〜出エジプト記講解説教(7)〜
出エジプト記4章18〜31節
使徒言行録15章22〜29節
2002年9月29日
経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之
しばらくぶりになりますが、今日は出エジプト記を共に読んでいきましょう。モーセは「不思議に燃え尽きない柴」のところで、「エジプトに帰ってイスラエルの民を奴隷の地から導き出せ」という神の声を聴き、随分抵抗するのですが、ようやくエジプトに行く決心をしました。今日のテキストはそこから始まります。彼はしゅうとであるエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」(18節)と言いました。この時、エトロは本当のことを知っていたのかどうかわかりませんが、彼を祝福して、エジプトに行くことを許しました。
そこで主は、再びモーセに現れて、このように言います。
「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」(19節)
私たちは、これとそっくりの言葉を、新約聖書からも聴いております。それはこういう言葉です。
「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは死んでしまった』。」(マタイ2:19〜20)
ただしこの時は、モーセの時とは反対に、エジプトが避難の地でありました。幼子イエスの命をねらっていたヘロデのもとを逃れ、ヨセフは妻マリアとその子イエス・キリストを連れてエジプトの地へ避難していたのであります。そして「ヘロデが死んだので、もうイスラエルの地へ帰れ」という主の天使のお告げを受けて、イスラエルの地へ帰っていったのでした。これらの記述は、この世の最高の武力をもってしても、神が守られるものは不思議に守り通される。決して殺すことはできない、ということを示していると思います。
モーセは妻子、つまり妻のツィポラと息子のゲルショムを連れ、彼らをろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトを目指してミディアンを出発しました。主はモーセに言われました。
「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心して行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」(21〜23節)
この主の言葉については、それが実際に語られた時、またそれが行われた時に触れることになりますので、今日は先へ進みましょう。
この後に記されているのは、非常に不可解な、謎に満ちた出来事です。
「途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた」(24節)。
まずここからして不可解です。主は今、モーセをエジプトに遣わすと言われたばかりであるのに、いきなりモーセを殺そうとされた、と言うのです。モーセが旅の途中で死にそうになり、それを「主が殺そうとされた」という風に理解したのかも知れません。しかしこれは一応、謎のままにしておき、続きを読んでみます。
「ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、『わたしにとって、あなたは血の花婿です』と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに、『血の花婿』と言ったのである」(25〜26節)。
このいわゆる「血の花婿」の出来事は、一体何を言おうとしているのか非常に曖昧であり、解釈が困難です。この時、モーセの妻であるツィポラは、神がモーセを殺そうとしておられることをなぜか察知して、すぐに息子に割礼を施し、その際に切り取った男性器の包皮をモーセの「両足」に付けたというのです。この「両足」というのは、聖書でよく使われるのですが、性器を示す婉曲表現であります。それで彼女が「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫ぶと、どういうわけか「主が彼を離れた」、つまり災難が去ったというのです。
なぜ神がモーセを殺そうとされたのか。また息子に割礼を施すというツィポラの取った措置が、なぜ、またどのようにして災難を防ぐのか。そして包皮をモーセの「両足」、すなわち性器に付けることの意味は何なのか。これは古来聖書学者を悩ませてきたことですが、主な解釈を紹介しておきましょう。
まず一つ目は、モーセがこの時、まだ「血の花婿」ではなかった。つまり結婚前に割礼を受けていなかった。それで神様が怒り、モーセを襲ったということです。モーセは生まれてすぐに、殺されないように隠されて三ヶ月過ごし、その後はエジプト人として育てられましたので、割礼を受けていなかったということです(モーセ自身が割礼を受けていたかどうかは、聖書に記されていません)。そしてツィポラがモーセの代わりに息子に割礼を施して、それによってモーセを象徴的に「血の花婿」としたという解釈です。
二つ目は、この時息子のゲルショムがまだ割礼を受けていませんでしたので、その怠慢と不信仰をとがめて、神様はモーセを殺そうとされたというもの。そこでとっさにツィポラはゲルショムに割礼を授けたのです。
さらに三つ目ですが、ゲルショムが割礼を受けていなかったので、主はモーセではなく、そのゲルショムの命を奪おうとされたという解釈もあります。新共同訳聖書では、「主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた」となっていますが、ヘブライ語の聖書には、「主は彼と出会い、彼を殺そうとされた」としか書かれていませんので、「息子を殺そうとされた」という風にも読めるわけです。しかし話がややこしくなるので、ここでは一応新共同訳聖書のとおりに、「モーセを殺そうとされた」と言う風にしておきましょう。
ただどの解釈をとってしても、根本的なところはすっきりといたしません。
ただ一つ確かなことは、そのきっかけとなったのが、モーセ(あるいは息子)が割礼を受けていなかったということ、そしてこの時のツィポラの行為(息子に割礼を施し、その包皮を父親の「両足」に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫んだという一連の行為)の結果、「主は彼を放された」ということです。つまりそれで、モーセの命を奪おうとする主の攻撃が終わった、言い換えると、ツィポラの行為がモーセの命を救ったということです。それははっきりしております。
この事件は依然すっきりしないままでありますが、この記事が聖書の中に取り入れられていったことは、割礼というものがそれほど重要な意味を持っていたことを、示していると思います。割礼をないがしろにしたままモーセが派遣されるということはありえないことであったのでしょう。
またこの出来事は、フェミニスト神学にとって大事な意味を持っております。それは女性であるツィポラがここで割礼を施し、祭司の役割を担って(血の犠牲をささげて)、モーセを神に執りなしているということです。割礼を施すのは男性の役割でありましたから、これは非常に珍しい記事でありますし、いわば女性祭司、女性教職の草分けとして大事な意味をもっているのではないでしょうか。時代が下るに連れて、父権性社会が強固なものとなっていき、神と人との間に立つのは男の役割という風になっていきます。しかしその前の時代はもっと自由な形であったのであろうということを思わされる箇所です。教会においても、往々にして牧師を神に執りなすのは、このツィポラのように、その伴侶(妻であれ、夫であれ)であるわけですが、この出来事は、それを超えた意義があると思います。
話を先に進めましょう。この事件の後、あるいは並行して、神はモーセの兄であるアロンに会い、彼に語りかけます。「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」(27節)。この言葉を受けたアロンは、神の山ホレブでモーセに会い、キスをします。そしてモーセは神が命じられたことをアロンに告げます。そして二人でイスラエルの長老たちに会い、アロンがモーセを通して聞いたことを、彼らに告げるのです。アロンが、いわば人々に対するスポークスマンになったのです。モーセは、自分は口が重く、舌が重い、つまり口べたです、と言ったので、神が雄弁である兄のアロンを、モーセと一緒に遣わせてくださったのでした。イスラエルの人々は「主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になった」(31節)と聞いて、ひれ伏して神を礼拝いたしました。このところは、話が急展開で進みます。
さて、今日の物語は、全体としてあまり統一感のないように見えますが、私がこのテキストを通じて思わされたのは、モーセは決して一人で遣わされたのではないということであります。彼には旅の仲間がおり、その旅の仲間がモーセを助け、モーセを救い、モーセを支えたのであります。
もしもツィポラがいなければ、モーセは荒れ野で死んでいたかも知れません。彼女のとっさの判断で、モーセは危機を逃れました。アロンがいなければ、イスラエルの民はそれほど早く、神様の言葉を理解し、受け入れたかどうかわかりません。アロンはモーセと違い、これまでから民の近くにあり、民の信頼を得ていたということもあるでしょうし、モーセよりもずっと雄弁でした。モーセの召命というものは、根本的なところではモーセと神の間の事柄でしたが、実際には神様は、モーセのまわりに必要な人材を配置し、その人たちに支えられていったのです。
イエス・キリストが弟子たちを派遣された時も、決して一人では行かせませんでした。マルコ福音書6章7節には、「そして十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた」と記されています。二人ずつ組にされたのです。
あるいは先ほど読んでいただきました、使徒言行録では、もっとはっきり記されています。使徒言行録の13章は、パウロのいわゆる第一次伝道旅行というものについて述べていますが、この時パウロはバルナバと一緒に派遣されて、一緒に活動していました。やはり二人セットであったのです。今日読んでいただいた使徒言行録の15章でありますが、これはエルサレム使徒会議と呼ばれる会議の決議について記しております。その会議で、パウロとバルナバはアンティオキアに遣わされることが決定されるのですが(第二次伝道旅行)、今度はこの二人と共に、教会全体からバルサバと呼ばれるユダと、シラスの二人を旅の同伴者として、選んで一緒に派遣することを同時に決定するのです。
その後、パウロとバルナバは意見が分かれて(というよりも意見が激しく衝突して)、別々に行動することになります。しかしながら、その時もパウロはやはり一人ではなく、シラスという同伴者を連れていくのです。いつも一人ではなく、必ず二人かそれ以上です。
私は、旅に道連れがいるということはやはり大事な意味を持っているだろうと思います。一つには、人間はみんな不完全であるからです。それぞれに欠けがあります。それを補いあって生きており、それを補いあって主の道を歩むのです。
牧師もそうであります。私にもちょうどこのモーセと同じように、妻と一人息子があります。この三人で幾つかの教会に仕えてまいりました。家族というのは、教会員とは違った目で牧師の仕事を見ております。「人には偉そうなことを言っているけれども、自分はやっていないじゃないか」。またよく牧師の子どもは「お父さんは二重人格だ」とか「偽善者だ」とか言うようですね。うちの子どもはまだ小学生なので、そこまでは行っていませんが。
妻からは説教批判を聞かされます。「今日の説教は、難しくて全然わからなかった」とか、「あれはどうも当たっていないのでないか」とか、「長すぎた」とか言われます。うちの場合は随分厳しい方だと思いますが、言い訳をすると、「プロでしょ」と言われるのです。夫婦で牧師をしていれば、相手が説教をした時に言い返してやろう、ということになるかも知れませんが、うちはそうではありませんので、そういうわけにもいきません。しかし教会員がなかなか言ってくれないこと、あるいは教会員が言えないことを、そういう風に自分の連れ合いや子どもが言ってくれるのは、ある意味でありがたいことであると思います。
また批判されるだけではなくて、モーセがツィポラに助けられましたように、旅の道連れ、連れ合いによって、私も助けられ、支えられております。家族がいない場合でも(もちろん家族があっても)、牧師の仲間というのがあります。支区やそれを超えた牧師の仲間たちに支えられ、励まされ、時に批判しあって、間違いをただし、お互いに高めあっていく。それは大事なことであろうと思います。
このことは牧師、伝道者に限らず、教会の信徒の方々にも、すべて当てはまることではないでしょうか。私たちには信仰の仲間、信仰の旅路の連れ合いがいるのです。一人で、家で静かに聖書を読んで、あるいはキリスト教放送を聞いていれば、それで十分であるように思われるかも知れませんが、それではなかなか信仰生活を全うすることはできません。また聖書の解釈にしても、交わりの中にあることによって、独りよがりをなくしていくのです。
教会に行きたくても行けない場合は別でしょう。家族に許されないとか、日曜日に仕事を休めないとか、近くに教会がないとか、そういう状況の中で、たとえ教会に行きたくても独りでやっていかなければならないという場合もあります。ただしそれでも、教会の祈りの輪の中に入れられるということには大きな意義がありますし、たまに教会に来るチャンスがあった場合には、大きな祝福を受けることであろうと思います。私たちは弱い者ですから、そのようにお互いに支え合い、また間違いをおかす者ですから、建設的な批判をしあいながら、独りよがりをなくして、信仰生活を全うするのです。
教会によっては洗礼を受ける時に、その人の信仰の友となる「教友」を決めるところがあります。この「教友」は、週報の「教友消息」の「教友」を超えた意味があります。やや先輩としてその人が洗礼を受けるのを見守って、祈りに覚え、時には何かアドバイスをしてあげたりいたします。時にはそれが反対になることもあるでしょう。そういう制度はともかくとして、私たちには、いつも教会の中で、あるいは教会を超えたところで、信仰生活の道連れがあるのです。時には家族であったり、時には友人であったりするでしょう。そして大きな視点で見れば、そのように信仰生活の友、道連れを遣わしてくださった神様であり、神様そのものが、信仰生活の真の道連れであるということを心に留めたいと思います。