第17回世界メソジスト大会および協議会報告

開催日時:1996年8月7日(水)〜15日(木)
開催場所:ブラジル国、リオデジャネイロ市、リオ・セントロ(コンヴェンション・センター)
大会主題:「聖霊、命の与え主」
参加者:2700人以上


世界メソジスト協議会(500人の議員からなる世界中のメソジスト関係教会の協議会)は、このたび、ブラジルのリオデジャネイロにおいて第17回世界メソジスト大会を召集、開催した。1881年にロンドンで始まったこの大会は、戦後は5年に一度開かれているが、今回はラテンアメリカにおける初の大会であり、ラテンアメリカらしいダイナミックな演出と、ラテンアメリカの現状を訴える講演や催しが印象的であった。
 日本からは、勝山健一郎、北村宗次、高田彰、竹前昇、西垣二一、深町正信、船本弘毅、真壁勝一各氏(以上、日本基督教団教師)他、計19名が参加され、国際基督教大学の古屋安雄氏はキリスト教学校教育のセミナー講師として奉仕された。宮本純子(すみこ)氏と私とは、大会に現地参加し、また私は、同時開催された世界メソジスト協議会にも、日本基督教団からの議員として出席した。

1996年8月7日(水)

 開会式−−各教会の代表が手作りの旗を掲げて入場。その間壇上ではリオデジャネイロの路上の子供たちが、大胆に歌い、かつ踊った。
 基調演説。ドナルド・イングリッシュ氏(世界メソジスト協議会議長)は、「聖霊、命の与え主」という主題に基づき、次のように語った。

「今日のメソジストは、ペンテコステにおいて聖霊を経験した初代のクリスチャンから多くのことを学ばなければならない。メソジストは『心温まる宗教』にかかわっている。主の御心を行うことこそが、私たちの礼拝、成長、証しにとって決定的である。それは神を神としてふさわしく礼拝し、世界中に福音を告げ知らせ、私たちのまわりの最も貧しい人々、最も助けを必要としている人々の世話をし、より正義に満ちた社会に向かって苦闘することである。そのような事柄を無視するとき、私たちは安易に自分たちの幻を低くしてしまう。ペンテコステの日のクリスチャンたちのように、今日のメソジストたちも共に祈るべきである。初代のクリスチャンたちにとっては、祈りこそ真の仕事であった。彼らは私たちと文化も生活状況も違うけれども、彼らを私たちと同じく、弱くもろい普通の人々であった。私たちはもちろん今、最初のペンテコステの前夜にいるのではない。しかし聖霊が私たちすべての者に力をもって注がれるとき、私たちは新しいペンテコステの前夜にいると言えないはずはない。神の恵みによってその準備ができるように祈りたい。」

 聖餐式。スンドー・キム監督(韓国)
 午後には、メソジスト協議会の総幹事であるショー・ヘイル氏が、地球をおおう世界各地の戦争に言及しつつ、「次の世代へ受け継がれるべき愛とゆるしの財産を生み出そう。戦争という古い財産を、平和という新しい財産に取り替え、戦争の毒に対する『解毒剤』となろう」と呼びかけた。

1996年8月8日(木)、9日(金)

 この2日間は11のセミナーにわかれ、それぞれの関心に従って、より深い学び、専門的な話し合いをもった。私は神学教育のセミナーに参加したが、一日目はこれまで世界各地におけるメソジストの神学教育とその国の文化の関係がどうであったかを振り返った。講演者のケネス・クラックネル氏は「花瓶の中の福音」という表現を用いて、「土着化しない福音」の問題について、ユーモラスに、しかし深く切り込んだ。二日目はプロテスタントで最も有力な解放の神学者の一人であるアルゼンチンのL.M.ボニーノ氏が、ラテンアメリカの具体的な状況と解放の教育について語った。メソジストは伝統的にこの世の、特に最も助けを必要とする人々の間での証しや奉仕を強調し、かつ実践してきたが、それは解放の神学とも響き合うものである。彼はまた質問に答えて、カトリックの解放の神学者たちとのエキュメニカルな交わりについても紹介した。
 (ちなみに、8日の昼食は、ブラジル・メソジスト教会の監督団がご夫妻で、日本からの一団をブラジル風バーベキュー・レストランに招待してくださった。昨年、日本を訪ねた時に世話になったお礼だとのことである。私が通訳をつとめ、楽しい交わりの時をもった。)

1996年8月10日(土)

 大会のハイライトは、10日午後のマラカナン競技場における大集会であろう。この日のために、ブラジル中から1万5000人以上のメソジストたちが、この世界一名高いサッカー場に集まった。国内と言えども、遠くからはバスで何日もかかる。舞台の後ろには黄色と緑と青の服を着た1500人の聖歌隊がブラジルの国旗の形に整列し、圧倒的な迫力の合唱を聞かせ、舞台の前の円形のフロアでは20人ほどの5つのダンスグループが五角形の角の位置に陣取り、それぞれ違ったユニフォームを着て、音楽がなるたびにサンバで鍛えた体で、ブラジルならではのダイナミックで華麗なダンスを披露してくれた。
 「3本の棒切れと紙と慈しみで、長い長い糸と幸せと愛で、私は色とりどりの夢の中の大空に舞う凧を作る。/凧が青空を飛ぶために風を必要とするように、教会では聖霊が必要だ。聖霊は私たちが愛し、働き、進み行くことを力づけてくれる。」子供の聖歌隊がそのように歌っている間、別の子供たちが競技場の中で実際に凧をあげて走り回った。
 この日ブラジルのストリートチルドレンのために各国から持ち寄った献金が捧げられたが、その総額は25万4000ドルにのぼった。

1996年8月11日(日)

 主なホテルで、英語による礼拝。また希望者はリオデジャネイロの各地域の教会へ出席。私と北村宗次牧師はサンパウロへ行き、朝はサンパウロ福音教会において礼拝(説教:北村牧師)、夜はサンパウロ中央メソジスト教会にて礼拝と交わりの時をもつ。

1996年8月12日(月)、14日(水)昼

 この2日間は「大会の中の協議会」と称し、中央前方に協議会議員が座り、それを大会参加者が囲むようにして公開協議。
 12日は「礼拝と典礼」委員会、教育委員会、世界メソジスト歴史協会、世界メソジスト女性連盟から活動報告を受け、承認。礼拝と典礼委員会では、これまで対話を続けてきた聖公会、ローマ・カトリック教会、ギリシャ・オーソドックス教会との記録を小冊子にして発行し、またこの日、それぞれの教会の対話をしてきた相手を招待し、紹介した。またリオデジャネイロ地区の聖公会、ローマ・カトリック教会、ギリシャ・オーソドックス教会の代表も特別出席した。世界メソジスト女性連盟はこの大会に先立つ1週間前に、同じリオデジャネイロで世界大会を開いている。女性連盟の新議長はパキスタンのクシュヌード・アザリアー(Khushnud Azariah)氏。
 14日は「家族生活」委員会、「社会と国際問題」委員会、青年委員会からの活動報告と承認。世界伝道委員会からはディレクターのエディー・フォックス氏から「イエス・キリストの名の誉れ(Honors)を全地に広げる」と題する講演。

1996年8月7日(水)夜、13日(火)

 協議会では、予算決算や委員会の活動報告などを了承した他、これまで委員会によって議論を重ね、練り上げられたメソジストの信仰、礼拝、証し、奉仕、生活についての文書と、メソジスト教会間の関係、他の教派との対話、諸宗教とのかかわりについての文書を分かち合い、今日のメソジスト教会の基本線を確認しあった。
 また初の女性かつ信徒の議長団代表としてフランセス・オールグアイア氏が選出され、ドナルド・イングリッシュ氏は名誉会長に退いた。なお協議会議場で、各国の代表がこの5年間に自分の国で起きた教会内外の出来事について報告し、分かち合ったが、日本からは神戸栄光教会の北村宗次氏に特別陪席していただき、阪神淡路大震災とその後の状況について語っていただき、多くの方々の関心と共感を得たことを加えておきたい(イギリスの雑誌社など)。


 その他、大会では、ダバ・ミーティングと称する小グループでの話し合いが3度もたれ、また有意義な聖書研究や講演が何度もあった。特に救世軍のエバ・バロウズ元将軍の単純でストレートで力強く、しかもユーモアとウィットに満ちた講演は特にすばらしかった。またブラジル・メソジスト教会のリオデジャネイロ地区のパウロ・ロックマン監督の講演「立て、そして歩け」(使徒言行録3:6に基づく)は、ブラジルの現実に根差した言葉であり、今日「金銀は私にはない」ということができない私たちへの大きなチャレンジであった。」

(松本敏之)

☆関連する記事へ−リオデジャネイロの世界メソジスト大会に参加して(こちらには写真もあります)

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