10月4日に行われる総選挙(大統領、国会議員、州知事、州議会議員)に向けて、ブラジル中が騒がしくなってきた。日本と違うのは、候補者が、元気のいいサンバ風のテーマ曲を作って、テレビでも街頭でも、がんがん鳴らすこと、投票に行かないと罰金を課せられること、教会がいろんな意味で、選挙に少なからぬ影響力を持っていることなどである。
「罰金」制度のため、ブラジルでは投票率は非常に高いが、誰がふさわしい人物であるか見極める力が育たないまま、投票率が高くなっても、政治はよくならない。ブラジルでは貧民層が圧倒的多数であるから、数の論理から言えば、貧しい人のための政治をする人が最も多く選ばれるのが自然であるが、そうはならないから不思議である。
私の属するメソジスト教会では、監督会議の名により、今年『1998年総選挙についての牧会書簡』と題する小冊子が発行された。「メソジスト教会は、いかなる政党ともつながりをもたないし、もとうともしない。私たちの忠誠は、主イエス・キリストと、彼らに仕えるようにと召し出されている、民に対してのみである」「<プロテスタントはプロテスタントの候補者に>というスローガンは、民主的な考えではないし、メソジストの倫理にそぐわない」「メソジスト・クリスチャンは、貧しい人々、抑圧された人々、不正に苦しむ人々の利益を擁護するように求められており、目的を同じくする人々、運動、団体に連帯の手を伸ばす」などと述べられている。公平な立場で、選挙に参加することの大切さを語り、どういう人が、み心にかなう政治家であるかを、自分で判断する訓練をするべく、よく書かれた小冊子だと思う。教会学校成人科などで共に学ぶように勧められているが、政治が成熟していくには、結局、一般民衆レベルでこうした地道な学びを積み重ねていくより他にないであろう。
(『キリスト新聞』連載、1998年9月)