ブラジルの熱い風(7)

「食糧略奪は、誰の非か」

 ブラジル北東部の奥地は、今年エルニーニョ現象の影響で、十数年ぶりの大干ばつに見舞われ、深刻な食糧難に陥っている。もともと年間降雨量が500ミリメートルにも満たない乾燥地域であるが、今年は例年より更に降雨量が60〜80パーセントも少なく、農作物のほとんどが干ばつでやられてしまった。

 こうした深刻な状況の中、4月から5月にかけて、干ばつ地域では飢えた農民たちが何十人、何百人という集団になって、次々とスーパーマーケットや食糧倉庫、食糧を運ぶトラックを襲撃し、食糧を略奪したことが、連日のように報道された。例えば、5月27日ペルナンブッコ州アラリピーナ市のある大型倉庫では、三千人の農民が押し入り、すべてを持ち去った。略奪の間、警察もどうすることもできず、ただ傍観していたと言う。ちなみにこのアラリピーナ市では、豆の85パーセント、とうもろこしの98パーセントが収穫不可能になっている。

 こうした略奪は本来あってはならないのは当然であるが、果たしてこの飢えた農民たちは咎められるべきであろうか。カトリック教会、パライバ州のドン・マルセロ・カヴァリェイラ大司教はじめ、多くの識者は、人が飢え死にしてはならないこと、生き延びるための食糧を得る権利があることを認め、むしろこうした食糧難に対する政府の対応の遅れにその責任があるとしている。気象庁は今年3月頃から大干ばつが来るであろうという報告を、昨年9月の段階で、カルドーゾ大統領に提出していたにもかかわらず、大統領は半年以上の間、手を打とうとしなかった。大統領は6月になってようやく、食糧の配給を始めたが、大々的にその宣伝をすると同時に「土地無し農民運動」(MST)が組織的略奪を扇動している、と強く非難した。そうした演出に、私は今年の大統領選に向けての政治的プロパガンダを感じる。

 ちなみに6月には大小さまざまの民間団体、宗教団体からも食糧が届き、現在では略奪もかなり減ってきている。

(『キリスト新聞』連載、1998年7月)

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