大地のリズムと歌−ブラジル通信20

「宣教のエージェント」

 8月1日、ブラジル・メソジスト教団北東宣教区、第二地区(レシフェ近郊)総会において、信徒説教者養成コース「宣教のエージェント」の終了証書授与式が行われた。第二地区だけで15人、北東宣教区全体では約60人が終了証書を受け取った。合計12回、約2年間にわたって行われたこのコースは、2ヶ月に一度、金曜日の夜から日曜日の昼までの週末を利用した集中プログラムであった。(ちなみにブラジルでは、主日礼拝は、通常日曜日の夜に行われる)。私もこのプログラムに牧師として加わりつつ、信徒の方々と共に、興味深くいろんなことを学ばせていただいた。

 メソジスト教会において、「信徒説教者」は、その歴史の始まりから重要な役割を果たして来た。その数は、按手礼を受けた牧師の数よりもはるかに多く、メソジズム運動の立役者は彼らであったと、言っても過言ではないであろう。

 ブラジルでは、メソジスト教会は19世紀の後半よりリオデジャネイロやサンパウロなど南部を中心に広まり、社会的にもよい働きをしてきたが、ここ北東部とアマゾン川流域の北部では、メソジスト教会はまだまだ若く、社会的にもあまり知られていない。1946年、サルバドールに北東部最初の教会が生まれて以来、わずかに増えてはいたが、本格的に成長し始めたのは、教団総会で正式に教区と認められ、常駐の監督がやってきた1980年代以降のことである。牧師もまだまだ数が少なく、日本の3〜4倍もある北東部全体で約30人、しかも南の教区から来た「国内宣教師」が全体の半数を占める。教会が伸びていくために、前々から信徒説教者養成の必要性が叫ばれていた。そうした意味で、このたび北東部宣教区で第1回の養成コースを終え、正式に信徒説教者を送り出す歴史的意義は大きい。


(信徒説教者養成コース「宣教のエージェント」を修了した人たち。後列は講師。)

 コースの内容を少し紹介しよう。全12回のテーマは次のようなものであった。

  1. 神に対し、隣人に対し、私は何者か。
  2. グループの中で、グループと共にどう働くか。
  3. 聖書緒論。
  4. 教会史。
  5. メソジストの教理−なぜメソジストか。
  6. 教会・生きた組織−賜物と職務。
  7. 説教作成。
  8. 聖書研究作成。
  9. 典礼、礼拝、音楽。
  10. 宣教学−福音と文化。
  11. 現代ブラジルの宗教性、エキュメニズム。
  12. キリスト者の生、霊性と倫理。

 このコースの原案を作り、コース全体をリードして来たのはドイツ・メソジスト教団から派遣されて来ているウルリッヒ・ヤーレス宣教師である。ドイツ・メソジスト教団では、「信徒説教者」はすでによく知られた範疇であり、すでに150年の伝統をもつと言う。ヤーレス宣教師自身、19歳から9年間、ドイツで「信徒説教者」として奉仕した経験をもつ。今回のプログラムは、そのドイツでの養成プログラムを下敷きにしながら、ブラジル北東部の現実、ブラジル人の国民性、参加者の大半が貧しい人々であることなどを考慮して、練り直された。全12回の中で、私にはブラジル北東部の状況を直接視野に入れた最後の3回の学びが、最も興味深かった。


(このコースの原案を作ったウルリッヒ・ヤーレス宣教師)

 ブラジル、特にここ北東部では、前号でも紹介したように、聖書とほとんど関係のないカトリックの民間信仰、聖人崇拝が非常に強い。しかしこれらの中には、北東部独自の豊かな文化が根づいており、すべてを否定することは難しいし、間違っているであろう。「福音と文化」のクラスでは、「福音は神の国の価値を否定する文化を変革させ、神の国の価値を擁護する文化を統合する」というテーゼを掲げ、さまざまな文化、習慣、言い伝えを検討しあった。音楽については比較的問題がない。すでに、全く世俗のリズムの音楽が豊かに神を賛美する音楽になっている。ダンスについては、男女が密着して踊るものも多いので、微妙である。私はもっと楽しんでいいのではないかと思っているが、おおむねプロテスタント教会では、ダンスについて否定的である。ダンスがそれだけ魅力的、誘惑的であることを彼らの方がよく知っているのかも知れない。

 ペンテコステ派教会は、聖書に基づかない民間信仰を背景にした文化をまるごと否定してしまう傾向が強い。しかしペンテコステ派教会自身、聖書に基づかない新たな規律を生み出しているとも言える。例えば、ブラジルで最大のペンテコステ派教会、アッセンブリー・オブ・ゴッドでは、男は髪を短くしなければならない。口髭はいいが、あご髭はだめ。女はズボンで礼拝に来てはならない。礼拝のときには、女はみんな制服のように白いブラウスに地味な長スカートをはいている。他のペンテコステ教派も多かれ少なかれ、似た傾向がある。メソジストも地方に行けば行くほど、アッセンブリー・オブ・ゴッドの影響を受けている。コースの履修者にも、ズボンで礼拝へ行ってはならないと、教えられている女性があった。ズボンでも全く問題がないこと、夜道を礼拝へ通うには、ズボンの方がはるかに安全であることを伝えると、何かふっきれたようであった。

 酒をやめ、たばこをやめ、ダンスをやめて、そうした格好で教会へ通うことに救われた喜びとクレンチ(プロテスタント信者)としての誇りを持っていることはいいのかも知れないが、私には個性のない全体主義のように思えるし、言われた通りのしなやかさのない固くもろい信仰に見える。

 またペンテコステ派教会の信者の家で、聖人像を取り除いた後、いつも詩編23編のページを開いた聖書を、それに代わるお守りのようにして置いてあるのをみると、根本的な発想はあまり変わっていないように思える。

 メソジスト教会はとかくそうしたカトリックとペンテコステ派教会のはざまで、いつもアイデンティティーを喪失しそうになるので、リーダーとなるべき人たちが自分たちの立つべきところを確認する意味においても、今回のプログラムは、非常に有意義であったと言えよう。

(『福音と世界』10月号、1998年9月)

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