〜出エジプト記講解説教(21)〜
出エジプト記17章1〜16節
フィリピの信徒への手紙4章4〜7節
2003年7月27日
経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之
本日は、出エジプト記の第17章から御言葉を聞いてまいりましょう。第17章は、前半と後半と全く違う二つの物語が記されていますが、先に後半の物語から見ていきたいと思います。
イスラエルの人々は、レフィデムで、アマレク人の襲撃を受け、戦わざるを得なくなりました。これはイスラエルの人々がエジプトを出た後に経験したいわば最初の戦いでありました。モーセは従者ヨシュアに向かってこう告げます。
「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂きに立つ。」(9節)
このヨシュアというのは、後にモーセの後を継いで、イスラエルの民を率いるリーダーになっていく人物であります。ヨシュアはモーセの命じたとおり、戦闘の現場で指揮を執り、モーセは、アロンとフルと一緒に丘の上にのぼって、それを見守るのです。
不思議なことが起きました。モーセは手をあげるのですが、手を上げている間は、イスラエル軍が優勢になり、モーセが手を下ろすと、アマレク軍が優勢になったというのです。モーセのこの仕草は、一体何を意味しているのか。これははっきりとはわからないのですが、多くの人がそう解釈するように、私はやはりこれは祈りの姿だろうと思います。私たちが祈る時は、普通、頭を垂れて手を組んで祈りますが、ユダヤ教では、手をあげて天を仰いで祈りました。
イエス・キリストが語られたたとえの中に、「ファリサイ派の人と徴税人の祈り」というのがありますが、そこに「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った」(ルカ18:13)という言葉があります。これは、普通は目を天に上げて、天を仰ぐことが祈りの姿勢であったことが前提になっています。
モーセは神様に、「どうかイスラエルの民を見放さないでください。共にいて共に戦ってください」と、丘の上で天を仰いで祈ったのであろうと思います。モーセが手を上げて祈っている間は、イスラエル側が優勢を保ちました。しかしモーセも人間ですから、ずっと手を上げていることはできません。だんだん手が下がってきます。モーセの手が下がると、こっちが劣勢になりました。とうとうアロンとフルは石を持ってきて、モーセの下に置き、モーセはその上に座りました。さらにアロンとフルは両方からモーセの両手が下がらないように支えました。それによってモーセの手は日が沈むまで下がることはなく、イスラエル軍はアマレク軍をうち破ることができたということです。
こういう戦いの物語を読む時に、なかなか複雑な思いにさせられます。これを現代の戦争に安易に重ねあわせて読むことは誤っていますし、非常に危険なことであると思います。私たちの世界の歴史は、ある意味で戦争の歴史であったと言えると思いますが、そこではいつも自分たちの側に正義があると信じて、戦いがなされてきました。
キリスト教の歴史においても、十字軍というのがあり、「イスラム教世界を取り戻し、キリスト教世界にするため」という大義を掲げ、実際に「十字の御旗」を掲げて、敵を「征伐」してきました。そこでは、非常に単純に、神様は自分たちの側につき、自分たちの味方をしてくださるという安易、かつ危険な考えがあったということを、忘れてはならないでしょう。そこでは自分たちの戦争を神の御名で正当化するという大きな罪を犯していたという点を顧みることがあまりにも少なかったと言わざるを得ません。
旧約聖書を注意深く読んでみると、神様は必ずしもいつもイスラエルの味方をしてきたわけではないことがわかります。私たちは水曜日の祈祷会でようやくエレミヤ書を読み終えましたが、このエレミヤ書には、神様はあえて愛するユダ王国、そしてエルサレムを罰するために、あえてバビロニア軍を用いて、エルサレムを滅ぼされる、ということが出てまいります。そうであればこそ、神様は公平な方であると思うのです。
この時、アマレク軍と闘ったイスラエル軍(軍と呼べるかどうかさえ疑問ですが)について、二つのことを確認しておきたいと思います。
ひとつは、このイスラエル軍は、解放された奴隷たちによる烏合の衆のようなもので、決して闘うための集団ではなかったということです。彼らはアマレク軍が攻めてきたので、仕方なく自衛のために戦ったのです。いわば自衛隊のようなものです。こちらから敵を攻めて滅ぼすということではなく、自分たちを守るための戦いでありました。自衛隊というのはあくまで自衛隊であり、そのところで自分たちを守ることに使命があるのです。
最近、日本の国会で、日本の自衛隊をイラクに派兵してもよいという法律が決定しましたが、そこで派兵されたものはすでに「自衛隊」ではない、それは言葉の矛盾である、ということをよくわきまえておかなければならないであろうと思います。
それからもう一つは、ここでのイスラエル軍というのは、先ほど申し上げましたように解放奴隷たちであって、弱小集団であったということです。神様は、弱い者が踏みにじられるのを見過ごしにされない、そういう神様です。ですからその集団がひとたび強者の側に立って、自分たちを守るだけではなく、自分たちを脅かす危険性のあるものを、強大な武力でもって攻めるということになれば、話は全然違ってきます。
奇しくも偶然、先週森野善右衛門先生もおっしゃいましたし、昨年、小山晃佑先生もおっしゃいましたが、「備えあれば憂いなし」という考えは非常に危険です。偶像なのです。「備えあれば憂いなし」ということで、まだ攻撃してきてもいない「敵」、攻撃してくる可能性のある相手を、次々と攻撃していくと、一体世界はどうなってしまうでしょうか。そういう「備え」は間違っています。そういう「備え」はすればするほど、「憂い」も増していくでしょう。
話を戻しますが、聖書の神様は、基本的に弱い者が踏みにじられるのを見過ごしにされず、それをかばって守られる神様であるということを忘れてはならないでしょう。
私は、特に今日のイスラエルという国家のことを思い起こしています。イスラエルという国家は、歴史上、最も大きな迫害と苦難を経験してきたはずのユダヤ人によって成り立っているにもかかわらず(いやそれだからなのかも知れませんが)、自分たちを守るために、今は強者の側の立って、弱者のパレスチナの人々を抑圧しているのです。これはユダヤ人の歴史上、かつてなかったことです。パレスチナ人の人権を侵害した上に成り立つイスラエルという国家を、神様はそのままで祝福されることはありえないでありましょう。
さてこの物語がどういう意味を持っているのか。聖書の物語を象徴的に理解するのは、必ずしもよくないのですが、私はやはりこのところでモーセが手を上げて祈っている姿は、私たちの祈りの生活、信仰生活を象徴しているのではないかと思うのです。不断の祈り、耐えざる祈りこそが、私たちを神様と結びつけるものであり、私たちをいろんな戦いから守ってくれる、そしてそれに勝利する道であると思います。このことについては、後でもう一度触れたいと思います。
さて前半の物語(1〜7節)ですが、「岩からほとばしる水」と題されています。飲み水の話です。
「民がモーセと争い、『我々に飲み水を与えよ』と言うと、モーセは言った、『なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか』。」(2節)
この前の章でも、神様は食べ物をめぐって、その不平を聞きあげてくださったばかりでありましたが、彼らはそのことも忘れてしまったかのように、モーセに向かって再び不平を述べ立てます。
「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子どもたちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」(3節)
何だか彼らはずっと同じことを繰り返しているように見えます。困難に直面すると、すぐに不平を述べ立てる。不思議な奇跡で食べ物をいただいたばかりであるにもかかわらず、すぐにまた不信仰へ逆戻りしてしまう。
モーセは再び神様に訴えます。
「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」(4節)。
彼らはモーセを殺さんばかりに詰め寄っておりました。モーセはそのことを率直に神様に訴えています。神様は言われました。
「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」(5〜6節)。
モーセが神様の言われた通りに、岩をたたくと、そこから飲み水がわき出てきました。
さてこの話を読んで、私は私たちの信仰生活と似ていると思いました。浮き沈みがあるのです。どんなに素晴らしい神様の御業を見せていただいても、そのすぐ次の瞬間にはそれを忘れてしまう、信じられなくなってしまう、挫折してしまうのです。私たちはそれをどういう風に克服すればいいのでしょうか。
そのことを考えるために、フィリピの信徒への手紙4章4節以下を心に留めたいと思います。
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようにしなさい。主はすぐ近くにおられます」(フィリピ4:4〜5)。
「喜びなさい」と命令される。これはちょっと変わった命令です。というのは、何か具体的に「ああしなさい」「こうしなさい」というのであれば、いやいやながらでも、それをすればいいでしょうが、「喜べ」と言われても、そう簡単に喜ぶことはできないからです。作り笑いをすることはできるかも知れませんが、それでは本当に喜んだことにならないでしょう。
パウロはここで、喜ぶことができないにもかかわらず、無理やり喜ぶことを強要しているのではないのです。これを語ったすぐ後で、「主はすぐ近くにおられます」(5節)と言っています。イエス・キリストはすぐ近くにおられるのですね。私たちはそのことをすぐに忘れてしまいます。あるいはわからなくなってしまうのです。パウロは、「あなたのすぐ近くにイエス様がおられますよ。だから喜びなさい」と言っているのです。ですからこれはむしろ「喜びの差し入れ」をしているようなものではないでしょうか。何もないところで、空喜びさせようとしているのではなく、「ほら、ここに喜びがありますよ」ということです。
「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」(6節)。
先ほどの出エジプトの生活は、思い煩いの生活でした。毎日毎日不安の中で、どうなるかわからない。そうした中で、どうしても不平が口に出てしまうのです。パウロがこの手紙を書いた時も、フィリピの人たちの中に思い煩いがなかったわけではありません。むしろ思い煩いがあることを前提に語っています。
「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(6節)。
祈りと感謝の生活を形成していくということ、そのことこそが、不平と思い煩いの生活から脱する道ではないかと思うのです。いかにして祈りと感謝の生活を築いていくか。祈りと感謝の生活を続けていくにも、私たちはすぐに挫折してしまいます。なかなか一人で達成することはできません。
私は、モーセの祈りの手がアロンとフルによって支えられたということは、何か示唆的なような気がいたします。一人ではどうしても疲れてしまう。手も心も下がってきてしまう。しかしそれを続けることができるように支えてくれる人がいたのです。
私たちの祈りと感謝の生活も、一人で維持できないと思う時に、他の人によって支えられるということがあるのではないでしょうか。私たちの傍らに誰かが立って支えてくれるのです。それは私たちの家族であることもあるでしょうし、教会の仲間であることもあるでしょう。あるいは私たちよりも先に天に召された信仰の先達であるかも知れません。「すでに天に召されたはずの方が今の自分の信仰生活を支えてくれる」「お父さん、お母さんの信仰を思い起こす時に、自分の信仰も支えられる」ということが、あるのではないでしょうか。
そしてそれは、もしかすると私たちの友人、隣人、家族の姿をとったキリスト自身であるかも知れません。「主はすぐ近くにおられる。だから喜びなさい」。私たちの手は支えられるのです。私たちの祈りと感謝の生活は、そのようにして支えられ、モーセが無事に夕方を迎えたように、私たちも人生の夕方を迎えることができるのではないでしょうか。
この出エジプト記17章に関連して、最後にもう一つ、興味深いパウロの言葉をお読みしたいと思います。
「兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです」(コリントの信徒への手紙一10:1〜4)。
「霊的な食物」とは、天から降ってきたマナのことであり、「霊的な飲み物」とは、ここでなされたように岩を叩いて、ほとばしり出た水のことでしょう。そしてパウロは何と、実は「この岩こそキリストだった」のだと言うのです。知らないでいるところにキリストの水があり、知らないでいるところにキリストがすぐ近くにおられる。そのことを心に留めつつ、感謝と祈りの生活を形成していきましょう。