★みなさん、お元気ですか。私は、8月に日本基督教団よりブラジル・メソジスト教団への宣教師として、再びブラジルへ帰ってきました。最初の仕事として、8月7日から14日までリオデジャネイロで開かれた、ラテンアメリカ初の世界メソジスト大会と世界メソジスト協議会に、日本基督教団からの議員として出席しました。世界中から集まってきたメソジストたちの熱い信仰に触れ、私自身、信仰があらたにされる経験をいたしました。(→報告書)
★9月には、ブラジル・メソジスト教団本部のあるベロ・オリゾンテを経由して、1カ月間ブラジル東北部(サルバドールからフォルタレーザまで)におけるメソジスト諸教会とコミュニティーセンターなどを視察旅行しました。サンパウロからすべてバスで移動しましたので、車中泊は計8回、バスで過ごした時間は、合計120時間にもなりました。しかしバスの旅は、案外いいものです。ブラジルのバスは、日本のバスよりも座席が広く、快適です。またバスに乗れば、何もできませんから、観念して仕事を忘れ、隣の「アミーゴ」とおしゃべりをしたり、ウォークマンで好きな音楽を聴いたりしていればいいのですから、これ程ぜいたくな旅はありません。
★この旅は私の赴任地を決定するための視察でもありましたが、不思議な出会いを通して、私は最後に行ったレシフェ/オリンダのメソジスト教会の協力牧師として任命されることになりました。
★レシフェは南緯8度に位置する熱帯都市で、サンパウロからはバスで約45時間の距離です。レシフェには3つの顔があると言われます(『地球の歩き方・南米1』参照)。一つ目は、砂糖、水産、化学工業など近代的な商工業都市。二つ目は、白い砂浜とヤシの並木が美しいビーチ・リゾートとしての顔。一年中、海水浴ができます。そして三つ目は、植民地時代の面影を残す歴史都市。17世紀半ばには一時オランダの占領下に置かれ、今もその時代の砦や建築物が多く残り、運河と橋が多い町並みは「ブラジルのヴェニス」とも呼ばれます。なおレシフェの隣接都市オリンダの旧市街には、ポルトガル、オランダ双方のコロニアル様式建築が残され、それぞれ独特のスタイルと歴史をもった20以上の教会や修道院が静かにたたずんでおり、この地区はユネスコによって世界文化遺産に指定されています。
★ただし、私は、これらの表向きの顔に隠れた四つ目の顔を知っています。上の三つの顔をはるかに越える面積の貧しい地区です。ブラジル東北部は、ブラジルの中でも最も貧しく、多くの課題を抱えています。たとえば幼児死亡率は、南米アメリカの最貧国ハイチのそれよりも高くなっています(8.82%)。またレシフェ/オリンダは観光都市でもあるため、少女たちは、貧しさのゆえに売春に陥っていきます。東北部の奥地は限りなく貧しく、そこを逃げ出して来たある人々は、レシフェ/オリンダなどの貧しい地区に住み、そこからまたある人々は、サンパウロやリオデジャネイロ等、南部の大都市へと出ていくのです。
★私は主にオリンダ郊外の貧しい地区の教会で働きますが、この教会では、地域の人々と共に生きるべく、木工所で家具を作ったり、再生紙のカードを作ったり、保育所で子どもをあずかったり、さまざまな努力をしています。こうした活動に触れながら、とにかく彼らに通じる言葉で、み言葉を語れるようになることが、私の一番の課題です。
★思えば私たちは、日本からだんだん離れて行くようですが、むしろこのことによって、日本のみなさんの祈りや支えをより強く感じるようになってきています。私たちがここに留まることにより、東北部のブラジル人にとって、日本や日本の教会が身近な存在になり、日本のクリスチャンにとってブラジルの現実が身近なことになれば、これ以上にうれしいことはありません。みなさんとより深い交わりができるようになることを願っています。今後とも、ぜひ祈り、励ましてください。訪問をご希望の方は、ご一報ください。
★私たちのブラジルでの活動については、『キリスト新聞』(キリスト新聞社)に月1回「ブラジルの熱い風」を連載中。また『福音と世界』(新教出版社)には、12月号にクリスマス・メッセージを載せた他、新年2月号より「通信」を連載する予定です。ぜひお読みください。(すべて「ブラジルからの手紙」に掲載されます。)
★私たちは、11月24日から12月3日までサルバドール(ブラジル最初の首都、東北部の玄関)で開かれる世界教会協議会(WCC)の「世界宣教と伝道」会議に出席するため、11月22日に家族みんなでサンパウロからサルバドールに向けて出発し、会議終了後(12月4日)、そのままレシフェに引っ越します。
1996年11月20日
(松本敏之)