〜出エジプト記講解説教(3)〜
<青年モーセの軌跡1>
出エジプト記2:11〜25
ヘブライ11:24〜27
2002年6月2日
経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之
この6月、私たちは青年月間として過ごすことになりましたが、礼拝の説教では、主にモーセ物語を通して、青年モーセの心の軌跡をたどっていきたいと思います。すでに5月の説教において、モーセの誕生にまつわる物語を読んでまいりましたが、今日の話はその続きであります。モーセはヘブライ人の子どもとして生まれた後、不思議な形でエジプトの王女の養子となり、いわばエジプトの王子として成長いたします。
「モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出ていき、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を埋めた」(11〜12節)。
モーセはエジプト人の身なりをしていたでしょうけれども、実は自分がヘブライ人であることを知っていたということが、この言葉からわかります。
11節の「エジプト人がヘブライ人を打っていた」というのは、内容的には多くの学者が言うように「打ち殺していた」ということでありましょう。最近、岩波書店から刊行されました『旧約聖書』では、はっきり「モーセは、あるエジプト人の男が、自分の同胞である一人のヘブライ人の男を打ち殺しているのを見た」と訳されています。ただし12節の「モーセがエジプト人を打ち殺した」の「打ち殺す」と、原文では違う動詞が使われておりますので、その使い分けには何らかの著者の思いがあるのかも知れません。私は、エジプト人の監視が奴隷であるヘブライ人を打ち殺していたのは、それはもはや殺人事件とは言えないほど日常茶飯事のことであり、一方、モーセがエジプト人の監督を打ち殺したのは、いわば非日常的事件であった、という含みがあるように思います。
いずれにしろモーセは、自分の同胞が虐待され、迫害されているのを見るに耐えなかったと同時に、自分がエジプト人になってしまい、同胞を抑圧し、迫害する側に立っているということに耐えられなかったのではないでしょうか。ここには青年らしい、正義感にあふれたモーセがおります。
翌日、別の事件が起きます。モーセは前日同様、同じ場所へ出ていくのです。自分が秘密にやったことが本当にばれていないか確かめるような気持ちであったかも知れません。あるいは自分は同胞のためにいいことをしてやったのだという誇らしげな気持ちであったのかも知れません。恐らくその両方でありましょう。今度はそこで、ヘブライ人同士が殴り合いのけんかをしておりました。そこで早速、モーセはけんかの仲裁に入ります。「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめるのです。ところが意外なこたえが返ってきました。「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」(14節)。
モーセがこの時、どういう格好をしていたのか、明らかに王女の息子とわかるような格好をしていたのかどうかはともかく、少なくとも王女の子としていいものを食べて育っていますから、体格は全く違っていたでありましょう。しかもエジプト人を打ち殺すだけの力をもっています。この男は、モーセが前日エジプト人を打ち殺したことを知っていました。もしかするとみんなが知っていて、公然の秘密であったのかも知れません。いずれにしろこの男はその情報を、自分を守るために暴露しました。
モーセははっといたします、「さてはあの事が知れたのか」。モーセにしてみても全く意外なことであったでしょう。彼自身、前日の事件で、どこか得意になっていたのかも知れません。「自分はやはりヘブライ人だ。エジプト人の格好をしているけれども、心はヘブライ人だ。ここにいる人と同じだ。」そう思ったからこそ、けんかの仲裁に入ったのです。「どうして自分たちの間で、争いをするのか。闘う相手が違うだろう。」しかしその思いは見事に裏切られて、しっぺ返しを受けたのです。
そして一旦、公のことになってしまった以上、いずれ王ファラオの耳にも入るでしょう。事実ファラオはその事件を知り、モーセを殺そうとします。王は、モーセがヘブライ人の子であることを、この時点で知ったのか、前から知っていてそれを見逃していたか。とにかくこの事件をきっかけに、自分が裏切られたように思い、他の誰に対するよりも憎しみが募ったのではないかと思います。モーセはファラオの手を逃れて、ミディアン地方へと逃げていきました。そこまでが、今日の物語の前半であります。
このミディアン地方というのは、聖書巻末にある地図「2 出エジプトの道」によりますと、紅海(アカバ湾)の東側であることがわかります。随分遠くまで、逃れてきたものです。
モーセはそこにたどり着いて、とある井戸の傍らに腰をおろしていました。七人の娘たちがやってきて、水くみをしております。モーセはその情景をただじっと見ていたのでしょう。彼女たちが水をくみ終わり、いざ自分たちの、父の羊たちに飲ませようとしたところへ、別の羊飼いの男たちがやってきて、娘たちを追い払いました。彼らはただ単に彼女たちに水をくませまいとさせたのではなく、彼女たちが一生懸命くんだ水を横取りしようとしたのです。モーセはそこでさっと立ち上がり、逆に彼らを追い払いました。これはいわば三つ目の事件ですが、この三つの事件からすると、モーセはよほど腕力の強い男だったということ、そして本当に正義感のつよい男であったことがわかります。
娘たちは家へ帰っていきました。父が尋ねます。「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」(18節)。この言葉から、あの羊飼いたちの行動が、この日だけのことではなく、ほぼ毎日の出来事であったことがわかります。娘たちは、事情を話しました。「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました」(19節)。それを聞いた父親は、あわててこう言います。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方を放っておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい」(20節)。この三つの言葉は、彼の気持ちの推移をよく伝えていると思います。彼は3章1節によれば、エトロという名前でした。
娘たちにしてみても、「父親の許可なしに、勝手に男の人を連れ帰ることはできない」、と気持ちを押しとどめたのでしょう。「お父さんの許可が出た」ということで、急いでモーセを迎えに行きました。その後、モーセはそこにとどまる決意をし、やがて娘の一人であるツィポラと結婚をし、男の子が与えられました。モーセは彼にゲルショムと名付けました。この名前は「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」という意味でありました。
先ほど読んでいただいた新約聖書のヘブライ人への手紙は、この物語を次のように解釈して述べています。「信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました」(ヘブライ11:24〜26)。
出エジプト記の事件をわずか数節に凝縮しています。ただ注意しておかなければならないのは、これはひとつの解釈であって、絶対的ではないということです。新約聖書の中では、この他に使徒言行録の7章(ステファノの説教)においても、この事件について取り上げられていますが、この二つを比べてみても、随分解釈が違っております。
ここでヘブライ人への手紙の著者が強調していますのは、「信仰」ということです。「ファラオの王女の子と呼ばれる」かわりに「神の民と共に虐待される」、「はかない罪の楽しみ」よりも「キリストのゆえに受けるあざけり」を受ける、そこに、この手紙の著者は「信仰」を見いだしています。虐待されている人、弱い立場にある人と共にあろうとすることは、「信仰」と関係があるというのです。どうしてかと言いますと、まさに神様がそういう方であるからです。神様に従うことが信仰であるならば、その神様の意志に沿って生きようとすることは信仰の応答でありましょう。
ヘブライ人への手紙の著者は、ここでキリストの名前まで持ち出しております。「キリストのゆえに受けるあざけり」というところだけ読むと、もしかするとモーセをキリストと同時代人か、あるいはそれ以降の人物であると誤解する人もあるかも知れません。もちろんそうではありません。モーセはイエス・キリストよりも約1300年も前の人物であります。しかしそのように虐待される人と共にあることは、「キリストのゆえにあざけりを受ける」ことだと、この手紙の著者は言うのです。
それは時代を超えて、今日の私たちにもあてはまることであろうと思います。イエス・キリスト御自身がそういう人たちと共にあったからです。だから私たちもそこに自分を置くことで、キリストの苦しみと恥に参与する者となるのです。私はこのところから、イエス・キリストの有名な言葉を思い起こします。「はっきり言っておく。わたしの兄弟である、この最も小さい者にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)。
今日のテキストは、前半と後半の二つの物語から成り立っていますが、この二つは極めて対比的であります。まず第一に、前半のエジプトの物語において、モーセはエジプト人であることをやめてヘブライ人であろうとするのですが、後半のミディアンの物語では、皮肉にもモーセはエジプト人だと呼ばれています。また前半の物語ではヘブライ人であろうとするにもかかわらず、ヘブライ人から拒否されるのですが、後半の物語では、エジプト人と呼ばれているにもかかわらず、受け入れられています。さらに前半の物語で拒否された結果、モーセは自分の生まれ故郷を立ち去ることとなり、後半の物語の結果、モーセは自分の第二の故郷となるべき安息の場所を見いだしていくのです。
さて私は今日の物語から、暴力ということについて、もう一度きちんと考えておく必要があるのではないかと思いました。それは社会変革の手段として、暴力を用いてよいのかどうかという問題であります。モーセはヘブライ人を助けようとして、結局、一人のエジプト人を殺してしまうわけですが、このことについて私たちは慎重に考えなければならないでありましょう。聖書そのものは、このモーセがふるった暴力に対して、道徳的にそれが正しかったとか、間違っていたとか、何も記しておりません。賞賛することも非難することもしておりません。むしろ出来事だけを感受性豊かに描き、判断は読者自身に委ねているようであります。モーセは自分のためではなくて、他の人のために不正をただすための行為を行いました。彼は自分の命の危険を冒しながら、他の人を思う愛の気持ちから暴力をもって対抗しようといたしました。
しかしながら、その結果、一体どうなったかということを、少し追ってみたいと思うのです。モーセは自分のやったことは、同胞であるヘブライ人たちのためであり、彼らにも理解されるであろうと思っていたのではないかと想像しますが、結果は、そのようにはなりませんでした。事件は違った方へと進んでいくのです。「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」。彼は、エジプト人を殺すことによって同胞に受け入れられ、仲間になるよりも、むしろ反対にそこから離れざるを得なくなってしまいました。
さらにモーセの行った行為が果たして何かを解決したであろうかということを考えてみなければなりません。この暴力事件をきっかけにしては、出エジプトの解放はおこりませんでした。モーセは、この行為の結果として、結局エジプトを立ち去らざるを得なくなってしまいます。
第三に、モーセはここでヘブライ人同士のけんかの仲裁に入ろうとしたのですが、前日に行った行為があだとなって、彼はもはや仲裁者としてふるまうことができなくなってしまっています。彼のどんなよい言葉も意味を失ってしまったということです。
私は、実はアメリカで学んでおりました時に、第三世界から起こってきています解放の神学に大きなチャレンジを受けまして、その重要性を深く受けとめている者の一人であります。解放の神学というものの最も大事な点は、聖書のメッセージを内面的、心情的にだけに読んでいたことから、もっとダイナミックに歴史のコンテクストを踏まえ、社会的地平で読むことを促したことでありましょう。神様がこの世界において、この歴史の中で、具体的に今、社会状況として虐待され、拒否され、抑圧されている人々と共にあり、そういう人たちを解放されるのだ、ということを大胆に告げるのです。私たち日本人のクリスチャンは、そうした解放の神学に対して、最初から批判的な眼鏡でもって見がちでありますが、もっと真剣にこの解放の神学のチャレンジを受けとめなければならないと、常々思っております。
解放の神学に向けられる批判の一つは、それが武力闘争を擁護するということ、ひいては暴力を肯定しているということでありますが、解放の神学のすべてがそうであるわけではありません。幅が広いのです。さらに私たちはその「暴力」を批判する時に大抵は、彼らに向けられているそれよりもはるかに大きな(構造的)「暴力」、彼らをがんじがらめにしている力については沈黙しているものだということを忘れてはならないでしょう。
しかしながらそうしたことをすべて踏まえた上で、私はこの物語が暗示していることを聞き取りたいと思うのです。それは、暴力に対して、暴力で対抗することでは問題は解決しないということではないでしょうか。モーセは、エジプト人を殺すことにより、何も問題を解決することができませんでした。むしろそのことで、味方よりも敵を作ってしまい、和解の言葉も意味をなさなくなり、そこから逃げ出さざるを得なくなってしまったのでした。モーセは挫折して、矛盾の中に陥ってしまいます。
モーセは、自分がエジプトの王子として、同胞を抑圧する側に立っていることをよしとせず、立場を変えて、抑圧されている人と共にあろうとしました。そこには、若者らしい彼の正義感とひたむきさ、そして彼の信仰が表れております。私たちはそうしたことを青年モーセから学ばなければならないでしょう。しかしそこから安直にエジプト人を殺して解決しようとしたことは、彼の若気の至りであり、若さ故の未熟な行動ではなかったかと思います。神様は、そのようなモーセを育て、やがて改めて召し出し、御自身の計画の中で大きく用いられることになるのです。