〜出エジプト記講解説教(9)〜
出エジプト記6章26節〜7章7節
第二コリント12章5〜10節
2003年1月12日
経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之
前回(11月24日)は6章1節まででありましたが、6章2節から13節までは内容的にこれまでの部分とかなり重複しておりますし、14節以下は煩雑な系図でありますので、これを省略いたしました。
系図と言えば、私たちはすぐにマタイ福音書の冒頭にあるイエス・キリストの系図を思い浮かべますが、あの系図により、マタイはイエス・キリストがイスラエルの歴史と無関係ではないのだということを告げ、それと一体どういう風に関係しているのかを示そうとしました。このモーセとアロンの系図もそれに通じるものがあります。モーセとアロンが、神様の大きな計画の中でどこに位置しているかということを示そうとしているのだと思います。
系図の後、物語は次のように再開します。「主がエジプトの国でモーセに語られたとき、主はモーセに仰せになった。『わたしは主である。わたしがあなたに語ることをすべて、エジプトの王ファラオに語りなさい。』しかし、モーセは主に言った。『御覧のとおり、わたしは唇に割礼のない者です。どうしてファラオがわたしの言うことを聞き入れましょうか』」(28〜30節)。
モーセはかつてミディアンで、神様から同じことを告げられた時も、彼は「全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」(4:10)と言って、自分に課せられようとしている重い任務に尻込みいたしました。しかし神様は「私はあなたと共にいる」と約束し、さらに「アロンを共に遣わす」と約束されて、モーセは重い腰をようやくあげたのでした。今はもうエジプトに帰ってきています。ファラオはもう間近にいます。しかしモーセはこの場に及んで、再び逃げ腰になるのです。
モーセは言います。「わたしは唇に割礼のない者です」。これは内容的には、この前の「口が重く、舌の重い者」と同じようなものですが、あえて神様に「私の唇は清められていない」とい言いたいのでしょう。岩波書店の新しい翻訳では、「わたしは口べたなのです」と意訳をしております。
私は、これは一方でモーセの言い訳であろうと思いますが、同時に、モーセはやはり口べたであったのだろう、話が下手であったのだろうと思います。神様の言葉を語るのに、口べたであるというのは、ある意味で致命的な欠点であります。しかしそのような人間を、神様はご自分の使者として立てられる。そのような口べたの人間にご自分の最も大切な使命を託される。これは一体どういうことなのでしょうか。
モーセが、自分が口べただと言って、神様の召しを断ろうとすると、神様はいわばモーセのスポークスマンとして、兄のアロンを立てます。そうであれば、初めからモーセをはずしてアロンを指導者として立てた方がよかったのではないか、と思いませんか。モーセもそれを望んでいたのかも知れません。「もういい。わかった。お前がそこまでいやだというならば、お前を指導者にするのはやめて、アロンを指導者にする。今後、お前はアロンに従え」。モーセにとっても、その方がありがたいことであったでしょう。もともとアロンの方がお兄さんなのです。
しかし、神様はあえて口べたのモーセを立てられた。一体どうしてでしょうか。そう言えば、使徒パウロも口べたであったようです。パウロのことをコリントの人々は、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(コリント二10:10)と言ったそうです。おもしろいですね。神様はどうして、そのような人を立てられるのでしょうか。
それは、そういう口を通してこそ、神の力が働くからではないでしょうか。もしも雄弁な人が演説をして、それにみんなが感動してついてきたとしたら、いかがでしょうか。それはその人の力、その人の能力ということになってしまうのではないでしょうか。その人自身もそのように思うかも知れませんし、みんなもその人をほめたたえ、持ち上げるでしょう。もしもアロンが直接、神の使者として立てられていたら、そうなっていたかも知れません。そうならないように、神様はあえて、口べたのモーセを立てられたのではないでしょうか。それは、そこで告げられる言葉が、雄弁な人間の演説ではなくて、神の言葉であり、神の命令であることがわかるため、神様がこの計画の中心におられることがわかるためではなかったでしょうか。人間の弱さ、欠点を通してこそ、そこに神の力が働く。いやこれは神の力以外の何物でもないということがわかるために、神様はあえてそういう器を選ばれるのではないか、と思います。
7章1節に、こう記されています。「主はモーセに言われた。『見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる』」。この口べたな男がエジプトの王と対峙し、神の代わりとなるというのです。口べたであるからこそ、そこで本当に語っておられるのが神であるということが明らかになるのです。そうは言っても、モーセは自分で語ることすらできません。神から与えられた言葉をアロンに告げ、アロンがそれをモーセに代わって、ファラオに語るのです。「兄アロンはあなたの預言者となる」とは、そういう意味です。預言者というのは、「言葉を預かった者」ということです。アロンは神の預言者ではなく、あくまでモーセの預言者、モーセの言葉を預かった者です。なぜそのような回りくどいことを命じられたのか。それは、そこで語られていることがアロンの雄弁によるものではなく、神から命じられたものであることが分かるためでありました。
今、使徒パウロもまた口べたであったようだ、と申し上げましたが、彼は指導者として立つには、それ以外にもどうも決定的な欠点を持っていたようであります。パウロはこういう風に述べるのです。先ほど読んでいただいた箇所です。「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身にひとつのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」(第二コリント12:7)。この「とげ」というのが、一体何であったのか、よくわかりません。目が悪かったのではないか、という説があります。パウロは自筆で書くときには、大きな字で書いたようですし(ガラテヤ6:11)、あるいは、最初クリスチャンを迫害していた頃、ダマスコヘ向かう途中で、イエス・キリストに出会い、目が見えなくなります(使徒9:8)。その後、アナニアという人に癒してもらうのですが(同9:16)、完全に普通の人のようなわけにはいかなかったのではないか、というのです。
いやもっと何か精神的な病い、恐らくてんかんであったのではないかとも言われます。そちらの説の方が有力です。いずれにしろパウロはそれを伏せています。書き記すこともためらったのかも知れません。そのような「とげ」、彼にとっても、他の人にとっても、人前に立つには明らかにマイナスと考えられる何かを、パウロは持っていた。
彼はこう続けます。「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」(8節)。これはただ一晩に三回祈った、というようなことではないと思います。彼の伝道者としての生涯のいろんな時期に、三度必死に祈ったということでしょう。しかし彼は三度目に、主なるキリストの声を聞くのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)。
いかがでしょうか。今日私たちは、ここに成人式を迎える若い方々を迎え、その祝福をしようとしていますが、私は、これから大人としての人生を始めようとしている若い方々に、この言葉を贈りたいと思います。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。皆さんの中には、まだあまり挫折を経験したことのない方もおられるでしょう。若いなりにすでに人生のつまずきを経験しておられる方もあるかも知れません。受験を控えている方、就職活動の最中にある方、恋愛につまずいている方もあるかも知れません。それらの経験はすべて、皆さんの人生の中で大きな意味をもってきます。
いいこともあれば悪いこともあります。うれしいこともあればつらいこともあります。成功もあれば失敗もあります。それらすべてが意味をもっていますが、私はどちらかと言えば、ネガティブな経験、みんなが経験したくないようなこと、つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、失敗、不幸なこと、そうした経験の方が、より大きな意味をもっていると思うのです。なぜかと言いますと、そのような時にこそ、神様がより身近にいてくださるからです。私たち自身がそこで、真剣に神様を向いているからかも知れません。私たちは満ち足りている時は、往々にして神様のことを忘れているものです。成功している時は、有頂天になって、これは自分の力でそうなったと思いがちです。そのような時、そのようなところでは神様の力は働かないのです。神様の力は、弱さの中でこそ発揮されるのです。
私は、二浪いたしましたので、浪人中に二十歳の誕生日を迎えました。高校時代の友人たちがすでに大学に入って、自分の専門の勉強をしているのを見たり、聞いたりしながら、あせりました。「自分はこんなところで何をしているのだろう。こんなところで足踏みをしていていいのだろうか。短大に行った友だちはもう就職しようとしている。」そんな中で、これから何を勉強すべきかさえ、はっきりとは定まらない自分を、もどかしく思いました。二十歳の誕生日の日に、私はなぜかふと「自分の人生の半分が終わった」という感覚を持ちました。今思うと、随分大げさなことを考えたものだと思います。もちろんこの半分というのは、時間の長さのことではありません。何かしら、自分の人生を導く重要な事柄がすでに決まっているというか、自分の中にすでにあるのではないかというような思いをもったのです。自分の中にすでにあるもの、ということで、その時から、急にキリスト教の勉強を本気でしてみたいと思うようになりました。ですから私は二浪していなければキリスト教を学ぶ道に進んでいなかったか、あるいは逆にずっと回り道をしたのではないかと思います。
パウロは、こう続けます。「だから、キリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(9〜10節)。これはパウロが苦しんで苦しんで、苦しみ抜いた末に到達した真理であります。「わたしは弱いときにこそ強い」というのは、負け惜しみではありません。これは信仰の逆説的真理であります。逆説的真理。この強さをもつ人間はどんなことにもくじけず、生き抜く力が与えられます。弱ければ弱いほど、逆にあたかも空っぽの器に水が、さあっと入って来るかのごとく、神様の力が入ってくるのです。それは自分自身の強さではないがゆえに、かえって強いのです。
モーセとアロンは、この時すでに80歳と83歳であったということです(出7:6)。この二人の年齢も、弱さを表しているのかも知れません。普通の人間であれば終わりの準備をする頃でしょう。しかしこの時彼らは、始まりの準備をしたのです。肉体的には老齢でありつつ、神の力に生かされて、青年としての出発をしたということもできるでしょう。この後モーセは40年におよぶ荒れ野の旅のリードをすることになります。
神様はあえて限界のもの、もうこれで終わりだ、というものを用いることによって、それが神の業であること、そこに神様の力が働くのだということをお示しになったのではないでしょうか。
私たちは先週、ここで二人の方の葬儀を執り行いました。お一人は牟田静江さんであります。1月4日、90歳で亡くなられました。牟田さんは普通の人では考えにくい年齢、50歳に近い年齢で、東京農業大学に正規入学されて、初志貫徹して、栄養士の資格を得てご卒業されました。
もうお一人は、岡部節夫さんであります。やはり先週6日午後、心不全により突然、78歳で亡くなられました。彼は75歳で洗礼を受けて、新しい出発をされました。岡部さんは、洗礼直後の『いしずえ』に、こういう文章を載せておられます。
「考えてみますと、どなたの紹介もなく、教会について全く知らないのに、礼拝に出席させていただいたわけです。その時私は、キリスト教を知りたい、聖書の勉強をしたいと願ってはおりましたが、自分の年齢から考え合わせて、洗礼を受けて信徒になれようとは思っていませんでした。」
これが、岡部さんが初めて教会を訪れられた時のお気持ちでありましたが、その1年後に洗礼を受け、新しい人生の出発をされたのです。
「昭和23年夏、戦地から帰国して以来働いて働いた50年でした。何故もっと早く若い時に信仰を持てなかったのかというのはやさしい。しかし後悔はいたしません。経堂緑岡教会を訪れたのがこの時期になったからこそ、一色牧師先生から直接のお導きがいただけたのだし、先輩教会員皆様の温かい励ましとお迎えが頂戴できたのですから。心から感謝、感激しています」。
何とすがすがしい、青年のような信仰の告白ではないかと思いました。若い頃から信仰を持っていれば、それはそれで素晴らしい人生を送ることができたであろう。しかし自分は50年、働いて働いて、働き抜いてきた。そして今、新しい出発点として信仰を与えられたのだ。この信仰の言葉に触れる私たちも、すがすがしい思いにさせられます。
「今この文章をしたためながら、あの日、私を経堂緑岡教会に導いてくださって、これからの生涯に最善の生き方を主イエス様の大きな愛を強く感じております。」
この岡部さんの文章を読みながら、私は、今日成人式を迎えられる方々だけではなくて、ここにいるすべての人が、青年のような思いで、新たな人生を歩み始めることができるのだと、思いました。信仰は私たちにそういう力を与えてくれるのです。私たちの弱さ、それは能力的な限界であるかも知れませんし、年齢的な弱さであるかも知れません。しかしそのところでこそ、神様の力が働く。岡部さんも、自分が元気で、何でもできると思っていた頃には、神様の力が入ってこなかったのでしょう。今から10年前、岡部さんは心臓の大きな病気をされて、体にペースメーカーを入れられました。その後は、このペースメーカーと共に歩んでこられました。そういう弱さの中で初めて、神様の力を身近に感じ、洗礼へと導かれたのであろうと思います。
青年も壮年も熟年も、それぞれに新しい出発をいたしましょう。