大地のリズムと歌−ブラジル通信9

 7月15日から19日までブラジル北東部のマラニャン州サンルイスで、キリスト教基礎共同体の第9回全国(インテルエクレシアル)大会が開かれた。私は、4月頃、参加希望の手紙を大会本部へ出したところ、「アジア人の参加は貴重であり、あなたを私たちの中に迎えられることをうれしく思います」と正式に招待をいただいた。

 サンルイスは、赤道地帯の太平洋岸に隣接する島に、ブラジルで唯一、フランス人の手によって築かれた町である。美しいタイル張りの家が並ぶ旧市街は、車の進入が禁じられているためか、昼間でもひっそりとしており、何となく物憂い感じがする。ブラジルでも異色の、このコロニアル・タウンは、今年12月にユネスコの「人類の文化遺産」に仲間入りすることが決定している。


(全体会の様子)

 キリスト教基礎共同体について簡単に説明しておきたい。キリスト教基礎共同体は、解放の神学によって生み出されたものではないが、解放の神学と共に歩み、共に成長してきた。解放の神学は基礎共同体の活動により実践の場を与えられ、基礎共同体の活動は解放の神学により理論化されていった。

 キリスト教基礎共同体は、恐らく1950年代の終わり頃、ブラジルを初め、幾つかの国の農村地帯や大都市周辺の貧しい地区から始まった。神父がほとんど訪れることがなかったこともあり、そこでは信徒が主体的に運営する実験的な司牧活動がなされ、共同体は仕事や生活に密着した聖書研究サークルを中心に成長していった 。ちょうど第二ヴァチカン公会議の追い風を受けた格好で、キリスト教基礎共同体は次第に広まり、1968年メデジン会議が「貧しい人々の優先」を採択した頃には、すでに広く受け入れられるようになっていた。1970年代軍政の時代に、基礎共同体運動は爆発的に広がった。政府がさまざまな組織を弾圧していた時、事実上、反軍政民衆運動の先頭に立ったのは、キリスト教基礎共同体である。

 ブラジル全国司教会議(CNBB)によれば、ブラジルには今日、約7万の基礎共同体が存在し、各共同体には30人から200人が参加、合計で約250万人のメンバーがいるという。

 さて、このキリスト教基礎共同体の全国大会が数年に一度、開かれていることは、日本ではあまり知られていないのではなかろうか。全国大会は、「各地の基礎共同体の代表がひとところに集まり、その進展と苦闘を分かち合う機会であり、生命を祝い、希望を新たにし、信仰を養い、献身の誓いを堅くし、兄弟愛を喜びあう時である。難しいテキストにより学びを深めるセミナーではなく、喜びとさまざまなシンボル、殉教者たちの想起などによって色づけられた、教会の貧しき民の祭典である」(『テンポ・イ・プレゼンサ』誌、96年12月)。

 第1回大会は、1975年に南東部の都市ヴィトリアにて開催された。ガイゼル将軍政権の弾圧により、ブラジル中が恐怖に陥れられた年である。参加者は70名、テーマは「神の霊による民から生まれる教会」であった。回を重ねるごとに参加者は増えていき、民政移行後初の第6回大会(1986年)は、一挙に1623人の大会に膨れ上がった(第5回の5倍増し)。


(開会式で踊った地元の子どもたち)

 さてこの度の第9回大会は、「キリスト教基礎共同体:大衆(マッサ、英語のマス)の中の命と希望」というテーマのもと、2798人が参加した。もとより貧しい共同体の人々の大会であるので、参加費は、最低月給の5パーセントということで、すべて含めてたったの6レアイス(約600円)。二桁違いでは?と疑うほどの安さである。4日間の全員の食事代、10万レアイス(約1千万円)は、マラニャン州と全国の司教区が2年間かけて蓄えてきた。おやつなどはサンルイス市からの寄付。宿泊はすべてサンルイス教区に属する人たちの家にホームステイで、そのために1900家族が、家庭を開放した。その他にも1350人のスタッフがボランティアで奉仕をするという、まさに手作りの大会であった。

 またほとんどの人がブラジル中からバスでやってきた。私も、レシフェを中心とする基礎共同体からのチャーターバスで同行させてもらった。同じ北東部とはいえ、レシフェからサンルイスまで、バスで30時間もかかる。南部からは、60〜70時間である。つくづくブラジルの広さと、彼らのこの大会への意気込みに感嘆させられた。

 テーマの中の「大衆(マッサ)」という言葉は多義的である。本来は、「形の一定しない、大きな、粘性のある物質のかたまり」を指す言葉であるが、そこから大きな集合体を、さらに一般大衆を意味する言葉となった。この言葉に、教会と一見無関係に生きているように見える不特定の人々が表されているのであろう。

 開会式において、ブラジル各27州からの代表が一人ずつ、粘土の塊を持ってきた。大会のコーディネーターの一人であるエディガー・ジュニオ神父が「<大衆>の課題をどのように取り扱うか、この粘土がここにいる人々を代表して表現してくれるでしょう」と説明した。粘土は地元の彫刻家マリア・アルヴェスに手渡され、彼女は「これでパンを割いている妊婦像をつくりたい。それは魂の糧を意味しています」と語った。

(つづく)

(『福音と世界』10月号、1997年9月)

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