人はパンだけで生きるものではない

申命記8章2節〜3節
マタイによる福音書4章1節〜4節
2006年2月26日
協力牧師   一色 義子


(1) 苦しみをとおして知らされるもの

  「イエスは洗礼を受け」水から上がると、 神の霊がご自分に降り 「これはわたしの愛する子」と天の声を聞き、 その「霊に.導かれて」荒れ野へ。 そこで、 「40日間、 昼も夜も断食した後、 空腹を覚えられ」 たのです。
 空腹という肉体的疲労の只中で、 悪魔 (ギリシャ語ではサタン、 その字義は 「試みる者」) から、 「神の子なら、 これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と問いかけられました。 これは誘惑でした。
 主イエスはこれから人々に神の恵みの福音を伝えるという至上命令をうけておられました。 何をどのようになすべきか。 その対象の人間がかくも空腹であり、 生命の維持は絶対不可欠の事であれば、 それを助けることなのでしょうか。 周辺の民たちは決して豊かではなく、 もし、 石がパンに変わるような奇跡の力で腹を満たし、 生活が楽になれば、 どんなにか喜び、 パンをたやすくくれた人を大歓迎するでしょう。 即物的援助で人々を救えば、 救い主イエスをたちどころに信じるでしょう。 人の子主イエスは自分の空腹を通して人間の現実を痛いほど知った時なのです。

(2) 「人はパンだけで生きるものではない。」

 ところが、 主イエスはこれを誘惑と見てとられたのです。 旧約聖書の申命記には、 イスラエルの民に向かって 「あなたの神、 主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。」 と呼びかけられて、

「こうして主はあなたを苦しめて試し、 あなたの心にあること、 すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。 主はあなたを苦しめ、 飢えさせ、 あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。」

 とあります。 苦しみと飢えの後、 天からのマナという人智をこえた望外の恵みを賜ったのです。 私たちもそれぞれに40年なり、14年なり、4年なり、 来し方を省みるとき、 どうでしょう。 万策尽きたような気がしたとき、 マナを賜るような、 主の御心がわたしたちの日常の現実にも賜っているのではないでしょうか。
 主イエスはそこで、 「 『人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 と書いてある」 と申命記の言葉を思い出され、 明確に断言されました。
 神の言葉、 神の意思に私たちは支配されている。 それは私たちを決して路頭に迷うような非情なものではない。 このことをしっかりと認識し、 神を心の中心におき続ける。 その姿勢に徹すること、 これしかない、 と主イエスは断言されたのです。 人とは、 神に創造され、 神の似姿にかたどられた人間です。 人間が人間として本当に生きるということ、 この根源的意識がここに明言されました。
 しかし、 一方では、 これこそ主イエスが、 どこかの話の 「仙人は霞を食べる」 というような超自然的存在としてではなく、 空腹の苦しさを知る肉体をもってこの世に生き、 十字架の苦しみに向かわれる人の子・救い主の出発をされたのです。 このことこそ、 神の「愛する子、 わたしの心に適う者」 (マタイ3・17) の生き方でありました。 そのお方を私たちは示されているのです。 しっかりと「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ことに徹するとき、 真実に人間として生きるようになるのです。
 苦しみは快いものでは決してありません。 苦しみをうけたとき、 それが、 身体的でも、 経済的でも、 あるいは仕事の面でも、 人間関係でも、 学生なら受験で、 社会人には転職や定年退職や、 年をとれば、 昨日まで出来たことが今日出来なくなったりと、 生きると同時に、 さまざまに、 突然、 あるいは、 じわじわと、 不安も苦痛もおそってくることを避けられないのです。 しかし、 苦しみを通して、 知らされるのは、 それが神が知り得ないものではなく、 その時こそ、 「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということです。
 今週の水曜日は灰の水曜日で、 悔い改めのしるしに去年のオリーブの葉を燃した灰を額などにつけて、 受難節 (主の日を除く40日間) に入ります。 この時こそ、 主イエスのお苦しみを偲びつつ、 人生の苦しみ、 困難、 悩みを抱く私たちの苦しみを知り、 共にいてくださる主であることを知らされるのです。

(3)『ナルニア国物語』の作者 C・S・ルイスと苦しみ

 3月に全国一斉に封切られるデズニーのファンタジー 『ナルニア国物語』 は、 教会にもちらしが来ています。 イギリスで1950年代に出版され全部で7巻、 それぞれ独立した子どもむきのファンタジーで、 その中の1巻 『ライオンと魔女』 の映画化です。 私はイザヤ書11章の 「狼は小羊と共に宿り……、 大地は主を知る知識で満たされる」 を思いあわせた。
 強い者も弱い者も、 動物も木々や植物も仲良く話をして平和に住む美しいナルニア国。 そこに、 主の心を示す大きなあたたかな強い存在としてライオンのアスランが皆の困難の極みに現れ、 人を援けて倒れ、 復活をみるという、 すてきなファンタジーです。
 作者のC.S.ルイス (1898〜1963) は (日本式に言えば) 明治31年生まれであり、 昭和38年65歳で召された私の親の世代です。 北アイルランドのベルファストに、 父方がイギリス人の家庭に生まれ、 1917年オックスフォード大学入学、 第一次世界大戦に出征、 フランス戦線で負傷後、 同大学を最高優等賞で卒業して、 同大で30年間哲学や英文学を教え、 第二次世界大戦中に書簡体風刺小説 『スクルーテイヴの手紙』 を雑誌に連載し有名になります。 けれども、 かえっていじめをうけ、 苦悩を知る人生でした。 1954年漸くケンブリッジ大学の新設の中世・ルネッサンス英文学の初代教授になり、 それまで独身でしたが、 59歳で、 癌の病身のユダヤ人でクリスチャンになった女性の国外追放の危機を救うために彼女の病床で結婚します。 苦しみと喜びの激しい人生に44冊もの多数の著書を著しました。 『痛みの問題』 『四つの愛』 『悲しみをみつめて』 『栄光の重み説教集』 『詩篇を考える』 などキリスト教信仰の書も邦訳されています。
  『ナルニア国物語』 は子ども用のやさしい英語で書かれていますがその思想は深いです。 私は先日種々の問題を抱えて眠れない気がしたとき、 なんと、 ナルニア国の子どもが窮地に落とされた時、 ライオンのアスランが必ず助けてくれると信じた瞬間に、 そこに解決の光が射し始めるという場面を思い出し、 ああ、 私にはライオンではなく、 主イエス・キリストが解決を必ず与えてくださる、 と思い起こさせられました。 ライオンの姿のアスランで、 神の愛を見えるようにしたとは、 キリスト教児童文学の傑作といえるでしょう。

(4) 主イエスの勝利の生き方

 どんな苦しみの中にあっても、 主の知らない苦しみはなく、 愛なる神が主イエス・キリストにおいて必ず救いをくださる、 この神との絶対の関係を知り、 信じて歩む人生こそ、 「人はパンだけで生きるものではない」ということです。 神の愛の中で生かされている現実に気づき、 しっかり信じ、 ゆだねて平安に生きる。 それが人が生きるということ。 そのために、 主イエスは、 最初の悪魔の誘いを誘惑と見抜き、 人は神の言葉で真実に生かされる一事を貫かれました。 主は苦しみを味わい、 十字架に耐え、 復活され、 世に勝利されたのです。 「人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」 私たちも、 この主イエス・キリストに導かれて、 まことの人生を日々歩みたいと願います。


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