウロにあって、日本語による伝道・牧会は大きな意味をもっています。サンパウロ福音教会は、他の日系教会に比べて戦後移住者の比率が高いので、今もまだ一世中心ですが、そのせいか雰囲気も日本の教会に似ており、日本から来た駐在員にとっては一番溶け込みやすい教会のようです。移住者と駐在員は生活の基盤や将来の見通しなどいろんな違いがありますが、ちょうどパライゾ地区が象徴しているように、ここで合流し、それぞれの持味を生かして共なる歩みをしています。

(3)現況と将来

 現在会員は約40名、礼拝出席は25名です。礼拝を中心に、祈祷会や聖書研究などの活動を定期的に行っています。ブラジルの経済状態が悪かったので(少しよくなりました)、駐在員の数も大分減り、移住者の中にも日本へ再移住したり、働きに行ったりする人が多く、礼拝出席者も少なくなりました。また一世も年ごとに高齢化していますので、今後どういうヴィジョンをもって教会形成をしていくかを真剣に考えるべき時期を迎えています。他の教会ではすでに中心メンバーが一世から二世,三世へと移行していますが、サンパウロ福音教会は、今ちょうどその過渡期です。これまで通り日本語を中心に活動を続けるならば、二世、三世は教会に根をはることはできません。またポルトガル語中心になってしまうと、教会の存在意義は薄れ、一世は戸惑いを覚え、また駐在員も遠のいてしまうでしょう。どうしても日本語とポルトガル語の二か国語で活動していくことが求められています。それをどのように実現していくかが、現在の最も大きな課題です。ブラジルにある教会と何らかの提携関係を作っていくことも必要でしょう。ただしこちらには日本基督教団と同じような教会はありませんので、どの教派とどのような関係を作っていくかが難しい所です。
 どうぞサンパウロ福音教会の果たすべき使命や将来のことを覚え、お祈りください。

(松本敏之)

(「ジャカランダのかおり」第9号、1995年3月)

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