大地のリズムと歌−ブラジル通信4

 3月1日、アルト・ダ・ボンダーデ教会のメンバー、トーニャに女の子が与えられた。わたしたちは早速、教会のすぐそばの彼女の家を訪れ、祝福をし、喜びをわかちあった。体重2850グラムの健康な赤ちゃん。無事に生まれたことで、とにかく彼女は一安心である。彼女の経験では「無事に生まれたこと」はそれほど当たり前ではないし、それは必ずしも「無事に育つこと」を意味しない。

 トーニャはペルナンブッコ州の奥地、州都レシフェから東へ約90キロメートルの田舎、セーハ・ダ・パッシーラで生まれ育った。地域唯一の仕事が砂糖きびの伐採という、ブラジル北東部の典型的な田舎である。賃金は収穫高によって支払われるが、屈強な男が夜明けから夕方まで必死に働いても、ブラジルの最低給料(月約120ドル)にはいたらない。しかも砂糖きびの収穫季節は、9月から翌年3月までの6カ月間だけである。4月から8月までは、わずかの人だけに、プランテーションを手入れしたり、植え付けをしたりする仕事が与えられ、大半の人は失業する。需要と供給の関係からして給料がさらに安いことは言うまでもないが、それでも仕事を得た人は運がいい。失業した人は、生き延びるためにレシフェなどの都市へわずかな仕事を求めて出て行く。

 トーニャは少女時代から砂糖きび伐採の仕事をしてきた。女でもよく動いた。16歳で今の夫アントニオ・バルビンダ・デ・シルヴァと結婚。17歳で長女を出産をしたが、数カ月で死んでしまった。1年後、次女を出産したが、やはり死んでしまった。 彼女は泣いて祈った。さらに1年後、待望の長男ジョゼを出産し、この子は生き残った。現在20歳、一家の働き手の中心である。結局、彼女はこの土地で15年間に14回出産。そのうち2人が死産、7人が数カ月ないし数年で死んでしまい、ジョゼ、アントニオ(ベステラ)、エジソン、ウェリトン、エジヴァルドの5人の男の子が生き残った。15年のほとんどの期間、彼女は妊娠していたことになるが、いつも出産ぎりぎりまで、砂糖きび伐採に出掛け、産後1週間で仕事に復帰した。



(デイヴィッド・ブラックバーン牧師)

 一方、レシフェ/オリンダ郊外のアルト・ダ・ボンダーデでは、1986年からアメリカ人デイヴィッド・ブラックバーン牧師(1992年事故死、3月号参照)が伝道を開始していたが、彼と共にトーニャの甥ジェニヴァルがエヴァンジェリスタ(信徒伝道者)として働いていた。トーニャの一家の大変な生活を見かねたジェニヴァルは、一家を8年前にアルト・ダ・ボンダーデ教会のそばに移り住むよう呼び寄せた。

 アルト・ダ・ボンダーデに引っ越してから、彼女はさらに3回出産をした。彼女はこちらに来て初めて産婦人科にかかったが、その医師が男性だったので、びっくりして逃げ出したという。最初の女の子をまた死なせてしまったが、その後生まれたダマリスは元気に育っている。そして今回のサラである。元気に育つようにと、祈らずにいられない。



(トーニャとその一家。一番左がトーニャとサラ。一番右が夫アントニオとダマリス。)

 アルト・ダ・ボンダーデでの生活も、わたしたちから見ればかなり大変なように思えるが、彼らはわたしたちの想像を絶する困窮からここへ逃れて来たのだ。現在、夫のアントニオと息子たちはセメントのブロックや屋根を作る仕事をしている。かつての砂糖きび伐採に比べれば、生活はずっと楽になった。アルト・ダ・ボンダーデの住人のほとんどは、同じような経験をしながら、ここにたどりついた人々である。

 さて、わたしの仕事について簡潔に記したい。わたしは上記のアルト・ダ・ボンダーデ教会と、同じくオリンダ郊外のカイシャ・ダ・グア教会の協力牧師として、ブラジル人のパウロ・デ・タルソと共に、説教・牧会などを分担する。私の主な責任は、二教会それぞれのコミュニティーセンタ一と共に歩むことである。

 ただし現在コミュニティーセンタ一の活動は、国内外の支援が減ってしまい、どんどん縮小を余儀なくされている。カイシャ・ダ・グア教会の場合、以前は無料の診療所があったが、泥棒に医療器具や薬などを一切盗まれて以来、閉鎖してしまった。

 両教会付属の学校(幼稚園から小学校1年生程度)と保育所は、市の援助を受けて、今も地域で大きな役割を果たしている。わたしは、これらの学校で子どもたちと週日礼拝を始めた。主に日本の紙芝居を用いて、聖書の話をしている。

 最後におねがいですが、もしどなたか聖書の紙芝居を送ってくださる方があれば、中古で十分ですから、経堂緑岡教会まで、ぜひご連絡ください。



(「新しき民」学校=アルト・ダ・ボンダーデ教会内、で子どもたちに聖書の話をする筆者)



(紙芝居を使って聖書の話をする筆者。)

(『福音と世界』5月号、1997年4月)

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Photos & Text(C)1996-1997 Toshiyuki Matsumoto