この人を見よ

〜ヨハネ福音書講解説教(6)〜
イザヤ書57章14〜15節
ヨハネ福音書3章22〜30節
2002年7月14日
経堂緑岡教会   牧師  松本 敏之


(1)洗礼者ヨハネとは誰か

 本日、私たちに与えられた聖書の箇所には、「イエスと洗礼者ヨハネ」という題がつけられております。洗礼者ヨハネは、すでにヨハネ福音書の第1章に登場していますが、そこでヨハネは「自分はメシアではない」とはっきり言い(1:20)、自分は「主の道をまっすぐにせよ」「荒れ野で叫ぶ声」だと述べました(1:22)。
 またマルコ福音書では、このように記されています。

「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野密を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。『わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしはかがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる』」(マルコ1:4〜8)。

そしてイエス・キリストが洗礼者ヨハネのもとにやって来て、このヨハネから洗礼をお受けになったことが記されております。
 また今日のテキストの中で、唐突に「ヨハネはまだ投獄されていなかったのである」(24節)と記されていますが、これについては、たとえばマタイ福音書14章1節以下に記されております。ヨハネは、領主ヘロデが兄弟の妻ヘロディアを横取りしたということを非難して、牢屋に入れられることなります。その後ヘロデの誕生日にヘロディアの娘(サロメ)が、美しい踊りを踊り、ヘロデはうれしくなって、「褒美として、何でも欲しいものをやろう」と約束してしまうのです。彼女は母親ヘロディアの入れ知恵で、「ヨハネの首を盆にのせてもってきて欲しい」と言いました。ヘロデはみんなの前で約束したこともあり、そのようにしました。洗礼者ヨハネは、彼らの慰み物のようにされながら、首をはねられ、悲劇的な生涯を終えるのです。

(2)ヨハネの洗礼とイエスの洗礼

 さてそれらのことを踏まえながら、本日のテキストを読んでまいりましょう。

「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである」。
(22〜23節)

 サリムのアイノンというのは、ガリラヤ湖と死海の間で、ヨルダン川の西側にあった町です。ちなみに、サリムというのは、「平和」や「繁栄」を意味するシャロームと関係のある地名であると思われます。またアイノンというのは「泉」という意味です。
 一方、イエス・キリストは「ユダヤ地方」を、移動しながら洗礼を授けておられましたが、ある時、ヨハネとそう遠くないところまで近づいて来られたのでしょう。
 このヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こったというのです(25節)。この論争が、一体どういうものであったのかは記されていませんが、この後の文脈から想像いたしますと、恐らくヨハネの洗礼と、イエス・キリストの洗礼と、どちらの方が「清め」の力があるか、効力があるかというような論争であったことと思われます。

(3)洗礼は、人間の悔い改めのしるし

 私は、ここで少し立ち止まって、洗礼の意義ついて少し考えてみたいと思います。水によって清められるという考えは、ユダヤ教の中に、すでに古くからありましたが、それが一つの運動となって、ある種の入信儀式のような意味合いをもってきたのは、ちょうどこの時代であり、洗礼者ヨハネやクムラン教団と呼ばれるユダヤ教のグループによってでありました。
 先ほど引用したマルコ福音書の言葉によりますと、洗礼者ヨハネは「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼」を宣べ伝え、そして実行していました。この言葉からもわかりますように、洗礼というのは、まず「悔い改めのしるし」であります。特にヨハネは、あえて言えばそのことに限定して、洗礼というものを考えていました。それは「罪の赦しを得させるため」でありましたが、罪の赦しそのものではなかったわけです。ヨハネはそのところをよくわきまえていました。彼はあくまで人間として、神の領域を侵さず、その手前で、自分がなすべきこと、訴えるべきことは何かということをよく知っていたのです。
 私たちの洗礼というものも、それが一つには悔い改めのしるしであることを覚えたいと思います。もう少し広く言うならば、神様に立ち帰ること、神様の方へ向き直って生きるという決心のしるしです。もっともメソジスト教会や、ローマ・カトリック、聖公会という教派では、幼児洗礼というものを行います。それは、本人の悔い改めのしるしとは言えません。バプテスト教会では、幼児洗礼というのを行いません。そこには、洗礼は、本人の意志によって行われるべきものであるという神学があります。私自身は、バプテストの伝統の教会で洗礼を受けました。バプテストの神学は、それはそれできちんと筋の通ったものですが、一方で私は幼児洗礼にも大きな意味があると思っております。そう思って自分の息子には幼児洗礼を授けました。その意義については後で申し上げます。
 幼児洗礼には確かに本人の悔い改め、決断がないわけですが、そこにも必ず誰かの(ほとんどの場合は親の)「その子に洗礼を授けたい」という願いがあります。そしてその子の信仰を育んでいくという決心が存在します。それがないところでは、幼児洗礼といえども授けることはありません。やらないよりはやっておいた方がいいだろうということではないのです。
 かつてアフリカ大陸から黒人たちが奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられた時に、その黒人たちに、ホースか何かで大量洗礼を授けたという記録があります。そこには、「黒人たちは、アフリカでイエス・キリストを知らずに死んで、地獄に行くよりは、たとえこの世では奴隷としてアメリカへ連れてこられたとしても、洗礼を受けて、永遠の命を得て天国に行く方が幸せだ」という教会の、非常に身勝手な、ありがた迷惑な論理があったわけです。もちろんそれは間違っております。
 洗礼は、一人一人を人格として認め、祈りがあって初めてなされるべきものであります。その子がまだ信仰の決断(神様に向いて生きる決断)ができないときに、誰かの代理の信仰によって洗礼が授けられるということです。このことは、ただ単に幼児にとどまらず、さまざまな形で障害をもった人など、自分では信仰告白ができない人にも洗礼が授けられる道が開かれていることを示していると思います。そのことは、神学的に間違ってはいないし、むしろ深い意味があると思うのです。

(4)洗礼は、神の恵みのしるし

 そのように、洗礼は、私たち人間の側から見るならば、悔い改めのしるし、あるいは信仰の決断のしるしでありますが、私たちの洗礼には、もう一つ大切な意味があることを忘れてはなりません。それは、神様の側から言うならば、洗礼は、私たちに向けられた神様の恵みのしるしである、と言うことです。私たちは、そのことを信じて洗礼を授け、洗礼を受けるのです。「神様が、この洗礼を通して私にしるしをつけてくださる」。あるいは「この子にしるしをつけてくださる」。こうした面があるからこそ、幼児洗礼というものにも大きな意義があるのです。
 洗礼には、日付と場所と司式者が存在します。私は高校一年生の時に洗礼を受けました。高校卒業後、二浪いたしまして、その間はあまりきちんとした教会生活を送っていたわけではありませんでした。しかしながら、洗礼を受けていたおかげで、自分は洗礼を受けたクリスチャンなのだという自覚だけは持ち続けることができました。教会から少し遠のいている時にも、それは消えないのです。ある人はそれを消したいと思うかも知れませんが、消せないのです。否定できない。証拠が残っている。いや自分の体にそれが刻み込まれているのです。もしもそれがなければ、ある時熱心に教会へ通っていたとしても、そのうちに行かなくなってしまうと、「いやあ、あれは若気の至りでした」とか、「お恥ずかしい限りです」とか言って過去のことになってしまうでしょう。しかしながら、ある時、神様と私たちが接するようにして、そこにしるしがつけられ、それがずっと残っていくのです。私たちの決心に応じて、あるいは私たちの決心を超えたところで、私にしるしをつけ、私を清めてくださる、命の中に入れてくださるということが、私たちの洗礼の大きな意味であろうと思います。

(5)道備えにして、証人

 さて、ヨハネの弟子たちはヨハネのもとに来て、こう言いました。

「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています」。
(26節)

 このヨハネの弟子たちの言葉には、一種のひがみ、あるいはあせりのようなものが感じられます。「ヨハネ先生、あのイエスという人は、あなたから洗礼を受けた人でしょう。いわばあなたの弟子ではありませんか。それが今、みんなあの人の方へ行っていますよ。悔しいじゃありませんか。放っておいていいのですか」。
 しかしその弟子たちの問いに対するヨハネの答えというのは、非常に冷静であり、自分の分をよくわきまえたものでありました。「自分はメシアではない」、「あの方の前に遣わされた者だ」(28節)「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」(29節)。そして最後の言葉です。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(30節)。この最後の言葉は、負けを認めた人間の敗北宣言のように聞こえるかも知れません。「私の負けです。完敗いたしました」。あきらめと悔しさが感じられる言葉とも取られかねません。しかしそうではないのです。この言葉は、むしろ29節の「わたしは喜びで満たされている」という言葉の続きで読まなければなりません。
 この洗礼者ヨハネという人は、イエス・キリストの道備えをした人でしたが、ヨハネ福音書では同時に、イエス・キリストを指し示した証人であるということが強調されています。彼は、イエス・キリストと同時代人であります。ルカ福音書によりますと、洗礼者ヨハネは、イエス・キリストより6ヶ月前にエリサベトの胎に宿ったということでありました(ルカ1:33)。カトリック教会では、おもしろいことに、6月24日が聖ヨハネの日になっていまして、洗礼者ヨハネの誕生日をお祝いします。それはこのルカ福音書の言葉から計算して、誕生日もイエス・キリストの6ヶ月前ということになっているのです。ほぼ同い年、半年だけヨハネが年長です。このヨハネが置かれた位置、あるいは担った役割というのを見てみますと、まずイエス・キリスト以前において、旧約以来ずっと続いてきた最後の預言者であると言えるでしょう。旧約聖書のまとめをするように、そうしたすべての預言者の思いを身に引き受けて、イエス・キリストの直前にあって、その直接の道備えをしたのです。
 それと同時に、イエス・キリストの最初の証人であります。イエス・キリストの傍らに立って、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)と、イエス・キリストを指し示した人です。ですから旧約のまとめでありつつ、新約の先駆でもあると言ってもよいのではないでしょうか。「見よ、この人だ。私ではない。この人が来るために、私は道備えをし、この人が来たから、私はそれを証しする。そしてそれで役割を終えたのだ。」そこに本当の喜びがあることを知っていたがゆえに、そして本当に指し示すべきものが何であるかを知っていたがゆえに、ヨハネは、喜んで、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」ということができたのではないでしょうか。自分を卑下して言ったわけではありません。

(6)伝道者の模範

 私はこのヨハネの姿は、ある意味で伝道者・牧師のあるべき姿を、模範として指し示していると思います。プロテスタント教会の場合には、説教が礼拝の中心であるということもあり、しばしば「何々先生の教会」と言われます。「植村先生の教会」であるとか、「海老名先生の教会」であるとか、そういう風に呼ばれることが多いのです。そのような中で、ある伝道者の仕事が一体どういうものであったかということは、むしろその人が去った後で明らかになるものだと言われます。有名な先生が去った後、礼拝の出席人数ががたっと少なくなるということがしばしばあります。ある程度は仕方のないことでありますが、そうした時に、その人の指し示していたものは一体何であったのかということが、問われるのです。しかし逆に、あたかも何事もなかったのごとく教会形成を続けられ、何を心配していたのだろうということもあります。

(7)鉄道の保線夫

 ある人が伝道者・牧師の仕事というのは、鉄道の保線夫のようなものだと言いました。保線夫というのは、目立たない脇役、あるいは裏方のような仕事です。主役は、線路の上を走り抜ける電車です。それが滞りなく走り抜けることができるように、線路の点検整備をするのが、保線夫の職務であります。教会に当てはめてみるならば、電車はイエス・キリストです。あるいは聖霊と言った方がいいかも知れません。伝道者は、その聖霊という名の電車がきちんと走り抜けることができるように、自分の持ち場をしっかりと点検し整備するのです。このたとえは、伝道者のあるべき姿、また何をなすべきかをよく示していると思います。
 洗礼者ヨハネという人は、先ほど申し上げましたように、この世的な視点からすれば、非常に悲劇的な生涯の終わり方をしました。彼はその生き方だけではなく、その死に方においても、イエス・キリストの先駆であったと言えるでありましょう。イエス・キリストも洗礼者ヨハネと同じく、あるいはもっと悲劇的、かつ屈辱的、そして残虐な死に方をされたからです。ヨハネはしかしながら、そのように死んでいく中においても、自分の人生は決して無駄ではなかったということを十分に知り、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と思ったことであろうと思います。
 私たちがこの世で生きる時に、それは牧師でなくても、誰でも同じことが言えるのではないでしょうか。私たちの人生は、やがて必ず終わりを迎えます。ある人はこの世的な意味で成功をし、祝福のうちにその人生を終えるかも知れません。またある人は、この世的な意味では、恵まれない形で、それを終える人もあるかも知れません。しかしながらそうしたことはあまり重要なこと、本質的なことではなのです。本当に大事なことは、その生涯を通じて、イエス・キリストを指し示し、そしてそのことによって喜びを得たかどうかということにかかっているのではないでしょうか。私たちも洗礼者ヨハネからそのような生き様を学びつつ、彼が「この人を見よ」と指し示したイエス・キリストにつながって生きる者となりたいと思います。