欧州旅行記(2)

〜ミュンヘン〜
牧師 松本 敏之


(1)パーテンキントに会う

 1月28日、ミュンヘン駅に到着すると、以前から親しくしているロートご夫妻(クリストフ兄、陽子姉)が待っていてくださった。ご夫妻にはマリオン(真理音)ちゃん(16歳)、アンナ(安奈)ちゃん(13歳)という二人のお嬢様がいる。
 ちなみにドイツでは、子どもが生まれた時に、誰かにパーテ(代父)になってもらうという習慣がある。両親と共に、その子の成長を見守り、見届けるのである。実は、私はアンナちゃんの日本のパーテになっているのであるが(逆に言えば、アンナちゃんは、私のパーテンキント)、遠く離れているので、なかなかその責任も果たせないでいた。今回は、「日本から自分のパーテが来てくれた」ということで、アンナちゃんも誇らしく思ってくれたようだ。
 さてミュンヘンには、ぜひ訪れたいところが二つあった。一つはミュンヘン大学の白バラ記念館、もう一つはダッハウ強制収容所である。

(2)白バラ記念館

 白バラというのは第二次世界大戦下のミュンヘンにおいて行われた非暴力主義の反ナチス運動である。反ナチのビラを配布したり、スローガンを壁に書いたりした。中心メンバーは、6名のミュンヘン大学の学生や教授。メンバーのショル兄妹たちは1943年に逮捕され、処刑された。昨年公開された映画『白バラの祈り』で有名になったので、ご存知の方も多いであろう。

 「『白バラ』のメンバーは、キリスト教の理念に支えられ、ことばで抵抗を語るのではなく、実際に行動を起こすことにしたのです。……気の遠くなるような不可能の壁に小さな可能性の穴をあけようとしたのです。……あの子(ゾフィー)は、ヤコブの手紙にあるように『御言を行う人になりなさい。ただ聞くだけの者となってはいけない』を座右の銘としていました」(H・フィンケ著『ゾフィー21歳』草風館、109頁)。

 ミュンヘン大学の正面玄関を入ると、映画の冒頭で、ゾフィーが階上からビラをばら撒くシーンの吹き抜けのコンコースがあり、その袖の半地下のところに白バラ記念館があった。記念館には、当時の記録や彼らの遺品などが展示されている。

(3)ダッハウ強制収容所跡

 ダッハウ強制収容所跡はミュンヘンの北西約20キロのところにある。普通は電車とバスを乗り継いで行くのであるが、私たちは車で直行した。
 この収容所は、1933年3月22日にダッハウ近郊にあった軍需工場跡地に建てられたドイツ最初の強制収容所である。
 ナチス・ドイツにとって好ましくないと見なされたユダヤ人、社会主義者、共産主義者、聖職者、後には同性愛者、障がい者、ロマの人たち(ジプシー)、レジスタンス活動をしたフランス人たちが次々に収容された。ドイツ教会闘争の旗手であったマルティン・ニーメラーが投獄されていたことでも有名である(2006年12月24日の説教「平和」を参照)。
 元来は、9千人を収容するように設計されていたが、1944年秋には、劣悪な環境のもと、収容者は3万5千人に達していたという。1945年4月に解放されるまでの約20年間に、20万6千人以上が収容され、少なくとも31,591人がこの収容所で亡くなっている。
 さて収容所の門には、「労働は自由をもたらす」という標語が掲げられているが、これは後にアウシュビッツにも転用されることになった。
 収容所は、南北に長い長方形で、当時は高圧電流が流れていた二重のフェンスと鉄条網で囲まれている。
 広大な敷地内には、かつてポプラ並木をはさんで左右に17棟ずつのバラックが並んでいたが、現在は2棟だけが展示用に復元されている。
 ポプラ並木の先には、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教の礼拝堂・追悼碑が並んでいる。西に進み、ゲートを通ってフェンスの外に出ると、左手にギリシャ正教の礼拝堂も見える。更にその先にはガス室が残されている。脱衣場、シャワー室に見せかけたガス室、死体置き場、焼却炉が並ぶ(ただし実際に使用されたという記録は残っていない。)
 ダッハウ収容所は、さまざまな人体実験が行われたことでも有名であり、それらの記録もミュージアムに克明に展示されている。
 この記念施設は、かつて囚人であった人たちが結成したダッハウ国際委員会が中心となり、バイエルン州の支援を得て、1965年にできたものである。ドイツ人にとって強制収容所の歴史は消し去りたいものであろうが、その厳粛な歴史を直視することからしか、謝罪も贖罪もありえないということを、ドイツ人はよく知っているのである。
 夜、ダッハウからロート家に戻ると、マリオンちゃんの学校では、ちょうどその日、強制収容所で生き残ったユダヤ人の話を聴く会があったそうだ。日本の学校では、原爆の被害者の話を聴く機会はあるにしても、果たして、南京大虐殺の生き証人や元軍隊慰安婦の人たちの話を聴く機会があるだろうか。歴史教育、平和教育において、ドイツと日本の決定的違いを感じる。 
 私たちも、まず自国の戦争を被害者・加害者両方の視点で直視し、そこから、今なすべきことを見出していきたいと思う。
(『いしずえ』第61号より、2007年6月24日発行)


ロートご一家

ミュンヘン大学正面にて

白薔薇記念館内

収容所跡ポプラ並木

労働は自由をもたらす

ガス室へ向かうゲート


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