大地のリズムと歌−ブラジル通信10

 前号で報告したごとく、七月十五〜十九日、サンルイスにおいて、ブラジルのキリスト教基礎共同体の第九回全国大会が開かれた。今回は特にそのエキュメニカルな意義などについて記したい。

 16日〜18日は、テーマ別にブロックに分かれて話し合った。今回のブロック・テーマは、

  1. カトリック民間信仰
  2. アフロ・ブラジル宗教
  3. ペンテコスタリズム
  4. 締め出された人々と民衆運動
  5. 大衆文化
  6. 先住民族

の6つであったが、私は、私自身にとって最も身近な課題である「ペンテコスタリズム」のブロックに参加した。

 本誌8月号にも記したごとく、今日ブラジルの宗教界において、ペンテコステ派教会とカトリック教会の不信と対立は、最も深刻かつデリケートな問題である。カトリック教会はペンテコステ派教会の成長を静観してきたが、あまりの急成長と影響力に、もはや無視できなくなっている。そうした状況に何らかの形で対応しうるのは、キリスト教基礎共同体を通して以外にないであろう。なぜならキリスト教基礎共同体は、ある意味でカトリック教会内の宗教改革運動であり、伝統的な宗教性を維持しつつも、古い体質や因習にとらわれない、批判的かつ柔軟な共同体だからである。また考え方は違うが、ペンテコステ派教会同様、貧しい人たちのことを配慮し、貧しい地域を中心に広がっているからである。ある人はキリスト教基礎共同体こそ、ペンテコステ派教会の広がりに対する「解毒剤」と呼んでいる。カトリックのブラジル全国司教会議(CNBB)も、その重要性を認識し、今、キリスト教基礎共同体の再強化に力を注いでいると言う(『フォーリャ・デ・サンパウロ』新聞、1997年7月16日)。ここへ来て、キリスト教基礎共同体運動は、創立当初にはなかった新たな意味を帯びてきたと言えよう。


(「ペンテコスタリズム」ブロックの旗)

 ブロックでは、約20人の小グループ、100人の中グループ、500人の全体会を織り交ぜながら、具体的な経験を分かち合い、共に歩む道を探り求めた。ペンテコステ派教会から、カトリック信者との結婚を否定された苦い経験や、家族の中で別々の教会に行きつつ、尊敬しあっている経験などを聞きながら、彼らは実生活では、いかに隣り合わせに生きているかということを思った。

 私は、カトリック教会とペンテコステ派教会の間にあって、小さいながら、重要な役割を担いうる伝統的なプロテスタント教会の存在を強調した。ペンテコステ派教会との違いは大きくとも、その違いは相対的であり、カトリック教会ともエキュメニカルな対話をもつ、いわば「橋渡し」の教会だからである。

 最終日に発表された「サンルイスからの手紙」では、ペンテコスタリズムのブロックは、次のように表明した。「私たちはペンテコステ派教会の会員に対するある種の偏見、カトリック教会内のカリスマ運動に対するある種の偏見を乗り越えなければならない。対話に入るためには、日々の生活および、聖書に基づく民衆のための具体的な行動や闘いから始めるのがよい。まさにそこから実際的な協力やエキュメニカルな対話の新しい道が生まれてくるからである。

 ペンテコステ派教会の姉妹兄弟が存在するという単純な事実は、共に生きるようにと、聖霊が私たちに求めているしるしである。」

 大会には、プロテスタント教会からも50人以上の牧師・信徒が参加をした。私たちは二日目の夜、プロテスタントの側からどういう貢献ができるかを話し合い、また最終日の朝の礼拝をリードした。以下はその時に公表した、「プロテスタントの参加者から第9回大会への手紙」の一部である。

「私たちはルーテル告白教会、聖公会、バプテスト教会、会衆派教会、メソジスト教会、独立長老教会、合同長老教会、アッセンブリー・オブ・ゴッド、日本基督教団、クエーカーからやって来ました・・・・・・。
 私たちは、私たちの賜物、働き、働きの実りを分かち合いたいと思います。また私たちは、キリスト教基礎共同体と共に、新しい社会を築く夢を分かち合いたいのです。
 主イエスの行いは、経済的な生産物に左右されず、それぞれの人、それぞれの行い、それぞれの命を尊ぶことを私たちに教えています。命を尊ぶことは、福音の求めるものです。
 私たちは単なる群衆ではありません。人、人格をもった人間です。私たちの一人一人は、神の手によってこねられ、創られ、洗礼を通し、かけがえのない名前をもって、神に召されています。私たちは、今神の御前で、すべての人が、家と食物と土地と仕事と健康と学校と楽しみと文化を手にすることができるよう、闘うという誓いを、新たにします。
 ・・・・・・私たちは、主が『すべての人がひとつとなるように』と弟子たちのために父に祈られたとりなしの祈りにおいて、キリストに一つに結ばれています。私たちの熱い抱擁を受け取ってください。」

 女性の教職がいることは、プロテスタント教会の特権である。礼拝の終わりに、メソジストの女性牧師が、会衆の中のすべての女性に向かって、男性の上に手を置くよう求めた。そして声をあわせて次のように共に祝福の祈りをした。

「サラとアブラハムとハガルの神の祝福、
マリアから生まれた子の祝福
母が子を気づかうように、私たちのために気づかう愛の聖霊の祝福が
私たち一同と共にありますように。」

 ここに示されたようなキリスト教基礎共同体やエキュメニカルなプロテスタント教会の祈りと努力が実り、新しい時代が来ることを心から願いたい。


(ノルデスチ(北東部)の民衆の苦悩を担うキリスト像)

(『福音と世界』11月号、1997年10月)

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