時は来る

〜ヨハネ福音書講解説教(26)〜
コヘレトの言葉3章1〜11節
ヨハネ福音書7章1〜13節
2003年11月16日
経堂緑岡教会   牧師  松本 敏之


(1)ガリラヤからユダヤへ

 ヨハネ福音書は、この7章から新しい部分に入ります。6章までは、イエス・キリストの活動舞台は、ガリラヤ地方でありました。そこからエルサレムのあるユダヤ地方へ行ったり来たりしておられました。2章13節に「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上って行かれた」とあり、3章22節にも「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた」とあります。4章3節には、逆に「ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた」とありますが、5章1節では再び、「その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた」とあります。
 ガリラヤ地方というのはヨルダン川の上流にあるガリラヤ湖周辺です。水をぶどう酒に変える奇跡をなさったカナ(2:1〜11)、王の役人の息子をいやされたカファルナウム(4:46〜54)、イエス・キリストの故郷の町ナザレなどは皆、ガリラヤ地方の町々です。一方、ユダヤ地方というのは、ヨルダン川をくだって行ったところ、もっと南、死海の西の方です。イエス・キリストにとっては、あくまでガリラヤ地方がホームグラウンドでした。そこは故郷であり、心も安らぐところであったでしょう。奇跡も多くなさいました。エルサレムへ行くのはあくまで一時的なことに過ぎませんでした。
 しかしこの第7章から、活動の舞台がエルサレムへと移ります。7章10節に「兄弟たちが祭りに行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた」とありますが、ここでエルサレムに行かれた後、ガリラヤに戻られることはありませんでした。

(2)イエスの兄弟たち

「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった」(1節)。

 この「ユダヤ人」というのは、単に人種とか民族のことではありません。イエス・キリストを敵対視しているユダヤの宗教的指導者のことです。「ファリサイ派の人々や律法学者」というのに近い意味ですが、ヨハネ福音書はしばしば「ユダヤ人」という言い方をします。ヨハネ福音書の第5章で、エルサレムのベトサダの池のほとりで、歩けない人をいやされましたが、その後エルサレムでは目を付けられるようになったのです(5:18参照)。

「ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた」(2節)。

 この仮庵祭というのは、ユダヤの三大祭の一つで、いわゆる収穫感謝祭でしたが、この祭りについては、来週の礼拝で改めて申し上げることにいたします。

「イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい』」(3〜4節)。

 イエス・キリストに兄弟がいたということが記されています。この口ぶりは何だか兄が弟を諭すような言い方に聞こえますが、イエス・キリストは、マリアから生まれた最初の子どもですから、兄はいないはずですね。マタイ福音書にも

「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(マタイ13:55〜56)

 という言葉があります。「イエス様は、随分大家族だったのだなあ」と思わされます。ただし、カトリックを中心に、ここで言う「兄弟」とは、いとこ位までを含むという理解もあります。マリアにそんなに大勢の子ども達がいると、マリアのイメージが壊れるということなのかも知れません。確かにいとこであれば、年長のいとこもありうるわけで、こんな諭すような言い方もわかりやすいでしょう。いずれにしろ、この「兄弟」というのが一緒に住んでいた家族、非常に近い肉親であったことには違いありません。
 その兄弟たちが、「あなたがやっていることは大事なことなんだろう。だったらこんな田舎でこそこそやっていないで、もっと大勢の人のいるところで堂々とやったらどうか。エルサレムへ行きなさい。もうすぐ祭りだから、絶好のチャンスじゃないか」と言ったのです。これはある意味ではよくわかります。日本で言えば、「東京へ行きなさい」ということになるでしょうか。
 しかしヨハネ福音書は「兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである」(5節)と付け加えています。これは少しわかりにくい言葉です。兄弟たちは、それなりにイエス・キリストを信頼していたのだろうと思います。「こいつなら行けるぞ」というような思いであったかも知れません。あるいは、「本物かどうか、エルサレムで試しみたらどうか。エルサレムでも通用したら本物だ」という思いであったかも知れません。何かしら励ます思いであったのではないでしょうか。しかしそれでも福音書記者は「兄弟たちもイエスを信じていなかった」というのです。
 これはイエス・キリストを「確かにただものではないぞ」位は理解しながら、深いところではわかっていなかった。神の子だとは信じていなかったということではないでしょうか。幼い頃からイエス・キリストと一緒に生活しながらも、いやそれだからこそ、と言った方がいいのかも知れません。あまりにも近くにいたために、肉の目、この世のレベルの目でしか、イエス・キリストを見ていなかったのです。

(3)知っているつもり

 次元が違うかもしれませんが、クリスチャンホームに育った人の中に、これと似たようなことが起こります。キリスト教のことを小さい頃からよく聞かされている。教会学校へも連れて行かれて、イエス・キリストは非常に身近な存在であった。聖書もそれなりに読んでいる。どんな話が書いてあるかも結構知っている。でも本当の意味での救い主としてのイエス・キリストには出会っていない。すれ違いなのです。本人はよく知っているつもりでいる。それこそ兄弟のようにどこで何をされたかまで知っている。それでいて肝心のところがわかっていないのです。見るには見るが、悟ることができない。焦点があっていないのです。
 クリスチャンホーム育ちの人かどうかということではなく、洗礼を受けたクリスチャンであっても、あるいは牧師であっても、これと似たようなことが時々起こります。「自分は聖書のこともキリスト教のこともよく知っている」という自負心がかえって、今も生きて働いておられるイエス・キリストを見る目を鈍らせる。新たな出会いを妨げるのです。「もう知っている」と思っているところでは、新しいものは入ってこないのです。

(4)クロノス、ホーラ、カイロス

 主イエスはこう言われました。

「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている」(6節)。

 兄弟たちは、「今こそチャンスだ。その時だ」と思って、主イエスに「エルサレムへ行きなさい」と言うのだけれど、それは非常にこの世的なレベルの話です。いわゆるマーケティングのような発想で、「今が一番有効ですよ」と言ったわけです。しかしイエス・キリストはそうしたこの世のレベルの「時」と、全く別の基準を持っておられた。
 ここで「わたしの時はまだ来ていない」という言葉の「時」という言葉は、ちょっと特別なギリシャ語が使ってあります。「カイロス」という言葉です。普通、何日何時何分というような「時」は「クロノス」という言葉です。そういう名前の時計のブランドもありました。あるいはクロノロジカル(時系列)などという言い方もあります。英語の time に近い言葉でしょう。
もうひとつ、「ホーラ」という言葉もあります。これも「時」ということです。
 イエスの母マリアがイエス・キリストに向かって、「ぶどう酒がなくなりました」と言ったときに、イエス・キリストは「婦人よ、わたしと何のかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ2:4)と言われましたが、あそこでの「時」というのは、この「ホーラ」という言葉でした。(英語の hour の語源でしょうか?)
 それに対して、今日のこの場所では、「カイロス」という言葉が使われています。これは、あまり使われない言葉です。辞書では、「ちょうどよい時」「好機」「機会」などと書いてありました。「あなたがたのカイロスはいつでもあるけれども、わたしのカイロスはまだだ。今ではない」。私たちが今こそチャンス、今がその時だ、と思う時と、キリストがそう思われるときはちょっと違うということです。
 先ほど、ヨハネ福音書の前に、「コヘレトの言葉」を読んでいただきました。

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレト3:1)。

 これは旧約聖書ですからヘブライ語ですが、ここでコヘレトが言う「時」というのは、まさにギリシャ語の「カイロス」という感覚であると思います。すべての事柄には、神が定められた最もふさわしい「時」があるのです。

(5)別次元の「時」

 主イエスは、ここで、

「あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである」(8節)

 と言われましたが、実際には、先ほどお読みしたように、その後こっそり上っていかれるのです(10節)。これには「おやおや」と思う人も多いでしょう。「イエス様は、『自分は行かない』なんて言っておきながら、こっそり後で行く、というのは卑怯だなあ」、あるいは「随分移り気だなあ」、と思われるかも知れません。しかしそれらの批判が起こるのを重々承知の上で、福音書記者ヨハネが矛盾に見えるようなことを、そのまま記しているのはどうしてでしょうか。私はやはりこれは、矛盾というよりも、イエス・キリストは、もう一つ深いところで、私たちの時間秩序、時間間隔と違う「時」の中を生きておられたということではないかと思います。
 つまりイエス・キリストは、兄弟たちが勧めるような意味では、つまり「自分をはっきり世に示す」ためには、エルサレムへ行かれません。まだその時ではないのです。確かに、エルサレムへ上られます。しかしそれは「人目を避け、隠れるようにして」でありました。まだ本来のエルサレム上りではないのです。本来のエルサレム上りは、やがて来ます。それはこの仮庵祭ではなく、過越祭の時です。その過越祭の時に、はじめて「カイロス」としてのエルサレム上りが起こるのです。「わたしはこの祭りには上って行かない」という言葉にもそういう含みがあるのです。やがてその時は来ます。その時、イエス・キリストは

「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください」(17:1)と祈られることになるのです。

(6)群集

 このところで、群集が出てまいります。この群集というのは、なかなか恐ろしい、そして不可解な存在であります。いい方向にも傾くし、悪い方向にも傾く。やがてイエス・キリストがエルサレムに公然と上られる時に、群集はなつめやしの枝を持って、イエス・キリストを出迎え、こう叫びました。

「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように」(ヨハネ12:12〜13)。

 それも群集でありましたが、その数日後に、イエス・キリストを「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫ぶようになる(ヨハネ19:6)。それも群集であります。匿名の集団。主体がないのです。
 私たちも群集の中に隠れている限りは、何か安全地帯にいるように思っています。しかし神様の前に立つ時には群集のまま、匿名のままではいられません。イエス・キリストの存在は、私たちに「お前はどうなのか」という問いを否応なく突きつけてくるのです。そして私たちを二つにわけることになります。

「群集の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた」(12節)。

 そういう風に判断を迫ってくるのです。私たちはそうした中で、群集の中に留まっているのではなく、一つの答を出すように求められているのではないでしょうか。

(7)時は備えられている

 このところを読んでいて、もう一つ興味深く思ったことがあります。それは

「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている」(6節)

 という言葉です。「わたしの時はまだ来ていない」ということの大事な意味についてはすでに申し上げましたが、ここではあえてこの語順で語ることによって、「あなたがたの時はいつも備えられている」ということが強調されているように思いました。つまり、「私のカイロスはまだ来ていないが、あなたがたのカイロスはいつも備えられている」ということです。ここには積極的なメッセージが込められているのではないでしょうか。私たちにとっての決定的な時、カイロスは、いつでも目の前に迫っている。神様の方はいつもその用意ができている。自分でそれに気づかないだけだ。それに気づきなさい、と言われているのではないでしょうか。いつもその備えをすることによってこそ、本当に大切な時を見失わないで生きることができるのだと思います。
 収穫ということで、最後にイエス・キリストの興味深い言葉を紹介したいと思います。

「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい』」(マタイ9:36〜38)。

 群集が弱り果て、打ちひしがれている姿。これは、私たちの目からすれば、どうしようもない絶望的状況でしょう。お手上げだということになりそうです。悪い「時」です。しかしながら、主イエスはそれを「収穫の時」と見られるのです。収穫がたくさんある。働き手が少なすぎて、たくさんの収穫を取りきれない。このところでも、イエス・キリストは、私たちとは違う「時」のセンス、あるいは私たちとは違う判断の基準、物差しをもっておられるということを思わされます。
 今日はこの後、教会全体懇談会が開かれます。教会がこれから歩むべき道について、また今与えられている課題について、率直に話し合いたいと思います。私たちなりに、最もふさわしい時の最もよい方法、最もふさわしいあり方を誠実に探りつつ、神様はどうお考えになるであろうか、イエス・キリストはどうお考えになるであろうかという視点を見失わないようにしましょう。