自分の心を守る

〜ヨハネ福音書講解説教(36)〜
箴言4章20〜27節
ヨハネ福音書9章13〜25節
2004年5月23日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)「神の業が現れる」とは

 弟子たちは、生まれつき目の見えない人を見て、主イエスに「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」(2節)と尋ね、主イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(3節)とお答えになりました。ところで、この「神の業」というのは、一体何を指していたのでしょうか。普通に読めば、このすぐ後でなさってくださるいやしのことになろうかと思います。唾で泥をこねて、その人の目に塗ると、その人の目が見えるようになった。そのことは、神の業に違いありません。しかし私は更に別の何かを指しているように思うのです。
 前回、申し上げたように、この聖句(3節)は、古来、何かしらの障碍を負って苦しんでいる多くの人々に希望の光を与えてきました。多くの方が、この聖句は、自分の人生の転換点になったと話されます。この言葉によって解放されたというのです。
 しかしその方々は、必ずしも肉体の障碍は取り除かれたわけではありません。それでも「この聖句が人生を変えた」と言われる。それはどういうことなのでしょうか。
 この目が見えなかった人の場合も、「神の業」が一体何を意味していたのか、それはむしろ今日のテキストにおいて示されているように思うのです。

(2)ファリサイ派の人々の質問

 街の人々は、彼をファリサイ派の人々のところへ連れて行きました。ファリサイ派の人々は、彼がどのようにして見えるようになったのかを尋ねました。彼はこう答えます。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そしてわたしが洗うと、見えるようになったのです」(15節)。今度はファリサイ派の人々の間で、議論が起こります。その日が安息日であったからです。安息日には、命に別状のないことは、どんな仕事もしてはならないと定められていました。だから「それは安息日律法に違反することだ。そんなことをする人は神のもとから来た人であるはずがない」ということなのです。
 ファリサイ派の人々の間でも意見が分かれました。議論が高尚(?)になり、複雑になればなるほど、逆に真実が見えなくなるということがあるのではないでしょうか。素人がぱっと見てもわかりそうなものがかえって分からなくなってしまう。彼らもそれで議論に行き詰まり、再びこの人を召喚します。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」(17節)と、率直に答えました。

(3)両親を召喚する

 彼らは、それでも納得せずに今度は彼の両親を呼び出しました。彼らは二つの質問をします。一つは「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったというのは本当か」ということ、もう一つは「それが本当であれば、どうして今は見えるのか」ということでありました。それに対して両親は、このように答えます。

「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう」(20〜21節)。

 彼らは前半の質問に対しては、親として正直に答えました。それで一応、彼らの最低限の責任は果たしたと言えます。しかし後半の質問に対しては、明答を避けました。何か国会の証人喚問に似ていますね。核心部分の質問になると、はぐらかすのです。「記憶にございません。」「分かりません。」罪に問われないためです。この両親の場合もそれと同じ響きがあると思いました。ヨハネ福音書記者自身がこう説明しています。

「両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」(22節)。

 「会堂から追放する」ということは単に会堂に入ることを許されないというだけではなく、街の共同体から外されるということ、村八分にされるということを意味していました。彼らは言わば、そうしたぎりぎりの状況で、自分の身を守るために、息子を自分たちから切り離したわけです。そのような状況のもとでは、この両親の態度を責めることはできないように思います。そのようなぎりぎりの状況に置かれていない私たちに、彼らを責める権利はありません。

(4)戦時下の教会

 私はこれを読んでいて、戦時中の日本の教会の取った態度を思い起こしました。日本のすべてのキリスト教会は、1941年、宗教団体法のもとに日本基督教団として合同させられました。国家が教会をひとつにまとめて管理、統制しやすくしたのです。そして1部、2部、という風に部制が敷かれました。そうした中で、究極的な問いが教会に突きつけられます。端的に言えば、「天皇とイエス・キリストとどっちが偉いのか。どっちが上なのか」という問いでありました。それに対して、日本基督教団の大半の教会は、「いやそれは次元の違う問題であって、そもそも比較することができない」と言って、何とか大きな迫害を免れました。ところが当時、6部、9部に属していたホーリネス系の教会は、はっきりと「イエス・キリストが上です」と答えました。そのことは、彼らの信仰にとって、どうしても譲ることのできない一線であったのです。
 これと似たようなことはドイツでも起こりました。ドイツの場合は、もともとほとんどがクリスチャンの国ですから、ヒトラーでさえも、「イエス・キリストと自分がどっちが偉いか」という言い方はできませんでしたが、状況として、聖書の戒めよりも、それに矛盾するヒトラーの命令の方が上に立つということが生まれてきました。ヒトラーの命令に従うか、聖書の神の命令に従うか。ドイツの良心的な人々、例えばボンヘッファーのような人は、これは十戒の第一戒にかかわることだと考えました。第一戒というのは、「あなたにはわたしをおいて他に神があってはならない」という戒めです。そしてそこで、自分たちの信仰を守り抜いた。良心を守った。心を守ったのです。
 当時のホーリネス教会の人々は、その信仰告白によって、どんどん投獄され、何人もの牧師や教会のリーダーが獄死しました。そのように彼らが迫害を受けている最中、大半のキリスト教会はどうしたかと言うと、このように言ったのです。「彼らの信仰は、私たちから見れば、かなり異質です。彼らは、どうもこの世の事柄と神の国の事柄を混同しているようです。」ホーリネス教会の人々にとって「イエス・キリストは再びこの地上に帰ってこられて、この地上を支配される」という再臨の信仰は非常にリアルなものでした。特に戦時下のような非常事態においては、それが希望の根拠でありました。そのことはヨハネの黙示録が書かれた当時のローマ帝国の迫害下にあったキリスト教信仰に近いものがあります。
 私は日本の中心的な教派、日本基督教会、日本メソジスト教会、日本組合教会、これらが1部、2部、3部を形成していたわけですが、それらの教会が「イエス・キリストと天皇は、比べることなんかできない」と言ったことは、必ずしも間違いではないと思います。そしてぎりぎりの極限状況において、その言葉によって、自分の身を守ろうとしたことを、私たち(特に戦後生まれの私のような者)は、安易に批判することはできないでありましょう。特に教会の指導者たちは自分の身を守るというよりも、そのようにして自分の教会を守り、自分の教会の信徒たちを守ろうとしたということを見逃してはならないでありましょう。

(5)信仰告白の問題

 しかしそれでも、私たちはこのことを、過去の一事件として不問にしてはならないと思うのです。過去の当事者を第三者的に批判するという形ではなくて、自分の問題、あるいは自分の教会の問題として、この歴史を認識し、そしてそれを課題として、負い目として負い続けなければならないと思うのです。そうでなければ、私たちは将来同じ事態に遭遇した時に、同じ過ちを犯すことになるでしょう。
 「イエス・キリストと天皇は比べることはできない」「イエス・キリストとヒトラーは比べることはできない」。確かにそういう面もあります。大事なことは、それがどういう文脈で、誰に向かって、何のために語られているかということです。あるいはその態度によって、どういう事態がもたらされるのかということ、それを語ることによって、そこで迫害を受けている人、苦しんでいる人を切り離すことにならないかということが問われているのです。
 その状況で犠牲になっている人々との連帯を続けるのか、その人を自分と切り離してしまうのかということです。それこそが問題なのです。その文脈でこそ、私たちの信仰が問われるのです。
 私たちは信仰告白を大事にする、信仰告白を堅持する教会である、と言います。信仰告白を本当に大事にするということは、そういうことではないでしょうか。毎週、礼拝の中で信仰告白を唱えるという形式、もちろんそれは意味のあることですが、それだけでは、信仰告白を大事にしたことにはならないでしょう。その信仰告白が私たちの血となり肉となって、私たちがその信仰告白を生きているどうかということが問われるのです。
 この時に目の見えなかった人の両親が言ったことも、何も間違いではありません。しかも彼らは最小限の責任をきちんと果たしています。ところがこの言葉が何を意味していたか。それは彼らが自分の子どもを切り離すことによって、自分の身を守った。息子はやがて会堂を追放されることになるのですが(34節参照)、彼らは会堂追放を免れた、ということであります。

(6)誠実な態度

 日本基督教団は、1986年11月、第24回教団総会会期中に、「旧6部・9部教師および家族、教会に謝罪し、悔い改めを表明する集会」を催し、ホーリネス教会の人々に正式に謝罪しました。
 私は、今の時代、教会がこういう問題にきちんと対処することは、特に大事であるように思います。日本の社会も、戦前戦中の時代といろんな意味で似た様相を帯びてきております。国家が一体どういう方向に進んでいるか。もしもそれが神様の御心に反した方向に進んでいるならば、教会は社会に対して警鐘を鳴らさなければなりません。聖書の神は、今この世界に対して、何を告げようとしておられるのか。私たちは今、何をしなければならないのか。これは深い意味で、信仰の問題、信仰告白の問題であると思います。
 ファリサイ派の人々は、両親に続いて、再び彼を呼び出して、問いただします。
 「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ」(24節)。彼らは、「正直に答えよ」と言いながら、ある答えを強要しようとしています。一種の脅しです。それに対して、彼は、

「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただひとつ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです」(25節)

 と答えます。彼の答えは、ファリサイ派の人々が求めていた答えではありませんでしたが、彼はここで「自分の心をごまかしてはいけない。それをはっきり告げることこそが自分に求められているのだ」と悟るのです。
 彼とファリサイ派の人々との問答はさらに続いていきます。そのやり取りの中で、彼の信仰はだんだんはっきりしていきます。それはファリサイ派の人々の態度と呼応していますが、彼らの態度が一種の反面教師となって、彼の信仰は不思議な形で育てられていくのです。
 私はむしろそういうプロセスを経て、彼の身に起こったこと、彼の言葉がある方向に導かれていったこと、彼の生き方の中に変化が現れたこと、それこそが「神の業がこの人に現れる」ということではなかったかと思うのです。

(7)父の諭し

 今日はヨハネ福音書に先立って、「父の諭し」と題された箴言の言葉を読んでいただきました。これは、父が息子に語りかける形式をもつ「勧告」ないし「教訓」のような言葉です。

「わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ…。
何を守るよりも、自分の心を守れ。
そこに命の源がある。
曲がった言葉をあなたの口から退け
ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。
目をまっすぐ前に注げ。
あなたに対しているものに
まなざしを正しく向けよ。
どう足を進めるかをよく計るなら
あなたの道は常に確かなものとなろう。」
(箴言4:20〜26)

 この目の見えなかった人は両親に見放されたようになりましたが、ここで「父の諭し」と呼ばれている聖書の言葉が、イエス・キリストを通して彼と出会い、彼を内側から信仰に導いていったと言えるのではないでしょうか。私たちも、その道を歩んでいきたいと思います。


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