主の体なる教会

〜ヨハネ福音書講解説教(3)〜
エズラ記5章6〜17節
ヨハネ福音書2章18〜22節
2002年4月21日(創立記念礼拝)
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)しるし

 先週の日曜日、私たちは、ヨハネによる福音書2章13節以下の、イエス・キリストがエルサレム神殿で大暴れなさったという物語を読みました。イエス・キリストは、縄で鞭を作り、羊や牛をすべて追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに、こう言われました。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」
 これを見ていたユダヤ人たちは怒って、このように言います。「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」(18節)。この言葉から先が、本日読んでいただいた箇所であります。
 ここで「しるし」という言葉が使われておりますが、これは、「そこに本当に神様がかかわっておられるしるし」ということであり、「奇跡」を意味する言葉でもあります。ヨハネ福音書では、特に重要な意味を持っている言葉です。「カナの婚礼」の終わりのところでも、「イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた」(11節)とありました。
 先ほどのユダヤ人たちの、詰問のような問いかけに対して、イエス・キリストは、こう答えられました。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(19節)。これが主イエスが「しるし」としてお答えになったものでした。やや謎めいた言葉でありますが、これがどういう意味であったかを尋ねる前に、この時の舞台となっておりましたエルサレム神殿について、お話をしておきましょう。

(2)エルサレム神殿の歴史

 エルサレム神殿というのは、聖書の時代を通じて、ユダヤ人たちの心のよりどころでありました。最初の神殿は、ダビデ王の息子、ソロモン王の時代に建てられました。紀元前10世紀のことであります。それまでイスラエルの指導者たちは、モーセが神様からいただいたとされる十戒が記された二枚の板を納めた「契約の箱」を、持ち回っていましたが、神殿ができた後、「契約の箱」はこの神殿に納められることになります。ですから神殿は神様とイスラエルの民をつなぐ象徴のようなものであり、実際、神様はそこで人間にまみえると考えられていました。ソロモン王の行った事業の中で、聖書が最も多くのページを費やしているのが、この神殿建築事業であります(列王記上5〜8章)。ソロモンの時代にイスラエル王国は、最も繁栄するのですが、そのソロモンの栄華をあらわすのが、この神殿でありました。これが最初の神殿です。ソロモンの神殿と呼ばれます。
 話は脱線しますが、イエス・キリストは、野の花をさして、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6章29節)と言われました。これは人間の作り出すどんなすばらしいものであっても、神様の創造の御業の前では、ちっぽけなものに過ぎないということでありましょう。
 さてその後、イスラエルは没落の道をたどり続けます。王国は南北に分裂し、まず北王国が、ついで南王国もバビロニア帝国によって滅ぼされます。この時、神殿もついに破壊されました。そして彼らはバビロンへ連れていかれました。バビロン捕囚と呼ばれる出来事(紀元前586〜538)で、それは今日、読んでいただいたエズラ記5章12節でも触れられております。
 その後、不思議な形でペルシャ王キュロスによって、彼らはバビロンから解放され、エルサレムの町の再建を始めることになります。ペルシャ王キュロスは、ユダヤ教徒ではありませんでしたが、彼らにエルサレム神殿の再建を許可するのです。イスラエルの人々にとって、町の再建に欠かすことのできないものが、神殿の再建でありました。今日のエズラ記の記事は、ペルシャがキュロス王から、次のダレイオス王になった時代が舞台でありますが、エルサレム神殿の再建が、先代のキュロス王によって許可されたもの、いや命じられたものであるかどうかを確認して欲しいという趣旨の手紙であります。この続きである6章の最初を読んでみますと、調査の結果、それが確かにキュロス王から出された命令であったということが記されております。この時に建てられたものが第二の神殿で、当時の指導者の名前をとって、ゼルバベルの神殿と呼ばれます。紀元前6世紀のことです。
 イエス・キリストが入っていかれた神殿は、実はその次の時代の神殿であります。ゼルバベルの神殿は最初からそれほど豪華なものではなかったようですが、その数百年後には、戦禍に傷ついた、見栄えのしないものとして残っておりました。それを大修復し、増改築したのが、誰だとお思いでしょうか。それは、かの悪名高きヘロデ大王でありました。歴史の本によりますと、ヘロデ大王は、この修復・改築工事を紀元前19年に始めたと言われております(ヨセフス『古代史』15:380)。イエス・キリストが活動なさったのを、仮に紀元後27年頃といたしますと、ここに記されている「この神殿は建てるのに、46年かかった」(20節)というのと、ほぼぴったり合致いたします。ヘロデ大王がどのような思いで、この神殿修復・改築工事に携わったのか、よくわかりません。プライドが高く、嫉妬心も強いヘロデのことですから、信仰心からというよりは、自分の威信を見せつけるために、それを行ったのであろうという気がいたします。
 歴史的なこととして、もう一つ大事なことは、この第三の神殿、いわゆるヘロデの神殿は、紀元後70年によってローマ帝国の軍隊によって破壊されるということです。ですから、イエス・キリストの時代には、まだこの神殿はありましたが、ヨハネ福音書が書かれた時代には、もうこの神殿はなくなっておりました。

(3)神殿崩壊の予言

 さて随分前置きが長くなりましたが、先ほどの主イエスの言葉に戻りましょう。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」。これに対してユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」(20節)という応答をいたしました。これは、ちょっととんちんかんな問答でありますが、この「とんちんかん問答」というのは、ヨハネ福音書独自の手法、語り口でありまして、この後、何度も出てきます。主イエスがまず謎のような言葉を語られ、それに誰かがとんちんかんな答えをした後、主イエスがその深い真理を語り始められる、という形です。この次の主イエスとニコデモの会話の中にも早速出てまいります(3章4節)。ただ今日のところでは、その後、イエス・キリストは何もお答えになっておらず、ヨハネ福音書の記者が、いわばト書きのようにして「イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである」(21節)という説明をしています。それはヨハネ(福音書記者)の解釈とも言えるわけですが、そもそも「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」という主イエスの言葉は、どういう意味であるのか、ヨハネの解釈にとらわれずに考えてみましょう。私は二つのことが考えられると思います。
 一つは、「この神殿を壊してみよ」というのは命令形ですが、それはこののち40年後に起きるエルサレム神殿の崩壊を予告した言葉になっているということです。どういう背景でこの言葉が語られたのかを、もう一度振り返ってみますと、神の家とも言うべき神殿が、商売に利用され、堕落している、腐敗しているということでした。主イエスはそれをご覧になって、「そんなことはやめてしまえ」と言って、机をひっくり返したりなさったのです。紀元後70年のエルサレム神殿の崩壊という事件は、ただ単にローマの軍隊がやってきて、神殿を破壊したというのではなくて、そこに神様の裁きを見ているのです。この時、彼らがやっている不信仰な行為自体がエルサレム神殿を崩壊させるものであるということ、それを呼び込んでいるということです。
それは、この瞬間の彼らの不信仰ということにとどまりません。いやこの神殿再建が始まった46年間にもとどまりません。そもそもソロモンの神殿が建てられ始めた時から数えますと、実に1000年におよぶイスラエルの歴史というものが、その背景にあるのです。エルサレム神殿はイスラエル民族のアイデンティティーそのものだったと言えるかも知れません。だからこそ、彼らはバビロンから解放された時にも、何よりも先に神殿再建に取りかかったのでした。しかしそれは同時に、神の民の、罪の歴史を刻むものでもありました。彼らのアイデンティティーそのものであるようなエルサレム神殿が、あなたがたのこのような罪の結果、今、崩壊しようとしている、というのです。1000年の歴史、それは私たちの想像を絶するような長い期間であります。その間イスラエルの民は、この神殿を通して神との交わりを続けてきました。しかしその神と人間の交わりの場所が、人間の罪によって一瞬のうちに崩壊しようとしている。これは神殿といえども、あるいは私たちに引き寄せて言えば、教会といえども、そこが人間的な思い、思惑に支配される時に、実にもろく崩れ去るものだということを、深く考えさせるものであります。

(4)神殿・教会の回復

 しかし、イエス・キリストの言葉はそれで終わりません。「三日で建て直してみせる」。これは実に深い意味のある言葉ではないでしょうか。イエス・キリストは、罪によって絶たれようとしている「神と人間がまみえる場所」を、三日で建て直すことがおできになる、というのです。イエス・キリストの三日は、この1000年の歴史に相当するのです。それ以上であると言ってもいいかも知れません。
 それは、イエス・キリスト以降の2000年におよぶ教会の歴史にしても同じであろうと思います。教会はこの2000年間一体、何をしてきたのか。確かに神の言葉を取り次いでまいりました。神の言葉の拠点となってきました。多くの、すばらしい信仰者を生み出してきました。そしてその人々は、その時代時代において、「神は確かに生きて働いておられる」ということを証してまいりました。
 しかし教会のしてきたことは、いいことばかりではありません。決してそれまでのエルサレム神殿の歴史を担ってきた人々の前で、「いや自分たちは違う」と、誇れるようなものではありません。教会の歴史もまた、エルサレム神殿の歴史と同様に、罪の歴史であり、間違いの積み重ねでありました。それはそれまでの歴史と全く変わりません。もしもほんのわずかよいものであったとしても、(そうですらないかも知れませんが)相対的な違いでしかないのです。何か違いがあるとすれば、それは「それを三日で建て直すことのできるお方が中心におられる」ということ以外にありえないのではないでしょうか。その方によってこそ、教会はまことの教会として立つのです。教会もまた罪を犯し続け、それによって神の裁きを招いてきたことも事実であります。しかしながら、そうした中にあって教会は、イエス・キリストという原点に立ち返りながら、生かされ続けてきたのです。

(5)経堂緑岡教会の歴史

 今日、私たちは経堂緑岡教会創立72年の記念礼拝を守っております。創立記念の日に、そのことを思い起こすことができるのは、何と幸いなことであろうかと思います。この教会もまた素晴らしい先達に恵まれ、多くの証人を生み出してまいりました。その人たちによって、教会は歴史を刻んでまいりました。しかしもう少し厳密に言うならば、その人たちの信仰が教会を築いたというよりは、その人たちの信仰を用いながら、イエス・キリストが教会を築き、支えてこられたのです。
 そしてこの教会もまた、他の教会同様、さまざまな人間的な思い、思惑によって揺さぶられてきたということもあるでしょう。先週、私は教会の創立記念日を覚えて、教会の『五十年史』をひもといて、改めてそのことを思いました。経堂教会と緑岡教会の合同に際しては、特に緑岡教会の側で大きな動揺があり、礼拝出席も激減したということが記されておりました。しかしイエス・キリストは、今日まで教会をこのように支え続けてくださいました。その他にも、教会もまたこの世の組織であるという一面をもっている限り、いろんなことがあったに違いありません。しかし「三日で建て直すことができる」お方によって、教会は支えられ、建て直されてきたのであります。

(6)十字架と復活

 「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」という言葉の、もう一つの大事な意味は、イエス・キリストの十字架と復活ということであります。ヨハネ福音書の記者は「イエス・キリストの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」と注釈しています。つまり「この神殿を壊してみよ」という言葉は、「やがてあなたがたは自分を十字架にかけて殺すであろう。そうするがよい」ということであります。これは開き直りではありません。すでに、イエス・キリストはこの時、十字架を見据えておられたということです。そうだとすれば、「三日で建て直してみせる」というのは、三日目、イースターの日のよみがえりを予言した言葉として受け止めることができるでありましょう。22節に「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちはイエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」と記されている通りです。
 イエス・キリストが十字架にかかられたとき、そこを通りかかった人が何と言ったかご存じでしょうか。こういう風に言ったのです。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」(マルコ15章29〜30節)。恐らくイエス・キリストが、神殿で語られたこの言葉が、謎めいたままで語り伝えられ、それがイエス・キリストを笑いのネタにする材料として用いられてきたのでしょう。そのイエス・キリストに対する嘲笑がゴルゴタの丘にまで、十字架のもとにまで、こだましているのです。そのような人間的嘲笑の中で、イエス・キリストは自らが語り、彼らが笑いの材料にしたその言葉を、実現してくださいました。十字架から降りてみせるという仕方によってではありません。降りてこないのです。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」。その言葉に対して、降りてくることによってではなく、降りないで、十字架に留まり続け、死に至ることによって、応えられたのです。まさにその不思議な仕方によって、主の体という神殿は三日後に「再建」されるのです。
 私たちの教会も、主の体なる教会です。私はここにこそ、この十字架のイエス・キリストの姿の中にこそ、そして三日目によみがえられたあの復活の姿の中にこそ、教会のよってたつ根拠があると思います。いや教会はここにしか建ち得ないのです。人間的な思いや思惑の上に教会を建てようとする時、それがたとえ信仰であったとしても(人間の信仰は揺らぐのです)、その教会はもろいと言わざるを得ません。むしろその信仰の根源に目を向け、その信仰を与えてくださったイエス・キリストにより頼みながら、その上にこそ教会は建つということを学びたいと思います。私たちも改めてそのことを覚えながら、経堂緑岡教会73年目の歩みを始めていきましょう。