大地のリズムと歌−ブラジル通信16

「先住民の日(4月19日)をめぐって」

4月19日は、ブラジルでは「インディオの日」である。今年も例年のごとく、首都ブラジリアを初め、全国各地で先住民の存在と権利を確認し、その文化を再評価する催しや、先住民たちのデモ行進などが行われた。この日を迎えて、ブラジル人の多くは、ちょうど1年前、インディオの日の直後に起きた痛ましい事件を思い起こしていた。一人の先住民がブラジリアのバス停で火だるまになり、息絶えた事件である。

 昨年4月19日、ブラジル先住民のガウディーノ・ジェズス・ドス・サントス氏は北東部バイーア州の先住民パタショー族の代表として、首都ブラジリアの国立インディオ財団(FUNAI)で開かれた記念集会に参加した。パタショー族はかつて州政府により5万3千ヘクタールの土地を居住区として認められたにもかかわらず、農場主の侵入が相次ぎ、追い出されてしまった。1986年に千ヘクタールを実力で奪い返し、今2千人が戻っているという。サントス氏は、こうした実状を訴えるために、丸一日バスに揺られて、ブラジリアへ来ていたのである。集会の後、彼は泊まっていたペンションの門限に間に合わなかったために、仕方なくバス停で一夜を明かすべく、寝込んでいた。そこへ16歳の少年1人と18〜19歳の青年4人(ブラジルでは18歳で成人)が通りかかり、可燃性アルコールを2リットルを買って戻り、サントス氏にそれをかけ、マッチで火をつけた。火だるまになったサントス氏は病院に運ばれ手当てを受けたが、全身大やけどで、21日午前2時亡くなった。

 5人の若者は、全員が白人であり、最高裁判所判事、選挙最高裁判所元判事、軍警察幹部ら、上流階級の家庭の息子たちであったことも大きな衝撃であった。ブラジリアでは、すぐに先住民のグループや、土地なし農民が合流して、約800人が抗議のデモを行った。

 ちなみに事件から4ヶ月後に出された若者達に対する判決に、私たちは再び驚かされ、怒りさえ覚えた。「殺意はなかった」として傷害致死罪が適用されたからである。減刑となれば8ヶ月の刑で済むという。「ブラジルの法が貧乏人には厳しく、金持ちには甘い」(ベージャ誌)ことを思い知らされる顛末であった。

 この事件が、先住民の人権を覚える「インディオの日」の直後に起きたことは、皮肉なことであるが、これはブラジル人一般、特に中・上流階級の先住民に対する潜在的な差別意識を反映した事件であったとも言えよう。


(第9回全国基礎共同体大会(1997)に参加したインディオの代表たち。
インディオの存在と現実をアピールする。)

 紀元1500年には、現在のブラジルに相当する地域に200〜500万人の先住民が住んでいたと言われるが、白人の侵入以降、殺戮、奴隷狩り、あるいは病死(白人がヨーロッパからもってきた軽い病気にも抵抗力がなかった)により激減し、今日では約30万人になってしまった。また一口に先住民といっても、ブラジルは850万平方キロメートルもある広い国である。ブラジルの先住民は、約215のグループに分けられ、170の違った言語が存在すると言う。私のいる北東部に住む先住民のほとんどは本来の原語を失ってしまっている。

 「先住民」の問題は、教会でも大切な宣教の課題である。特に1992年の「コロンブス到着500年」以降、さまざまな形で悔い改めと視点の変換を迫られている。ブラジル・カトリック教会には、全国司教会議(CNBB)の元に1972年、先住民宣教協議会(CIMI)が作られ、先住民の側に立って「土地保護」「人権擁護」などのために闘ってきた。昨年末には、その活動25年を記念して、「先住民自治権協定」宣言を発表している。また「インディオの日」に先立つ1週間を「先住民週間」として、その宣教課題をアピールしてきたが、今年は、先住民の権利のために新しい法規を制定する必要性を訴えた。カトリック教会の先住民宣教協議会は、今日ブラジルで最も組織的に先住民のために活動している非政府組織である。

 また私は、昨年7月、サンルイスで行われたカトリックの第9回全国キリスト教基礎共同体大会に参加して、キリスト教基礎共同体でも、先住民の課題を、小さく貧しい者の連帯として、真剣に受け止めていることを知った。ブロック協議では6大テーマの一つに「先住民」が掲げられ、真剣に議論された。「先住民は、社会的崩壊−民衆が命の祝宴から疎外されていること−が孤立した現象として起きているのではないという事実を思い起こさせてくれる。それは社会的、生態学的崩壊の一つの反映である。それ故に、基礎共同体の貧しい者たちは、先住民の代表に耳を傾ける時に、正しく行動する。」(基礎資料より)。この大会には多くの先住民が民族衣装をまとって参加し、先住民の存在と直面している課題をアピールした。その大半の人々にとっては、非先住民社会と友好関係をもつ初めての機会であったそうである。


(第9回基礎共同体大会に参加したインディオの若い参加者たち)

 最後に私の属するメソジスト教団の取り組みについて触れておきたい。先住民の問題は、究極のところ、土地問題に行き着くようであるが、メソジスト教団でも、先住民に土地を保証する必要性を訴えることを大きな課題としてきた。「先住民が自分達のことを自分達で決定するのを承認することは、先住民の土地所有を保証することを前提としている。土地は食糧、健康、喜び、祝宴、抵抗の闘いの記憶、先住民の希望、それらすべての保証である。土地のための闘いは個人、共同体、尊厳ある未来のための闘いである」(後述の「全国祈祷会」資料より)。その具体的な実践として、南マット・グロッソ州のカイオワ・グァラニー族を支援するタペポラン・ミッションを行っている。このミッションは改宗主義ではなく、共に行き、学びあう新しい形態の宣教である。一九九六年の「メソジスト教団・子どものための全国祈祷会」では全国の教会学校が、この宣教を覚えて、祈り、献金を捧げて祈りの輪を広げたことは、すでに紹介した通りである(1997年12月、ブラジル通信11参照)。

(『福音と世界』6月号、1998年5月)

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