大地のリズムと歌−ブラジル通信2

 「アメリカや日本では『時は金なり』と言いますが、ノルデスチでは、あくまで『時は時』です。彼らは決して『時』をお金に換算して考えない。『何でこんなに遅いんだ』と効率の悪さにいらいらすることもあるけれど、彼らは『時』そのものを味わい、楽しんで生きているのです。」

 ブラジル・メソジスト教団、ノルデスチ宣教区のパウロ・アイレス・マットス監督に初めて会ったとき、彼は開口一番、わたしにそう語った。

 「ノルデスチ」。ブラジル北東部を指すこの言葉には、独特の響きがある。ある人は、あこがれ、なつかしさ、いとおしさをもって語り、ある人は軽蔑の意味を込めて語る。

 ノルデスチは、アメリカ大陸で最もアフリカに近い熱帯海岸地域であり、サルバドールからフォルタレーザ、あるいはサンルイスまで、美しいやしの木の海岸が、果てしなく続く。また各都市に残る古いコロニア建築は、ブラジル文化発祥と歴史の証しである。しかし貧しさが厳しいのは、昨年12月のクリスマス・メッセージに記した通りだ。

 昨年9月、わたしは一月間サンパウロからノルデスチのメソジスト諸教会と社会活動施設を視察する機会を得た。この旅は、ノルデスチの現実とメソジスト教会の働きに触れることの他、わたしの赴任地を決定するためのものでもあった。サンパウロから最も遠い目的地フォルタレーザまでバスで片道50時間以上の距離であるが、バスの中で全然時間のことなど気にしないノルデスチの人々と語り合いながら、わたしはマットス監督の言葉を思い起こしていた。「時は時なり」。

ビショップの写真
(パウロ・アイレス・マットス監督と。)

 ブラジルのメソジスト教会は、主に南部、南東部を中心に広がったが、ノルデスチへの宣教も1982年に開始された。15年目の今日、ノルデスチ宣教区には22の教会と51の伝道所に2400人のメンバーがおり、他教区や海外の教会の支援のもとに貧しい地区におけるコミュニティーセンター、保育所などの事業も行っている。しかしそれらの社会活動施設のほとんどは、深刻な経済的問題を抱えており、閉鎖に追い込まれたり、州や市に委譲されたりしているケースも少なくない。カトリック教会の基礎共同体運動でさえ一頃のような勢いを失っているのに、ましてやノルデスチにまったく地盤のないメソジスト教会であるから、当然と言えば当然である。

 「やはり南へ帰ろう。」ほとんどそういう思いで、わたしは最後の目的地、レシフェとその隣接都市オリンダに入った(→地図参照)。しかしオリンダのアルト・ダ・ポンダーテ教会の活動、また信徒リーダー、ジャニー・メネゼスの話に、わたしは強く心を打たれ、去りがたい気持ちにさせられてしまった。

レシフェの街角
(レシフェの街角で。松本牧師。)

 レシフェは、カトリック教会のドン・エルデル・カマラ大司教が解放運動を進めた都市として有名であるが、1964年、一人のディサイプル派のアメリカ人宣教師が、教派を超えて、カマラ大司教の「オペラソン・エスペランサ(希望作戦)」に加わるために、レシフェにやってきた。彼の名はデイヴィッド・ブラックバーン。基礎共同体で貧しい人々の職業訓練に携わった。本国との契約が終わった後も、彼はレシフェに留まり、1973年「オペラソン・エスペランサ」で知り合った、ブラジル人の心理学者ジャニー・メネゼスと結婚した。彼はその後再びディサイプル派の支援によりカトリックの貧しい基礎共同体での活動をしていたが、1986年からは、ディサイプル派からメソジスト教会へ派遣された宣教師として、オリンダ郊外のスラム街、アルト・ダ・ボンダーデに住み込み、ジャニーと共に開拓伝道を始めた。これまでの経験を生かし、保育所を開き、木工所で職業訓練も始めた。


(ブラックバーン牧師)

 しかし1992年8月27日、信じがたい事故が起きた。彼はふだんは車を使わなかったが、この日は教会で演劇を催すので、奉仕者を迎えるため、特別に車に乗って出掛けた。迎えに行った先で「車の上に電線が落ちている」という知らせを受け、彼はすぐに行って、ほうきで慎重にそれを道路に落とした。しかし車を移動しようとして、ドアのノブに触った時、ノブがすでに帯電しており、彼は道路の上に転んでしまった。それがちょうど電線の上であり、彼はあっと言う間に、感電死してしまったという。49歳であった。

 ブラックバーン牧師の死後も、この貧しい教会とその社会活動は続けられているが、困難も大きくなっているという。ジャニーにそっと「オリンダでわたしにできることがありますか」と尋ねると、ジャニーは「いくらでもあります」と答えた。マットス監督も、もともとわたしを歓迎してくれる意向であったので、最終的にわたしは、この教会を含むオリンダのふたつの貧しい地区の協会の協力牧師として任命されることになった。

 ブラックバーン牧師は、まさにブラジルの時の中で地の塩として生き抜き、一粒の麦として地に落ちたのだと思う。

 ゆったりとした時の流れの中では、神の時がひとつひとつ刻まれていくのを、より強く感じるものである。「時は時なり。」

(『福音と世界』3月号、1997年2月)


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Photos (C)1996-1997 Toshiyuki Matsumoto