神の定められる時

〜ヨハネ福音書講解説教(1)〜
コヘレトの言葉3章1〜11節
ヨハネによる福音書2章1〜12節
2002年4月7日(就任礼拝)
経堂緑岡教会  牧師 松本 敏之


(1)カナの婚礼

 私は、一色義子牧師の三年間のお働きの後を引き継ぎまして、4月1日経堂緑岡教会の牧師に就任いたしました。今日からみなさんと一緒に経堂緑岡教会の新しい1ページを開いていくことになります。新年度の聖句として「新しい歌を主に向かって歌え」という言葉を選んでくださいましたが、そのような思いで新しい歩みを始めていきましょう。
 今日、私たちに与えられました御言葉は、ヨハネによる福音書第2章1〜12節のカナの婚礼と呼ばれる物語です。有名な話でありますので、よくご存じの方もあろうかと思います。イエス・キリストが水をぶどう酒に変えられた、という奇跡がここに記されていますが、ヨハネ福音書の記者は、これをイエス・キリストがなさった「最初のしるし」であると呼んでおります。
 少し順を追って、物語を見てまいります。ガリラヤのカナという町で、ある人が結婚式を挙げ、その結婚披露宴での出来事であります。イエス・キリストの母マリアもそこにおりました。彼女がただの招待客であったのか、あるいは主催者側の人間であったのか、はっきり記されてはおりませんけれども、いずれにしろ、この新郎新婦、あるいはその家族とかなり親しい間柄であったようであります。そこへイエス・キリストも弟子たちと一緒に招かれました。この披露宴でどういうわけか、ぶどう酒が足りなくなってしまいます。宴会の途中でぶどう酒がなくなるというのは、それを主催した人のメンツにかかわることであったでありましょう。「さあこれは大変だ」ということになります。人間の準備することというのは、どんなに「これで完璧だ」と思っていても思わぬ落とし穴があるものです。
 そこで、マリアは息子であるイエス・キリストに向かって、「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。彼女は、イエス・キリストであれば、この事態を何とか打開できるに違いないと思ったのでありましょう。しかし、イエス・キリストは、彼女ににこう言われます。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(4節)。何だか非常に冷たく聞こえる言葉です。この返事を聞いたマリアはどうしたでしょう。「あなた、お母さんに向かって何という口のきき方をするのですか」と、言ったでしょうか。そうではありませんでした。召し使いたちを呼んで、そっと「この人が何かを言いつけたら、そのとおりにしてください」(5節)と言うのです。しばらくして、イエス・キリストは、この召し使いたちに、「水がめに水をいっぱい入れなさい」(7節)と言われると、召し使いたちは、そのとおりにいたしました。そしてそれを宴会の世話役のところへ持っていくと、水は最上のぶどう酒に変えられていました。世話役は、花婿を呼んで、このように言いました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったところに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」(10節)。ざっと、そういうお話であります。

(2)願いを率直に

 私は、この物語は私たちの信仰生活にとって、特に祈りの生活において幾つか大切なことを示唆していると思います。一つは、この母マリアの態度です。彼女は、困った状況を、率直にイエス・キリストに告げました。もしかすると彼女には、「母親の願いであれば、きいてくれるであろう」という甘えがあったかも知れません。しかしとにかく、「ぶどう酒がなくなりました」と、告げたのです。これは大事なことであろうと思います。私たち日本人は、「謙譲の美徳」というものがあるせいか、遠慮深くて、なかなか自分の気持ちを表に表しません。その点、ブラジル人などラテンの人は随分違うなあ、と思います。素直に、率直に自分の気持ちを表します。私は祈りにおいてまで、遠慮深くある必要はないと思います。「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイ7:7)。この約束を信じ、正直に自分の願いを主の前に差し出すことが大切です。それをしないと、私たちの中で祈りがくすぶって、不完全燃焼になってしまうのではないでしょうか。 
 ただしそのことは、私たちの祈りがすぐにこたえられるということを意味してはおりません。この時の母マリアの願いもすぐにこたえられたわけではありませんでした。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と、突き放されたような言葉が返ってきました。しかし、マリアの願いはイエス・キリストに届いたのです。
 私たちも、祈りがきかれていないように思える時でも、とにかくこの祈りは届いている、すでにお聞きくださっているのだ、と信じたいと思います。マリアはそれを信じたからこそ、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言ったのでありましょう。

(3)最もふさわしい時

 それでは、「求めなさい。そうすれば与えられる」という約束にもかかわらず、どうしてすぐにこたえられないことがあるのでしょうか。それは祈りがこたえられるには、それに最もふさわしい時と、最もふさわしい形があるからです。私たちの期待している時に、私たちが期待している形で、祈りがきかれるとは限りません。主は私たちの熱い思いを受けとめつつ、最もよい時と、最もよい形を選ばれます。この時もイエス・キリストは、一旦距離を置きつつ、誰も予想しなかった形で、マリアの期待をはるかに超えた形で、それにこたえてくださいました。
 神様は、しばしば時を延ばされます。それはどうしてかと言えば、すべての人間的可能性が終わり、ここから先はもう神様の可能性でしかないということがわかるため、つまりこれはもう神様が働いたとしか考えられないということがわかって、私たちが神様に栄光を帰するためではないでしょうか。

(4)最もふさわしい形

 私たちの求めている通りのこたえが与えられるとも限りません。先ほど願いを率直に差し出すことが大事だと、申し上げましたが、その中には、確かに私たちのわがままな願いもあるでしょう。もしも私たちのわがままな願い、あさはかな祈りまで、すべてこたえられるとすれば、かえって恐ろしいことになるのではないでしょうか。この世界はとっくの昔に滅んでいるかも知れません。神様は、私たち以上に、私たちに何が必要であるかをよくご存じであって、私たちに最もふさわしいものをもって、(時には私たちの期待とは違うものであるでしょうが)、私たちの祈りにこたえてくださるのです。
 マタイ福音書の7章9〜10節に、「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」という言葉があります。私は、これを少しひねって、もしもこれが反対だったら、どうなるだろうかと思うのです。つまり子どもが知らずして、石を欲しがって食べようとしたら、あるいは蛇を欲しがっていたら、それをそのまま、子どもの言うままに、石や蛇を与えるのが本当の親でしょうか。わたしはそうではないだろう、と思います。つまり一見、その願いを退けつつ、本当に必要なものは何かということを察知して、それを与えるのが本当の親であろうと思います。神様は、私たちの祈りをききながら、(時には一見それを退けながら、)最もふさわしい時を選んで、最もふさわしい形をもって、おこたえくださるのではないでしょうか。

(5)私自身のこれまでの歩み

 私はこれまでの自分のあゆみを振り返ってみますと、神様は最もふさわしい時に、最もふさわしいものを備えてくださった、そして私の歩みはそうした神の力によって支えられ、導かれてきたということを強く思わざるを得ません。
 私は、母親がクリスチャンである家庭に生まれ育ち、小学校1年生から教会学校に通い始め、高校1年生の時に受洗いたしました。大学ではキリスト教の勉強をしておりましたが、まだ牧師になる意志はありませんでした。しかしキリスト教の学びをする中で、牧師になる召命が与えられ、神学校(東京神学大学大学院)へと進みました。卒業後、阿佐ヶ谷教会という教会で伝道師をした後、ニューヨークのユニオン神学校というところで学ぶ機会を与えられました。とても留学するような英語力をもっておりませんでしたが、不思議に道が開かれました。ニューヨークでの学びは、私にとって第二のコンバージョン(回心)と呼べるほど大きな転機となり、卒業後、どこか第三世界へ行って働きたいという思いを強く持つようになりました。その時、不思議にもブラジルへ宣教師として遣わされる道が開かれました。ニューヨークへ行っていなければ、ブラジルへ行くことも、全く考えなかったでありましょう。
 ブラジルでの最初の4年半はサンパウロにある日系人教会で働きました。その後、ブラジルの東北部、熱帯地方のオリンダという町のブラジル人だけの貧しい教会で2年間、働きました。そこは、日本やアメリカとは、そしてサンパウロとも全く別世界であり、この日本からすれば、サンパウロをはるかに超えて地の果てのようなところでありました。これまでいろいろ移り住んだ中で、カルチャーショックが最も大きかったのは、日本からニューヨークへ行った時でもなく、ニューヨークからサンパウロへ行った時でもなく、サンパウロからオリンダへ移った時でありました。もしもサンパウロでの4年半がなかったら、オリンダでの生活は決して耐えられなかったであろうと思います。サンパウロで日本人がまわりにいる中で、ポルトガル語をそれなりに習得し、ブラジルの習慣も少しずつ身についていたので、オリンダの生活も、ようやく受け入れられたのだと思います。サンパウロでの働きそのものが貴重な経験や学びでありましたが、それが同時にオリンダでの生活の必要な準備になっていたことが、あとでわかりました。
 オリンダにいた2年間は、毎週毎週ポルトガル語で説教をし、日本語で一度も説教をする機会がありませんでした。それは私の宝物のような経験であり、私のポルトガル語もそこで初めて使い物になるようになりましたが、その一方で、私は自分が一番自由に使える言葉を使っていないことにもどかしさを覚え、「自分は日本語で日本人に向かって語るべきことがあるのではないか」、と考えるようになっておりました。そのような時に、私の出身教会である弓町本郷教会から、「帰ってきて欲しい」という招聘があり、私は、神様が私を日本へ呼び戻されるのだと受けとめて、日本へ帰ってまいりました。不思議な形で、神様は、時を備え、私の決断を導き、私の歩みを支えてくださったということを思わざるを得ません。その中には願いがかなえられたこともありますし、全く予想せずしてそうなったものもあります。しかしながら後から振り返れば、ひとつひとつがすべて貴重なものであり、大きな意味をもっていたということがわかるのです。何一つとして無駄であったものはありません。

(6)経堂緑岡教会からの招聘

 経堂緑岡教会は、実は不思議にも随分前から私の意識の深いところにある教会でありました。経堂という町は、私が大学受験のために上京した折り、2〜3週間滞在した町であります。兄が経堂に下宿していたからです。浪人をして、次の年の2月にもまた経堂に滞在をいたしました。ですから私にとって最初の東京の町は、経堂でありました。兄は特に教会生活は送っておりませんでしたが、先ほど申し上げましたようにクリスチャンホームでありましたので、経堂緑岡教会に何度か足を運んだことがあるようです。深町先生の時代です。一昨日、兄が下宿をしていたあたりを散歩して、ある種の感慨を覚えました。
 東京神学大学では一色義子先生とクラスメートになり、しばしば一色家でクラス会をするようになりました。それは卒業後も続きました。
あるいはまた、渡辺栄さんが私の妻、かおりの祖母の親しい友人でありましたので、不思議にもクリスチャンホームではない妻の家庭からも経堂緑岡教会の話を聞いておりました。ブラジルから帰ってきて、最初に出席した牧師就任式が、経堂緑岡教会の一色義子先生の就任式でありました。
 そうしたことが背景にあったせいか、経堂緑岡教会から招聘の打診があった時には、私は、この招聘を神が招いておられるものとして、単純に、素直に信じることができました。誤解を恐れずに少し大胆に言うならば、「神の定められた時が満ちたのだ」と、そういう思いを持ちました。
 みなさんがどのような思いで、今日という日を迎えられたのか、私にはわかりません。後任の牧師が決まってほっとしたという方もあるかも知れません。あるいはもっともっと一色先生にやっていただきたかったのに、という思いをもっておられた方もきっとあるでしょう。この教会は厳しい試練の時を経験されたと、伺っております。今でも、まだその痛みを持っておられる方もあるかも知れません。いや試練と言っても、それは人間の側に責任のあることだと、お考えの方もあるかも知れません。しかしそのような中にも、必ず神様の意志は働いております。神様がよしとしないことは起こり得ないからです。たとえそれが消極的、否定的なことであったとしても、そこに何がしかの意味があるから、神はそれをなさるのであり、その事態をお許しになるのだと思います。挫折して傷つくことがあるとすれば、私たちはそこから何かを学ぶのであり、そしてまた神様は、必ずそれを癒し、立ち上がらせてくださいます。

(7)神の美しいみわざ

 カナの婚礼の日、マリアはイエス・キリストが必ず何かをしてくださることを信じて、その時を待ちつつ、自分でなすべきことをいたしました。召し使いたちにイエス・キリストを紹介して、「この方の言うとおりにしてください」と、彼女は言いました。そして召し使いたちも、主イエスが「水がめに水をいっぱい入れなさい」とおっしゃった時、もしかすると、「そんなことをしている場合ではありません。今は必死になってぶどう酒を探しているのです」と思ったかも知れませんけれども、人間的な思いを捨てて、とにかく主イエスの言葉に従いました。そうすると、イエス・キリストはそれを用いて、大きな奇跡を起こしてくださいました。
 私たちの教会においても、また私たちひとりひとりの歩みにおいても、神様はそのように時を定めて、最もふさわしい時に、最もよい形で、大きなみわざをなしてくださるものと信じたいと思います。
 最後に、旧約聖書、コヘレトの言葉第3章1〜11節を、もう一度お読みいたします。

「何事にも時があり、天の下の出来事には
すべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

  人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさるわざを始めから終わりまで見極めることは許されていない」(コヘレトの言葉3:1〜11)。

 以前の口語訳聖書では、「神のなさることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3:11)と訳されておりました。そのような神の時を信じて、共に歩み始めましょう。