ブラジルの熱い風(4)

ダミアン修道士の死

 6月4日、レシフェのアフーダ・サッカー場において、ブラジル・ノルデスチ( 北東部)史上、最大の葬儀が行われた。亡くなったのは、カプチン会修道士のダミ アン・デ・ボザーノ、98歳であった。葬儀を執り行った司祭は実に217人、参 列者は3万5千人にのぼった。5月30日に亡くなる以前から、マスコミはその容 態を刻一刻と伝え、亡くなった後は、連日数万人の弔問客が教会に押し寄せ、卒倒 者も続出した。

 ダミアン修道士は1898年イタリアに生まれ、1931年、ブラジルのレシフ ェに宣教師としてやってきた。以来60年以上にわたり、ノルデスチの160万平 方キロメートルにおよぶ貧しい奥地を、説教してまわった。行く先々で、おびただ しい群衆が彼の説教を聞きに集まったという。

 彼の考え方はきわめて保守的で、中世の教会の教えを、そのまま実践させるよう なものであった。「罪人は地獄の火によって罰せられる。地獄の火はノルデスチよ りも数億倍も熱い。」「女性のミニスカートやズボンは罪。」「避妊は禁止。子ど もの欲しくない者は結婚するな」と説いた。

 ノルデスチは、1960〜70年代、軍政の弾圧の中で、カトリックのキリスト 教基礎共同体運動の中心地であった。レシフェのドン・エルデル・カマラをはじめ 、解放の神学路線に立つ大司教が多くの司教区を治め、パウロ・フレイレによって 始められた民衆の識字教育運動もここノルデスチから始まった。

 こうした時代、一方で解放路線と全く逆行するようなダミアン修道士の言葉や活 動が、貧しい民衆の心をとらえていったことは、興味深い。神父たちの語る言葉が どんどん変わっていく中で、それについていけない民衆は、逆に伝統や古い習慣に 固執し続けたダミアン修道士に心惹かれたのかも知れない。いずれにしろダミアン 修道士の死に伴う現象は、ノルデスチの民衆の信仰のある一面を浮き彫りにしたと 言えよう。

(『キリスト新聞』連載、1997年6月)

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