自分を問うモーセ

〜出エジプト記講解説教(4)〜
<青年モーセの軌跡2>
出エジプト記3:1〜12
マタイ28:16〜20
2002年6月16日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)私は何者か

 私たちの人生において最も大きな問いは、「私は何者か」という問いではないでしょうか。みなさんは、自分が一体誰であるか、何者であるか、ご存じでしょうか。千九百何年にどこで、誰と誰の子どもとして生まれた。兄弟は何人いる。子どもは何人いる。何を勉強している。何の仕事をしている。そうした履歴書に書くような客観的な事柄については知っております。しかしそれは「私は一体何者か」という深い問いに答えるものではないでありましょう。
 私は一体どういう人間なのか。一体何のために生まれてきたのか。どこから来て、どこへ向かって生きているのか。私自身、一体何をしたいと思っているのか。これは大きな問いであります。使徒パウロは、こう記しました。「私は自分のしていることがわかりません。自分の望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです」(ローマ7:15)。私は、このパウロの気持ちがよくわかります。私たちは自分でしていることすら、本当はよく知らないのです。これは、私たちがこの世で人間として生きる限り、ずっとついて来るものでありましょう。そうした中にあって特に、自分が何者であるかを見定めるべき青年期を生きる人間には、とりわけ大きな、そしてある時には深刻な問いであります。アイデンティティー・クライシス(自分が何者であるか分からなくなること)に陥り、それ以上生きる意義を見いだせず、死を選び取ってしまう人も中にはあるほどです。

(2)日系ブラジル人

 私はブラジルでの最初の4年半は日系人教会の牧師をしておりました。ブラジル日系人、特に二世の人々にとって、「私は何者か」という問いは、また独特の重みをもっておりました。日本とブラジルという全く違う二つの文化の中で、「自分が一体誰か」を問い直さざるを得ないからです。
 親は日本人であり、顔つきは全くの日本人。けれども生まれはブラジル。日本へは行ったこともない。言葉は基本的にポルトガル語の方がいいけれども、家の中では日本語。親が厳しく、家では日本語と決めた。だから日本語もポルトガル語もわかる。日本人と話す時は日本語で話し、ブラジル人と話す時はポルトガル語で話す。日本人と話す時は日本人のようになり、ブラジル人と話す時はブラジル人のようになる。しかしいつもそうであるわけではない。日本人がブラジル人の悪口を言っていると、ふとブラジル人の自分が出てきて、ブラジル人の弁護をする。反対にブラジル人が日本人の悪口を言っていると、やはり同じように心が痛み、日本人の弁護をする。学校へ行くと、みんなジャポネース、ジャポネースと言う。自分でもそうだと思って育つ。学校を卒業して、日本へ行くチャンスができた。ある場合は研修、ある場合は、労働。しかし彼らは日本で何を見いだすのでしょうか。「自分は日本人ではない」ということです。肌の色は日本人、顔つきも日本人。ですから街を歩いていても誰も、外国から来たとは思わない。しかし全く未知の国、未知の世界、自分は全く異なった世界からやってきたストレンジャーだということを見いだすのです。「自分は一体何者なのか」。

(3)エジプト人か、ヘブライ人か

 私たちは、モーセの物語を続けて読んでおりますが、このモーセという人もそのような二つの人種、二つの文化のはざまで、アイデンティティー・クライシスを経験した人でありました。
 私たちはこの6月を青年月間とし、「青年モーセの心の軌跡をたどる」と題したシリーズの説教をしておりますが、お断りしておかなければならないのは、今日の箇所に出て来るモーセは、通常の意味ではすでに青年とは言えない年齢であるということです。出エジプト記7章6節によれば、モーセがエジプトに戻り、ファラオと話をした時、80歳であったということですから、それにそう遠くない年齢であったと思われます。
 しかしながら、モーセはこの後、イスラエルの民の出エジプトを実現させ、40年間荒れ野の 旅を導き、120歳で死んだ、と聖書には記されています(申命記34:7)。そうしたことを考えますと、今日の箇所のモーセは、まだ青年と言えるのではないかと思います。あるいは、すでに老齢にさしかかっていたモーセを、神様は青年として召し出されたということができるかも知れません。
 モーセはエジプトを去った後、ミディアン地方に落ち着き、ツィポラという女性と結婚をし、すでに子どもを得ております。そしてしゅうとエトロの羊を飼う仕事をしておりました。モーセはエジプトを逃げ出した人間であります。エジプトをなつかしく思うことはあっても、結局エジプトには彼の居場所はありませんでした。ヘブライ人の子として生まれ、エジプト人として育ちました。しかもエジプトの王女の子どもとして育ちました。しかし同胞が虐待されるのを見るに忍びず、エジプト人であることをやめて、ヘブライ人として生きようとしました。しかしそのヘブライ人からも拒否されてしまったのです。一体自分は何者か。エジプト人なのか、ヘブライ人なのか。その両方なのか、あるいはそのどちらでもないのか。アイデンティティー・クライシスであります。そのように故郷を喪失し、自己を喪失した人間が、このミディアン地方においてようやく家族を得て、自己を回復し、新たな故郷を見いだしていったのです。モーセにしてみれば、このミディアンこそ、終の棲家となるはずの場所であったでありましょう。長い年月を経て、モーセはようやくエジプトのことを忘れることができたでありましょう。

(4)柴の中から呼びかける神

 ある日のこと、モーセはいつものように、羊の群を飼う仕事をしていましたが、いつもと違う出来事に遭遇いたします。荒れ野の奥、ホレブ山に来た時、柴が燃えているのを見ました。砂漠にはえる柴が暑さと乾燥のために自然発火して燃えることは時々あったようです。しかし不思議なことに、その柴は燃えても燃えても、燃え尽きないのです。モーセはいつものコースから逸れて、その不思議な柴を見に行きました。すると主なる神が、「モーセよ、モーセよ」と呼びかけられました。
 私たちの神様との出会いも、そのように全く日常的な生活の中で起こるものではないでしょうか。毎日の仕事、毎日の生活をしていながら、そこにいつもと違う何かが入り込んできて、私たちの生活はそれ以前と、それ以降、全く違ったものになるのです。神様が私たちの生活に介入される時というのは、そういうものであろうと思います。
 モーセが「はい」と返事をすると、「ここに近づいてはならない。足から履き物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」(5節)と言われました。モーセは、何も言わず、ただ神を見ることを恐れて顔を覆いました。神は続けます。

「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫びを聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と密の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、アモリ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。見よ、イスラエルの人々の叫びが、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た」(7〜9節)。

 ここまでは、いわば神とイスラエルの民との関係のことです。ですからモーセも、恐ろしさに顔を伏せながらも、ただ黙って聞いていればよかったのです。モーセの方も、もしかすると「そうか、神様が彼らの願いを聞かれたのだ。よかった」と、心のうちに思ったかも知れません。

(5)モーセの応答

 しかしここでその関係の間に、モーセが引き入れられるのです。

「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」(10節)

 モーセはびっくりして、このように言いました。

「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」(11節)。

 この言葉は、この時のモーセの気持ちをよく言い表していると思います。
 「私は何者でしょう」というモーセの言葉は、一つには、「自分は一体どれくらいの者でしょう。自分はそんな大それたことをできるような人間ではありません」ということでありましょう。「かつての自分であれば、もっと大胆に、このような神の召しを受けたかも知れない。あの頃は社会の不正を許せず、正義感に燃えていた。向こう見ずなところもあった。しかし今は違う。神様、私はもうそれほど若くはありません。あなたは私を過大評価しておられるのではないでしょうか。」モーセはそのように考えたのでありましょう。
 それと並んで、私は、この「私は何者でしょう」という問いには、先に申し上げました彼のアイデンティティー・クライシスがあるのではないかと思うのです。自分はエジプト人なのか、ヘブライ人なのか、その両方なのか。どちらでもないのか。私は両方から拒否された者だ。モーセはこう続けます。「どうして、ファラオのもと行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」(11節)。「もう勘弁してください。私はここで結婚をし、家庭を築き、子どもも生まれました。エジプトには自分の居場所はありませんでした。ここでようやく終の棲家を見つけたのです。私のようやく手にした、この穏やかな生活を、どうかかき乱さないでください。」
 モーセという人は、最初から神様の召しを素直に受けたのではありませんでした。何とかしてそれを逃れようと必死になって抵抗している。それはこの後もまだまだ続いていくモーセの態度であります。

(6)ボンヘッファーの獄中詩

 ディートリヒ・ボンヘッファーという神学者がいました。20世紀前半、ドイツの神学者であります。ナチスに対する抵抗運動を繰り広げ、ナチスに協力する教会(ドイツ国家教会)に対する鋭い批判をしながら、ナチスに組みしない教会(ドイツ告白教会)のリーダーになっていきました。しかしナチスの強い圧力のもとに、この教会運動も内部分裂して崩壊していきました。この教会運動に挫折したボンヘッファーは、やがてナチス打倒のクーデターをめざす政治的地下抵抗組織に入っていきました。それはヒットラー暗殺計画をも企てる程の過激な組織でありました。この時代のドイツの良心的な人々は、「そうでもしない限り、ドイツは変わり得ない」、そう考えたのであろうと思います。ボンヘッファー自身は暗殺計画には加わっておりませんでしたが、その組織のメンバーであることが発覚して、1943年4月5日に逮捕されてしまいます。2年間の獄中生活の後、1945年4月9日、フロッセンビュルク強制収容所で、絞首刑に処せられました。連合軍がドイツを占領するわずか数週間前のことでありました。
 ボンヘッファーは、獄中で幾つかの詩を書き残していますが、その中に「私は何者か」という詩があります。1944年の7月中旬に書かれたものです。少し長い詩ですが、読んでみたいと思います。この詩の前半にはボンヘッファーに対する人の評価が書かれています。ボンヘッファーという人は、牢獄にあっても、全く怖じることなく堂々としていたようであります。少なくとも人目にはそう見えたのでした。

「私は一体何者か。
悠然として、晴れやかに、しっかりした足どりで、
領主が自分のやかたから出て来るように
獄房から私が出て来ると人は言うのだが。

私は一体何者か。
自由に、親しげに、はっきりと、命令をしているのが私の方であるように、
看守たちと私が話をしていると人は言うのだが

私は一体何者か。
平然とほほえみを浮かべて、誇らしげに、
勝利にいつも慣れているように、不幸の日々を私が耐えていると
人は言うのだが。

私は本当に人が言うような者であろうか。
それとも、ただ私自身が知っている者にすぎないのか。
籠の中の鳥のように、落ち着きを失い、憧れて病み、
のどを締められた時のように、息をしようと身をもがき、
色彩や花や鳥の声に飢え、やさしい言葉、人間的な親しさに恋いこがれ、
恣意や些細な侮辱にも怒りに身を震わせ、
大事件への期待に追い回され、
はるかかなたの友を思いわずらっては気落ちし、
祈り、考え、活動することに茫然とし、意気阻喪しつつ、
あらゆるものに別れを告げる用意をする。

私は一体何者なのか。
前者であろうか、後者であろうか。
今日はある人間で、明日はまた別の人間であろうか。
どちらも同時に私なのであろうか。
人の前では偽善者で、
自分自身の前では軽蔑せずにはおられない泣き言を言う弱虫であろうか。
あるいは、なお私の中にあるものは、
既に勝敗の決した戦いから、算を乱して退却する敗残の軍隊と同じなのか。

私は一体何者なのか。
この孤独な問いが私をあざ笑う。
私は何者であるにせよ、
ああ神よ、あなたは私を知り給う。
私はあなたのものである。」(森平太訳)

 この詩によれば、ボンヘッファーは「私は何者なのか」という問いに直接的な答えを得たわけではありませんでした。しかし不思議な形でその問いは、解決を見いだして後退し、ボンヘッファーは平安を得ていくのです。

「私は何者であるにせよ、
ああ神よ、あなたは私を知り給う。
私はあなたのものである」。

(7)「私はあなたと共にいる」

 モーセの場合はどうだったでしょうか。モーセの「私は何者でしょう」という問いに対しても、神は直接答えられたわけではありませんでした。神が答えられたのは、こういう言葉です。

「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」(12節)。

 この問答はかみあっていません。しかしこのかみあわない問答の中に、人生の真理が含まれているのではないでしょうか。それはボンヘッファーが見いだした真理でもあります。
 「私は何者か」という問いに正確な答えはありません。一時、その答えを見いだしたとしても、私たちは次の瞬間に、また問い始めるでしょう。「私は何者か」。しかしこの問いに答えが得られなくても、私たちは平安を得ることができるのです。ボンヘッファー流に言うならば、たとえ私が何者であるにせよ、神は私が何者であるかを知っておられるということです。そしてその神は、私が何者であるかを知っておられるだけではなく、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われるのです。
 イエス・キリストは復活の後、再び弟子たちの前に姿を現し、力強い言葉をもって弟子たちを派遣されました。

「あなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:19〜20)。

 私たちも、神の、そしてイエス・キリストの、この力強い約束に支えられて、神の召しに応えられる歩みをしていきましょう。