〜出エジプト記講解説教(22)〜
出エジプト記18章13〜27節
使徒言行録6章1〜7節
2003年9月21日
経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之
先日、高校のクラス会が銀座でありまして、出かけてまいりました。私は兵庫県の姫路の出身ですが、高校の同級生で東京近郊に住んでいる人が10人余り集まりました。みんな自分のことは棚にあげて、「おじさん、おばさんになったなあ」と言いあいました。結婚して専業主婦の女性たちはそろそろ子育てが一段落いたしまして、できれば再就職したいと考える時期のようです。働いている人は、会社でもだんだん重要な地位になっているのでしょう。かなり忙しそうでした。「忙しくてクラス会どころではない」という人も何人もいたでしょう。大体40台半ばというのは、一番の働き盛りで、最も働かされるというか、こき使われる年齢なのかも知れません。会社勤めの人は、夜12時頃帰宅して、朝5時半に起きて出かけるという人も少なくないようです。
そういう人に比べれば、私などはまだまだ悠長な生活をしているのかも知れませんが、それでもあちこちからどんどんいろんな仕事がまわってきます(大抵はボランティアですが)。一つ一つはそれほど大きなものではないのですが、それがいくつも重なると、身動きが取れなくなってパニック状態になってしまうことも時々あります。今も少しそれに近い状態なので、「ちょっとやばいかなあ」と思っております。
長老会の勧めで、私もいよいよ7月から携帯電話をもつようになりました。これでどこへでも安心して出かけられるようになりましたが、その反面、どこへ行っても安心できないという矛盾を抱え込んで生活しています。教会にかかってきた電話は、15秒以上鳴ると、携帯に転送されるようにセットしてあるのです。休暇中に、姫路に近い瀬戸内海の小さな島に行ったのですが、船の中で携帯電話が鳴りました。教団出版局から原稿の依頼でありました。隣にいた息子が、「パパ、まさか引き受けたんじゃないでしょうね」と言いました。「今やっていることをちゃんと終えてから、引き受けるようにしてね」。ママが普段言っていることをよく聞いているんですね。「自分のことがきちんとコントロールできなくなってしまう程には、安易に仕事は引き受けるな」と、家族からも忠告を受けています。
そういう時というのは、本当はペースダウンしなければならないのでしょうが、なかなか自分ではそれができませんし、そういう状況に陥っていることも、自分では気づかないことが多いものです。何でも自分でやらないと気がすまなくて、抱え込んで、結局自滅してしまったりすることがあります。そういう時に、尊敬する先輩、年長者から、冷静な立場で、ちょっと助言をされると、「そうか、そんなにがんばらなくていいんだな」と、何か呪縛から解き放たれたような感じがすることもあります。
さて私たちは出エジプト記のモーセ物語を続けて読んでいますが、今日私たちに与えられた物語も、いわば働き盛りのモーセが何でもかんでも自分でやろうとして、過労で倒れる寸前の状態になっていた、という興味深い話であります。
18章を最初からたどってみましょう。モーセはミディアン地方で知り合ったツィポラという女性と結婚していましたが、彼女を実家へしばらく里帰りさせていました。そして今、彼女の父親、つまりモーセのしゅうとであるエトロが娘のツィポラと二人の孫を連れてモーセを訪ねてきたのでした。長男はゲルショムという名前でした。「わたしは異国にいる寄留者だ」という意味です。次男の名前は、エリエゼルでした。「わたしの神は助け手」という意味です。エトロが「あなたのしゅうとであるわたし、エトロがあなたの妻と二人の子供を連れて来た」(6節)と伝えますと、モーセは出てきて、身をかがめて口づけをしました。「お久しぶりですね」と言って、安否を尋ね合いました。モーセはこれまで自分たちが経験したさまざまなこと、エジプト脱出以来の大きなドラマを、エトロに報告いたしました。途中であらゆる困難に遭遇したけれども、神様がイスラエルの民を救い出されたことを証しいたしました。
モーセとエトロは再会を祝し、神様に捧げ物をして、神様の御前で食事を共にいたします。このエトロの方も、神様と人々の間に立って執り成しをする祭司でありましたので、いわばモーセと同職種の先輩であったわけです。ただしもう隠居の身分であったでしょう。
さて翌日のことです。モーセには久しぶりに再会した家族とゆっくり過ごす時間などありません。モーセに面会を求めて、大勢の人が列を作って待っていました。モーセは朝から晩まで彼らの話を聞いて、その裁きをしていました。それを傍らで見ていたエトロはたまりかねて、こう言うのです。「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」(14節)。モーセはしゅうとエトロにこう答えました。
「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」(15〜16節)。
エトロはさらにこう言います。
「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れてしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ」(18節)。
ありとあらゆる問題がモーセのところに持ち込まれていました。そこには人生相談のようなこともあったでしょう。隣の人とのいざこざ、家庭内の問題、何でも「神に問うために」モーセのところへやってきました。今日で言う民事訴訟の事柄と宗教的事柄が未分化の状態で、すべてをモーセが一手に引き受けていたのでしょう。
エトロは「助言をしよう」(19節)と言って、このような提案をしました。
「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持ってこさせる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう」(21〜23節)。
モーセはエトロの助言を受け入れ、言うとおりにいたしました。そしてエトロは自分の故郷へ帰っていきました。そういう話です。
私はこのエピソードは、いろんな意味でおもしろいものであると思いました。
ひとつには、歴史的な意味で興味深いと思いました。最初はモーセによるワンマン組織であった出エジプトの共同体が、だんだんと組織化されていくのですが、それがどのような形で、あるいはどのような動機でそれがなされたかということを語っているからです。もちろんここまで秩序だった組織ができるのは、本当はもっと後の時代のことであると思います。またこのところでモーセはエトロに「神の掟と指示とを知らせるのです」と言っていますが、この時点ではまだ神の掟の基本である十戒も与えられていません。この次の19章で、シナイ山に登り、20章で十戒が与えられます。ですからもっと後の時代、つまりこれが書かれた当時には、ほぼそういう組織ができていて、そのルーツを探るというか、その組織をこうした形で権威づけるという意味合いもあったのではないかと思います。いずれにしろ、仕事の組織化、分業化がこのようになされていったというのは興味深いことです。昔は何でもかんでも祭司がやって、いちいち神様にお伺いを立てていたものを、いわば裁判所の仕事と宗教的な仕事が分業化されていくプロセスを見るような気がしました。
二つ目は、ワンマンの共同体はよくないということですね。その本人にとってもよくないし、そのもとにいる他の人にとってもよくない。できるだけ負担は大勢の人で負いあわなければならない。それが、共同体が健康であるための一つの条件であるように思います。教会であれ、会社であれ、家庭であれ、学校であれ、すべてそうではないでしょうか。いわば当たり前のことですが、責任をもっている当人は、なかなかそのことに気づかないものです。そしてもしもその人が倒れてしまった時には、誰も代わりがいないわけですから、それで終わりになりかねません。もちろん、だからと言って、責任放棄してよいということではありません。きちんとそれができる人を育てて、そしてその人たちを立て、だんだんと仕事を任せていくということが必要であります。ワンマンで何でもできる人にとっては、むしろその方が忍耐のいることでしょう。しかしその方がお互いのためにいい、そして将来のためにいい、ということを告げているような気がします。
これとよく似た話が新約聖書の中にも出てきます。先ほど読んでいただいた使徒言行録の6章1〜7節であります。
「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、"霊"と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします』」(1〜4節)。
初代教会においても、一番初めは組織を整えることはあまり考えていなかったようです。世の終わりがもっと早く来ると考えられていたからです。しかし「これはもしかすると、そうすぐには来ないぞ」ということになり、だんだん教会を組織として整えていくことになります。「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えて」(7節)いきました。
この使徒言行録の記述の中にとても大事なことが記されています。それは、このように組織化、分業化したのは、彼らが「祈りと御言葉の奉仕に専念する」(4節)ためであったということです。彼らはただ単に肉体的に限界だから、このままで行くと体がもたないから、それを分担しようということだけではなかったのです。あまりにも忙しく仕事をしていると、つい最も大事なこと、「祈りと御言葉の奉仕」がおろそかになってしまうのです。
モーセの場合もそうでありました。モーセが、より忠実に神様の委託に応えることができるために、それを分ける必要があったのでした。「そうすれば、あなたは任に堪えることができよう」(23節)。
わたしたちも必ずしも上に立つ仕事をしていなくても、あまりにも忙しいと、つい最も大事なことをおろそかにしてしまうことがあるのではないでしょうか。今日何をするべきかということを考える時に、私も締め切りのあるものや、形になる仕事を優先します。それは「これをした、あれをした」という風に、印をつけられるものです。しかしそこで大事なことがすっぽり抜けてしまうということがあるように思います。
エトロがモーセの仕事をする様子を見て憂えたのも、実はそういうことではなかったでしょうか。たくさんの仕事に忙殺されることによって、一番大事なことが後回しになってしまうのです。
このことは何もモーセや、キリストの弟子たちだけの問題ではないでありましょう。モーセにとって神様の前に立つということが大事な事柄であり、イエス・キリストの弟子たちにとって御言葉と祈りの奉仕に専念するということが大事な事柄であったように、私たちにとっても、御言葉の前に静まる時を持つということは、クリスチャンとしての生活をするために欠かすことのできないことでありましょう。イエス・キリストご自身が、どんなに忙しく働かれても、一人山に退いて祈る生活を確保しておられたということは、非常に大事なことを示唆していると思います(マタイ14:23など)。自戒の念をこめて、そのように思うのです。
ルカ福音書の中にマルタとマリアのエピソードがあります(ルカ10:38〜42)。マルタは、一生懸命イエス様のために奉仕をしている。その横で、マリアはじっとイエス様の御言葉に耳を傾けている。それを見ていて、マルタはとうとうこう言いました。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(40節)。
その言葉に対して、イエス・キリストは、こう答えられました。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(41〜42節)。
私たちは、それぞれ忙しい生活を送っておりますが、そうした中で、心静まって、神様の御前に出る、祈りをする、教会で御言葉に耳を傾けるという生活を大事にしていきたいと思います。