本物の羊飼い

〜ヨハネ福音書講解説教(38)〜
詩編23編1〜6節
ヨハネ福音書10章1〜13節
2004年7月25日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)過酷な羊飼いの仕事

 聖書の中には、羊と羊飼いの話が、たくさん出てまいります。ある時はたとえとして、ある時は実際の物語として、出てきます。それは、ユダヤ・パレスチナ地方に住む人々にとって、羊や羊飼いの生活というのは最も身近なものであり、たとえとしてもわかりやすいものであったからでしょう。最も有名なものは、先ほど読んでいただいた詩編23編であろうかと思います。

「主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い、
魂を生き返らせてくださる」

と始まります。
 ただ私たち日本人にとっては、羊や羊飼いというのは、あまり生活に密着したものではありませんので、何かほんわかとした、のどかな生活、いわゆる「牧歌的生活」を思い浮かべかねません。しかし羊飼いの生活とは、決してのどかなものではなく、非常に過酷なものでありました。ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアトを対決することになった時、自分は小さい時から、羊飼いとして獅子や熊と戦ってきたと話しました(サムエル上17:34〜35)。羊飼いの生活は、狼や盗人など、さまざまな敵から自分の羊を守る、大切な、そして大変な仕事でありました。
 今日、私たちに与えられましたヨハネ福音書第10章の言葉も羊と羊飼いのたとえでありますが、先ほど述べましたように、羊飼いの生活が、非常に厳しいものであること、いつも危機に面していることをよく表していると思います。
 このヨハネ福音書第10章全体の主題のようにして響いてくる言葉は、11節と14節に二度出てくる「わたしはよい羊飼いである」という言葉でありましょう。「わたしは何々である」(エゴー・エイミ)というのは、前から何度も申し上げていますように、イエス・キリストが誰であるかを示すヨハネ福音書独特の定式(言い回し)であります。今日のテキストの中には、この他にも「わたしは羊の門である」(7節)、「わたしは門である」(9節)という言葉が出てきますが、これも同じ定式であります。
 今日は、「わたしはよい羊飼いである」という言葉をめぐって、御言葉を聞きたいと思います。一体、よい羊飼いとは、どういう方であるのか。それは二つの偽者との対比によって、鮮やかに語られています。一つは盗人との対比、もう一つは雇い人との対比であります。

(2)盗人との対比

 主イエスは、こう語られました。

「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く」(1〜4節)。

 羊飼いは、羊が外に出て迷ってしまわないように、羊が跳び越すことのできない高さの、大きな囲いを作っておりました。羊飼いは朝、正規の入口である門を通って羊の囲いの中に入り、羊たちを草のある牧場へ連れて行きました。ところが家畜泥棒や強盗たちは、正規の門を通らないで、夜、柵を乗り越えて羊を奪っていきました。
 移動する時には、羊飼いは羊が野獣や泥棒の餌食にならないよう、常に羊の先頭に立って行きました。群れを守るために、ダビデがゴリアトを倒した時のような石投げの練習もしましたし、また群れから離れそうな羊に対しては、その少し向こうに石を落として、羊を群れの中に引き込む訓練もしたようです。そして一匹一匹名前をつけて、名前でもって羊たちを呼びました。そういうことがここに語られています。

(3)盗人とは誰のことか

 それにしても、ここで「盗人」「強盗」としてたとえられているのは、具体的にどんな人のことなのでしょうか。主イエスは、「わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である」(8節)と言われます。しかし、これは決して、旧約聖書の預言者たちということではありません。モーセや、イザヤ、エレミヤのような人たちのことではない。むしろ彼らはイエス・キリストと同じ方を指し示した先駆者でありました。
 そうではなく、その神様の権威を自分のために利用してきた人たち、ということが言えるかと思います。この第10章は、実は第9章の続きとして語られています。9章の終わりで、ファリサイ派の人々とイエス・キリストの間に対立がありました。彼らは「我々も見えないということか」とイエス・キリストに食って掛かりました。そこには、「自分たちこそはイスラエルの神様の権威の下で働いているのだ」という思いがありました。この10章の言葉は、そのファリサイ派の人々に向かって語られているということを、見逃してはならないでしょう。しかし、このたとえの意味を彼らは理解することができませんでした。「イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことかわからなかった」(6節)とあります。
 彼らにしてみれば、まさか自分たちのことを言われているとは、想像もつかなかったのでしょう。まさしく「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになるためである」(ヨハネ9:39)という言葉の通りです。幸い、わからなかったからこそ、喧嘩にならなかったのでしょう。

(4)牧師として思うこと

 シュラッターという人は、この箇所を次のように註解しています。「彼ら(盗人)はすべて、自己自身に奉仕しているのであって、教会に仕えているのではない。彼らは、教会を自分に導くのであって、神に導かなかった。それゆえ、彼らは教会を建てず、かえってそれを破壊してしまった。」
 厳しい言葉です。私は説教の準備をしながら、しばしばその聖書の言葉に、私自身が裁かれたり、救われたりする経験をいたしますが、今日の聖書の言葉は、牧師である私には、本当に厳しい、ぐさりと胸に突き刺さる言葉でありました。
 「牧師」(pastor)というのは文字通り、羊飼いということですが、牧師として聞きたくない厳しい言葉が連ねられています。この言葉を自分はどんなに偉そうな顔をして語ることができるかという思いがします。襟を正して読みました。
 私たちは、何かいつも、ここでシュラッターが述べているようなことを繰り返しているのではないか、と考えさせられます。有名な牧師が去った後、とたんにその教会もがたがたし始めたというのは、よく聞く話であります。イエス・キリストは、まさしくそういう事態まで見抜いておられたのかと思うと、背筋に寒気が走るような思いすらいたします。
 これはどんなに一生懸命やっていても、ついてくることではないかと思います。「私はもしかして、神様の栄光のためにではなく、自分の栄光のために働いているのではないか。」
 あの使徒パウロでさえも、心当たりがあったのでしょう。彼はこのように言いました。

「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気にいろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」(ガラテヤ1:10)。

 パウロのような優れた指導者であっても、そして深い信仰的な人であっても、そうであったのです。いやそうであればこそ、逆に誘惑も大きく、彼はいよいよそれを深く自覚していたのでありましょう。あるいは逆に言えば、そのようなことを意識することなく、自分は心底神様のために働いていると信じ込み、明言することの方が恐ろしいような気もします。これは本当に紙一重のことです。いや、牧師が生身の人間である限り、いつもそのような二面性をもっているということを、自覚しておいた方がよいとすら思っています。いつもまことの羊飼い、よい羊飼いであるイエス・キリストを見ながら、その鏡に照らして、どのような時にも自分を正していかなければならないと思います。

(5)雇い人との対比

 もう一つ、主が「よい羊飼い」「本当の羊飼い」と対比的に語られたのは、「雇い人(羊飼い)」でありました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。……彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。(11〜13節)。
 羊飼いにとって、羊を守るために危険にさらされるのは、日常茶飯事でありました。羊のために、実際に命を失った羊飼いもたくさんいたようです。
 この言葉も自分に照らし合わせてみれば、私は、よい羊飼いとは程遠い、懺悔せざるを得ないような経験を、何度も繰り返しています。厳粛な思いにさせられます。一体誰がこの言葉に耐えうるでしょうか。人間である牧師は、この羊飼いと雇い人の間を行ったり来たりしているのだと思います。あのシモン・ペトロでさえも、「どこまでもイエス様に従って行きます」と言いながら、雇い人のごとく、逃げてしまったのでした。

(6)ドイツに帰ったボンヘッファー

 私は、このことからディートリッヒ・ボンヘッファーの、ある経験を思い起こすのです。ボンヘッファーは20世紀前半のドイツの神学者でありますが、1930年から31年まで、ニューヨークのユニオン神学校に留学いたしました。私もその神学校で学びましたが、ユニオン神学校の中には、今でも「ボンヘッファー・ルーム」という部屋があります。その部屋は、かつてボンヘッファーが祈りを捧げ、ドイツに帰る決断をしたことを記念する、特別な意味が込められた部屋でありました。
 ボンヘッファーは、この留学の後、1930年代、ナチスが台頭する中、ドイツ告白教会というナチスに組みしない教会の中心的人物になっていきました。ナチスの言うとおりにして、ナチスの加護を受けていたドイツ国家教会に対抗してのことです。しかしながら、ナチスのアメとムチの政策の中で、この告白教会運動もだんだん骨抜きにされていき、内部崩壊し、結局、失敗に終わるのです。彼が挫折感を味わっていたちょうどその頃(1939年)、ユニオン神学校時代に知り合った神学者、ポール・レーマンやラインホルト・ニーバーたちが、ボンヘッファーをアメリカへ招きました。彼はその招きを受けて、再びニューヨークに行くのですが、ニューヨークに着いたとたん、「自分は今、ドイツから逃げるべきではない」と、後悔し始めるのです。彼はラインホルト・ニーバーに対して、こういう手紙を書きました。

 「私がアメリカへ来たのは間違いでありました。私は、私たちの国の歴史の困難な時期を、ドイツのキリスト者と生きなければなりません。もし私がこの時代の試練を同胞と分かちあうのでなければ、私は、戦後のドイツにおけるキリスト教生活の再建にあずかる権利を持たなくなるでしょう。……ドイツのキリスト者は、キリスト教文明が生き残るために自分の祖国の敗北を望むか、あるいは、祖国の勝利を望んでそのためにわれわれの文明の破滅を招くかという、恐るべき二者択一の前に立たされるでしょう。そのうちのどちらを選ぶべきか、私にはよく分かっております。しかし私はその選択を、自分の安全を犯さないですることはできないのです」(E・ベートゲ『ボンヘッファー伝』408頁)。

 そしてボンヘッファーは、6月26日の『ローズンゲン(聖書日課)』の言葉に、はっとさせられるのです。そこには、こう記してありました。
 「冬になる前に、急いで来て欲しい」(テモテへの手紙二4:21、口語訳)。
 彼はその日の日記に、こう記しています。

「この言葉が一日中、私の頭にこびりついて離れなかった。それは、戦場から休暇で帰ってきた兵士が、自分を待っていたすべてのものをふり捨てて、また戦場引き戻されるときのようだ。……『冬になる前に、急いできてほしい』−これをもし私が自分に言われたことだととらえても、それは聖書の乱用ではない」(宮田光雄『御言葉はわたしの道の光』12頁)。

 そして彼は、ドイツへと帰り、いよいよナチスの転覆計画をもつ地下抵抗組織に入って行くことになります。彼は、戦後のドイツの再建にかかわりたいという思いをもっていたにもかかわらず、ナチスの手で処刑されて死んでいきました。
 自分の羊を見捨てず、そのために命を落とすことになった一人の「羊飼い」の実例を見る気がいたします。

(7)よい羊飼いに招かれて

 最後にもう一度、「私はよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」というイエス様の言葉を心に刻みたいと思います。イエス様は、この言葉の通りに生き、そして死ぬことによって、羊飼いとしての使命を全うしてくださいました。その羊飼いに、私たちは生かされています。そしてそのよい羊飼いの大きな腕の中で、私たち自身も、イエス様を鏡として、牧師として、また信徒としても小さな羊飼いとして、続くようにと招かれているのです。


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