ゲツセマネの祈り

詩編42編1〜7節
マタイ福音書26章36〜46節
2004年4月4日   棕櫚の主日礼拝
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)マタイ受難曲

 今年の受難節、3月11日に久しぶりにヨハン・セバスチャン・バッハの「マタイ受難曲」を生演奏で聴きました。ドイツの最も伝統的なライプツヒ・ゲバントハウス管弦楽団と聖トーマス教会合唱団の演奏でした。「マタイ受難曲」が初演されたのは、1729年ですが、その後、どういうわけか埋もれてしまい、初演からちょうど100年目の1829年に、作曲家のメンデルスゾーンが、このライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団を率いて歴史的な再演をいたしました。ですからこの度は、いわば本場中の本場の演奏を聴いてきたわけです。
 この「マタイ受難曲」というのは、まさに奇跡とでもいうべき音楽史上の、いや人類の最大の遺産の一つであるすばらしい芸術であります。私もこれまでCDで何度聞いてきたかわかりませんが、実演となると、そう度々ではありません。かつて東京で一人受験勉強の浪人中であった時に、目白の東京カテドラル大聖堂で、今回と同じ、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団と聖トーマス合唱団の演奏によるマタイ受難曲を聴きに行ったことがあります。その頃からマタイ受難曲は、私にとって特別な音楽でありました。
 今回はそれから25年経って久しぶりにライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の生演奏を聴きました。普段はあまり歌詞を味わうこともなく聞き流しているのですが、今回はじっくり歌詞の内容を見ながら味わって聞くことができました。
 「マタイ受難曲」ということですから、基本的にマタイ福音書の言葉に基づいているのですが、聖書本文以外の箇所にも随分、深い意味の言葉が散りばめられているということを改めて感じました。

(2)第26曲のアリア

 「マタイ受難曲」のテキストは、ピカンダーというカンタータ詩人によって書かれております。もっとも彼自身の作による部分と、それまでのさまざまなものからの引用の両方があるようです。その頃歌われていたコラールなども巧みに入れられています。説教の後で歌います311番「血しおしたたる」という讃美歌も、マタイ受難曲の中で、何度も何度もテーマ曲のように現れてまいります。そうした意味でも、これはバッハという一人の芸術家を超えた歴史上の産物だと思うのです。
 今回はっとさせられた言葉の中に、第一部のゲツセマネの祈りの部分に出てくる第26曲目のテノールのアリアがありました。

「わたしはイエスのもとで目覚めていよう。
そうすればわれらの罪は眠りにつこう。
あの方の魂の苦しみは、
私の死をあがない、
その悲しみは私に大きな喜びを与える。
だからわれらの救いの力となる受難は、
まことに苦く、しかも甘美なのだ。」

 味わい深い言葉であると思います。私たちがイエス・キリストのもとで目覚めている時に、罪の方が眠ってしまう。罪の方がどうすることもできなくなる、という意味でありましょう。

(3)主イエスの恐れ

 この言葉を思いめぐらしながら、私は有名なゲツセマネの祈りの箇所を改めて読んでみたいと思った次第であります。
 イエス・キリストは、弟子たちにこう言われました。

「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」(36節)。
「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」(38節)。

 そして一人になって祈られます。

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかしわたしの願い通りではなく、御心のままに」(39節)。

 皆さんは、このイエス・キリストの言葉、また態度について、どういう風にお思いになるでしょうか。「イエス様でもそれだけ苦しまれたのだ。」「とても人間的な一面を見せられた。」そう思って、納得されているかも知れません。
 しかし改めて考えてみますと、不思議な感じがします。というのは、私たちは、この時のイエス・キリストよりももっと死を恐れないで、立派に堂々と死んでいった偉人をたくさん知っているからです。最も有名な人はソクラテスでしょうか。真理のためには毒杯をあおぐことも厭わず、堂々と死んでいったと言われる古代ギリシャの哲学者です。あるいはイエス・キリストの弟子たち、代々のキリスト者でさえも、もっと立派に堂々と殉教して死んでいった人が数えきれない程あります。その人たちに比べれば、その本家本元のイエス・キリストは、死を目の前にして、一体何をそれほど恐れておられたのか。なぜそれほどおろおろしておられたのか。ちょっと往生際が悪いような気がしないでもありません。一体主イエスは、何を恐れていたのでしょうか。総督ピラトでしょうか。ユダヤ人たち、最高法院でしょうか。それとも群衆でしょうか。あるいは死ぬことそのものでしょうか。
 主イエスはかつてこう言われたことがありました。「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れるな」(ルカ12:4)。もしも主イエスが、この時ピラトや群衆や死そのものを恐れておられたのであるとすれば、主イエスは自分の言葉どおりに生きられなかったということになってしまうのではないでしょうか。
 私はそうではないと思います。主イエスは、ご自分でも言われたように、そんなものを恐れてはおられなかった。それでは一体何を恐れておられたのでしょうか。それは先ほどの主イエスの言葉の中にヒントがあると思います。

「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい」(ルカ12:4)。

 そうです。主イエスはピラトを恐れたのでもなく、群衆を恐れたのでもなく、肉体の死を恐れたのでもなく、まさにこのお方、つまり「殺した後で地獄へ投げ込む権威を持っている方」を恐れておられたのでありましょう。

(4)決定的な夜

 なぜならば、そのお方は今まさにイエス・キリストを地獄(陰府)にまで投げ込もうとしておられたからです。別の言葉で言えば、今、神の呪いが主イエスにふりかかろうとしている。その呪いを受けて、イエス・キリストは殺されようとしているのです。使徒パウロはこう言っています。

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いからあがない出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われる』と書いてあるからです」(ガラテヤ3:13)。

 徹底して神に仕え、神によって生きた方が、今その神から見放され、突き落とされて死のうとしている。宗教改革者のカルヴァンは、「ゲツセマネのこの瞬間に主イエスの『陰府くだり』が始まった」と言ったそうです。その夜、私たち人類の歴史を決定するとてつもなく大きな事柄、重い事柄が、父なる神様とイエス・キリストの間で取り交わされたのだと言えるでしょう。
 神の子が十字架にかかって殺されるということが避けられないものであることが、最終確認されたのでした。通常、イエス・キリストの受難は、この後、つまりイエス・キリストの逮捕から始まると考えられていますが、いやむしろ重要なことは、この瞬間にすでに決定している。極端な言い方をすれば、その後起こってくることは、この時、決定されたことが、いわば粛々と実行に移されるだけだと、いうことができるかも知れません。私たちの神は全能の神です。できないことは何一つありません。その全能の神が選び取られた道です。わたしたちが生きる道はそれしかなかったのです。

(5)「主の祈り」のフレーズ

 「父よ、わたしが飲まない限り、この杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」(39節)。「三度も同じ言葉で祈られた」(44節)と記されています。何時間もかけて祈る中で、次第に父なる神様の心に、ご自分の心を重ね合わせていかれたのでしょう。この「あなたの御心が行われますように」というのは、私たちがいつも唱えています「主の祈り」の一節でもあります。もしかすると、この時イエス・キリストは、弟子たちに教えられた「主の祈り」を、ご自分でも何度も祈っておられたのかも知れません。
 私たちは普段から祈りの生活をもっておかなければ、最も祈らなければならない時に祈れないという矛盾に陥ります。大きな困難が降りかかってきた時に、「祈っている場合ではない、祈るよりも前にすることがある」というような気がしてしまうのです。しかし「誘惑に陥らない」ために、まず、最初にしなければならないことは、やはり祈りであると思います。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」(41節)。
 この言葉も「われらを試みにあわせず、悪より救い出だしたまえ」という「主の祈り」のフレーズを思い起こさせる言葉であります。これも主イエスが弟子たちに語ると同時に、自分でもそう祈っておられたのではないでしょうか。主イエス御自身がこの時、「十字架を放棄する」という誰よりも大きな誘惑を受けておられたからです。そしてその誘惑を克服されました。
 私は、この夜の主イエスの祈りが非常に特別な祈りであったと同時に、主イエスの普段の祈りの延長線上にあるということを思いました。日常的な、主の祈りに似ております。イエス・キリストは、普段から祈る場所と祈る時間をもっておられました。ガリラヤにおられた時から、どんなに忙しくても、いつもひとり、山に退いて習慣をもっておられた。そういうライフスタイルがあって初めて、この夜の特別な祈りもあったのだと思います。

(6)ボンヘッファーの『誘惑』

 ディートリヒ・ボンヘッファーは『誘惑』という小さな書物を著していますが、その中で次のように語っています。

「聖書は厳密に考えると、結局、ただ二つの誘惑の出来事を告げている。それは最初の人間(アダム)の誘惑と、イエス・キリストの誘惑、すなわち人間を没落へと導く誘惑と、サタンを没落へと導く誘惑である。それ以外に人間の生において起こったもろもろの誘惑はすべて、明らかにこの二つの誘惑の出来事を象徴するものである。すなわち、私たちはアダムにおいて試みられるか、あるいはキリストにおいて試みられるか、どちらかなのである。私たちはアダムにおいて試みられるならば、その時私たちは没落にいたる。あるいはまた、私たちがキリストにおいて試みられるならば、その時サタンは没落しなければならないのである」(『ボンヘッファー選集9』p.277)。

 この「イエス・キリストの誘惑」というのは、イエス・キリストが荒れ野で40日の断食の後で受けた誘惑です。そこでイエス・キリストは、サタンの巧みな誘惑を見事に退けて、これに打ち勝たれました。サタンは私たちが想像するよりもはるかに手ごわい相手です。私たちが独りでこれに立ち向かおうとすると、必ず負ける。ボンヘッファーはそう言うのです。サタンは、それほど賢く、それほど強い。サタンはありとあらゆる形で、あらゆるところから、辛い悲しい経験からでも、あるいは逆に喜びに満ちた幸せな経験からでも巧みに忍び寄ってくるのです。巧みに私たちを誘惑してくる。しかし私たちがキリストに連なる時には、キリストが私たちに代わってサタンと闘い、キリストが私たちに代わって勝利してくださるというのです。

(7)「わたしと共に」

 このゲツセマネの祈りの物語は、マタイ福音書の他に、マルコ福音書にも、ルカ福音書にも記されています。マタイとマルコを比べてみますと、ほとんど同じなのですが、ひとつ大きな違いがあるのです。「ここを離れず、わたしと共に目を覚まして祈っていなさい」(38節)というところの「わたしと共に」という言葉はマルコにはなく、マタイ独自の書き方です。同様に、「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」(40節)という箇所にも、「わたしと共に」という言葉がマタイにはあります。とてもマタイらしいと思いました。
 マタイ福音書冒頭のイエス・キリスト誕生の物語では、

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:23)

 と記されています。またマタイ福音書の一番終わりには、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)というイエス・キリストの言葉が記されています。どんな時にも、神様は、そしてイエス・キリストはわたしたちと共にいてくださるという約束が、マタイの最も大事なメッセージであったことがわかるのです。そして今日の箇所から、祈りにおいても、イエス・キリストは私たちを招き、わたしたちと共にいてくださるということが、伝わってくるのではないでしょうか。
 マタイ受難曲のテキストを書いたピカンダーが、そのことを意識していたのかどうか、つまり「これはマルコにはない。マタイ独特の言葉である」ということを、果たして意識していたのかどうかは、分かりません。いずれにしろ、彼はこう書きました。

「わたしはイエスのもとで目覚めていよう。
そうすればわれらの罪は眠りにつこう。」

 私たちは果たして祈りの生活を確立しているでしょうか。あるいはどんな祈りをしているでしょうか。誘惑に打ち勝つために、イエス・キリストの招きに応えて、イエス・キリストのもとで、イエス・キリストに連なって祈り続ける者でありたいと思います。