物語の始まり

〜ルカ福音書による説教(1)〜
詩編73編23〜28節
ルカ福音書1章1〜4節
2007年9月2日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)ルカ福音書を読み始める

 暑かった夏も過ぎ去り、秋になりました。美しい季節です。皆様の信仰生活も、秋の深まりと共に深められ、恵みのクリスマスを迎えることができれば幸いであると、思います。主日礼拝においては、新約聖書の方は、本日からルカによる福音書を読み始めることにいたしました。
 最初に、ルカによる福音書とはどういう書物であるか、緒論的なことを申し上げておきましょう。説教ではありますが、それはこれから長い物語の始まりにあたって、意味のあることであろうと思います。
 ご承知の通り、新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書があります。この中で、私たちがすでに5年近くかけて読んできたヨハネ福音書は他の福音書とかなり違ったものですが、あとの3つ、マタイ、マルコ、ルカは、随分、共通する部分があります。この三つを指して、共観福音書と呼びます。またその三つの中では、マルコ福音書が一番古く、マタイ福音書とルカ福音書は、マルコ福音書を一つの大事な資料として書かれています。
 少し煩雑なことを申し上げれば、マタイとルカは、マルコが知らなかった共通の資料を使っています。しかしそれは現存しないので、仮にQ資料と名付けられています。それに加えて、マタイはマタイ独自の資料、ルカはルカ独自の資料を用いました。
 ルカ福音書に絞ってお話すれば、マルコ福音書とQ資料とルカ独自資料という三つの資料を用いて、書かれているのです。ルカ福音書の最初の2章は、アドベントとクリスマスの物語が続くわけですが、これはルカにしか出てきません。つまりルカ独自資料ということになります。
 いつ頃書かれたかは、紀元後70年代後半から90年代前半、恐らく80年代であろうと言われます。マルコ福音書が紀元70年のエルサレム神殿崩壊の後、と言われていますので、早くてもそれ以降、いうことです。そうだとすれば、イエス・キリストが十字架にかかられてから、すでに約50年が経過していたことになります。

(2)ルカ福音書の著者

 著者は一体誰なのか。私たちは、「ルカによる福音書」と呼んでいるわけですが、福音書自体には、著者名は記されていません。伝統的には、パウロの伝道旅行に同行した医者のルカであった、と言われてきました。このルカについては、パウロのフィレモンへの手紙に名前が出てきます。
「わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです」(フィレモン24節)。しかし今日の聖書学では、ここに出てくるルカがこの福音書を書いたということはまずありえない、というのが定説であります。そのルカの名前が、この書物の著者として、この福音書にかぶせられたということでしょう。
 それでは実際には、一体誰がこの書物を書いたのか。名前としては結局わからない、無名の人物なのですが、いろんな事柄から人物像は浮かび上がってまいります。
 まずこの人は非常に高い教育を受けた人であった。しかもギリシア(ヘレニズム)の教育を受けた人です。新約聖書は、ギリシア語で書かれていますが、ルカ福音書のギリシア語は、マルコやマタイよりも流麗で、語彙も豊富であり、しかも修辞と擬古調に富んでいる。一言で言えば、非常に文学的なのです。つまりこの著者は、そこいらの素人ではなく、いわばプロの作家だということです。
 他方、この著者は、ユダヤ教にも詳しく、旧約聖書をギリシア語訳でよく読んでいる。旧約聖書というのはヘブライ語で書かれていましたが、それをギリシア語に訳した聖書があったのです(七十人訳聖書)。当時の大きな文明としては、ユダヤ教の伝統のヘブライズムとギリシア文化のヘレニズムがあり、この二大文明潮流が融合したところに新約聖書が成立していますが、この著者は、その両方の文化を熟知しているのです。旧約聖書のギリシア語訳に精通し、その文体をあえて模倣して、しばしば擬古調を用いている。かなりの教養人です。
 宗教的背景はどうか。もともと異邦人でありつつ、ユダヤ教に共鳴する人、いわゆる「神を畏れる者たち」「神を敬う者たち」のひとりであった。その人がキリスト教に触れて、キリスト教に改宗した。そういう人物であった、ということが推察されます。
 そういうわけで、本当の著者名はわからないので、専門的には、この著者をルカ福音書記者とか、第三福音書記者と呼ぶこともあります。しかしまわりくどいので、逆に、この福音書を書いた無名の著者のことを、「ルカ」と呼ばせていただきたいと思います。私たちにとっては、「ルカ」というのは、パウロの同行者かどうかということよりも、この本を書いた人に他ならないからです。

(3)すでに幾つかの書物があった

 さて、ここから先は実際に、本文の最初の言葉を読みながら、お話ししましょう。
 「献呈の言葉」という表題が付けられています。
「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています」(1〜2節)。
 「わたしたちの間で実現した事柄」というのが、これから書かれようとしている内容に他なりません。それはイエス・キリストの出来事です。
 イエス・キリストとは一体誰なのか。何のために、この世界へ来られたのか。そして何を語り、何をなさったか。そのことを伝えようとするのが、福音書に他なりません。それは単なるイエス・キリストの伝記ではないのです。伝記というには、あまりに不釣合いな書き方です。最初の2章を除いて、ほとんどが最後の1年のことです。その中でも最後の1週間、さらにその中でも最後の1日のことに集中しています。その後、復活まで出てきます。あるメッセージを持っているのです。それが「わたしたちの間で実現した事柄」です。
 日本語の聖書では、語順の関係で1〜2節が混ざっていますが、本来の1節は、「わたしたちの間で実現した事柄について、物語を書き連ねようと、多くの人が既に手を着けています」というものです。先ほど申し上げたように、ルカはマルコ福音書を知っておりました。その他にも多くのイエス・キリストについての伝承がすでに文書になっていたのだろうと思います。マルコ福音書以外に何があったかよくわかりませんが、とにかく彼はそれを知っていたのです。

(4)伝承に基づき

 どのようにして福音書が書かれたか。もうイエス・キリストが十字架にかかってから、40年以上が経っています。
 「最初から目撃して御言葉のため働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに」(本来の2節)。
 そうです。最初から目撃した人々がいた。ペトロがいた。他の弟子たちがいた。いやむしろ女性たちが大事な目撃証人であった。ちなみに、ルカ福音書では、女性が多く登場しますが、女性たちこそ、特に、十字架のもとで最後まで付き従った女性たち、そして復活の最初の証人になった女性たちこそが、最初の目撃証人でした。そこから物語が始まったのです。
 有名な使徒パウロは、生き証人ではありませんでした。あとで福音を聞いた人です。
 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」(一コリント15:3)。
 そしてこう続けます。「すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(同3〜4節)。これが最も大事なメッセージです。
 「ケファ(ペトロ)に現われ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かはすでに眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現われ、その後すべての使徒に現われ、そして最後に月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」(同5〜8節)。
 そのようにしてパウロに届いたというのです。こうした伝承がやがて更に何十年か後のルカの元にまで語り伝えられていった。
 今日は、旧約聖書の方は、詩編73編を読んでいただきましたが、最後にこう記されています。

「わたしは、神に近くあることを幸いとし
主なる神に避けどころを置く。
わたしは御業をことごとく語り伝えよう。」(詩編73:28)

 見たことを語り伝える。証人となる。証言をする。そしてそれを書き留めていった人がいる。私たちの今の信仰生活は、そういう人たちの口と手によって、最初の基礎が築かれたということを、改めて感謝して思い起こしたいと思います。

(5)執筆動機

 ルカはそうした伝承を耳にし、そして既に書かれていた福音書を手にしながら、自分もきちんと書きたいと思ったのです。
 どうも今あるものでは満足できない。自分はそこに書かれていない事柄もたくさん見聞きしている。それに今あるものは、どうも文学的に稚拙だ。これだと、とても教養のある人たち、特にギリシアのような高い文化の中の人たちに読んでもらえない。自分だったら、もっとよく、もっと詳しく、そしてもっと順序だてて、説得力のある形で書ける。それが、ルカがこの福音書を書いた動機でありました。
 しかしそれは決して自己顕示欲ではありません。イエス・キリストの福音がより多くの人たちに伝えられるためです。特に異邦人世界、ルカの目はすでにそちらに向いています。ですからルカはこう続けます。

「敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります」(3〜4節)。

 すでに素人っぽい文章で伝わっているけれども、それが学者にも通じるような形で、書き直したい。そういう風に言うのです。このところには、ルカの大きな使命感があったと思います。自分にできることをしたい。いや、これは恐らく自分にしかできないことである。それをしなければならない、という召命感がルカにはあったことであろうと思います。

(6)ルカの歴史観

 ルカには一つの明確な歴史観がありました。それは専門的な言葉で「救済史」(救いの歴史)と言います。コンツェルマンという人が、『時のしるし』というルカ福音書の研究書の中で、ルカは、歴史を「三つの時」、すなわち、「イスラエルの時」(旧約)、「キリストの時」、「教会の時」という風に分けて考えている、と言います。
 ルカは、二部作の第一部として、この福音書を書きました。聖書の中に、「使徒言行録」という書物がありますが、これが同じ著者(ルカ)によって書かれた二部作の第二部なのです。「教会の時」の始まりを記しています。他の福音書記者は、福音書だけを書いていますが、ルカは「教会の時」に先立つ「キリストの時」の記録として福音書を書いた。私たちの歴史は、その後の「教会の時」のうちにあるということを、まさにルカを通じて知るのです。

(7)主の物語を語り伝える

 この書物を献げた人として「敬愛するテオフィロさま」というのが出てきます。これが一体誰なのか、これもまたわからないのです。この書物のスポンサーであったという説もありますが、これは実在の人物ではなくて、架空の人物であろうと言われます。ルカは、歴史における位置づけを重視するのですが(例えば1:5、2:1参照)、テオフィロという人物は歴史に出てこない。
 「テオフィロ」というのは、「神を愛する人」という意味のギリシア風の名前です。ルカが想定した読者(教養を持った文化人、しかも神さまを愛する読者)の代表のようにして、こういう名前を掲げたのではないかと言うことです。そうだとすれば、これは後々の、私たちにまで続いているものと言えるのかも知れません。
 ルカ福音書が書かれたことによって、私たちの信仰生活はいかに豊かにされたことでしょうか。ルカにしか出て来ない話はたくさんあります。「放蕩息子の話」、「よきサマリア人の話」、「マルタとマリアの話」。そこから私たちの信仰生活が深い意味をもち、豊かになっているということを思います。ルカは、歴史としてこれを記そうとしました。歴史と物語は、一つであります。ヒストリーとストーリーというのはつながっています。ヒストリーには、ストーリーがあるのです。ルカの語る歴史の中には生き生きとした物語がある。私たちは、今、その大いなる物語の門口に立っています。これから十分に、その恵みを味わっていただきたいと思うのです。一体、何年かかるかわかりません。一つ一つ、この物語を丁寧に読み、そこに語り伝えられた事柄を聞き、そして語り伝えて行きたいと思います。
 先ほど、402番の讃美歌を歌いました。

「世にある限り 主のみ栄えと
いつくしみを 語り伝えん」

 この思いにあふれた人たちによって、イエス・キリストの伝承が伝えられ、その物語を書き留めた人によって、それが私たちの手に残りました。これから歌う讃美歌は、その隣の403番です。

「聞けよ、愛と真理の 主の物語を、
世の罪を除く 主のみことばを」

この物語を聞きつつ、また私たちもこれを語り伝えるものになりましょう。


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