死んでも生きる

〜ヨハネ福音書講解説教(42)〜
列王記上17章17〜24節
ヨハネ福音書11章17〜27節
2004年10月17日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)ラザロは確かに死んだ

 ヨハネ福音書の11章を読んでおります。「さて、イエスが行ってご覧になると、ラザロは墓に葬られて既に4日もたっていた」(17節)。イエス・キリストのところへ、ベタニアのマルタ、マリア姉妹から「兄弟ラザロが病気で死にかけている」という伝言をもった使いがやってきましたが、それからようやく2日の後にイエス・キリストは出発されました。片道2日かかる距離であったのでしょうか。あるいは使いがベタニアから主イエスのおられたところへ到着するのに1日、主イエスがそこからベタニアに到着するのに1日かかったとして、合計4日であったのかも知れません。
 ここにわざわざ「4日もたっていた」と記されているのは、ラザロが本当に死んだのだということを強調するためでありましょう。この後、ラザロは復活するのですが、それが単なる蘇生ではなかったということであります。当時のユダヤ人の間では、死者の霊は、死後3日間はまだ遺体のそばに留まっている。しかし4日目になるとそこを離れて、蘇生の望みは全くなくなると信じられていました(日本にも同じような考えがあります)。肉体的にもそうでありましょう。4日目になると、腐敗が始まります(38節参照)。

(2)マルタの嘆き

 マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が兄弟ラザロのことで慰めに来ていました。いわゆる葬儀の弔問客であります。当時のユダヤの葬儀は随分長く、1週間位続いたそうです。マルタは、「イエスが来られた」と聞いて、弔問客を家に残したまま、迎えに飛び出していきました。
 マルタは、イエス・キリストに向かって、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節)と言いました。どういう思いでこの言葉を語ったのでしょう。
 少しうらみがましい言葉のようにも聞こえます。「どうしてすぐに出発してくださらなかったのですか。今頃来られてももう手遅れです」。彼女は、まさしく彼女自身の家で、主イエスが不思議な仕方で多くの病人をいやして来られたのを、何度も見てきたことでしょう。「ラザロが生きていさえすれば、どんな瀕死の病気でもいやしてくださる」と思ったに違いありません。
 あるいは、何かを期待するということよりも、せめてその場にいて欲しかった。主イエスに看取られて死なせてやりたかった、という思いかも知れません。またもしかすると、別にうらんでいるわけではなく、ただイエス・キリストの顔を見た途端に何か言わずにいられなかったのかも知れません。いずれにせよ、彼女の深い悲しみ、嘆きがこの言葉に表れていると思います。
 しかし彼女は、「あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」(22節)と続けます。これは先の言葉と矛盾する言葉に見えます。彼女は「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った後で、「あっ、まずいことを言ってしまった」と思ったのかも知れません。自分で不信仰な言葉だと気づいたのでしょうか。失礼な言葉を語ってしまったという思いもあったのでしょうか。「イエス様だって、すぐには出られない事情もあっただろう。それを考えもせず、ひどいことを言ってしまった。」自分で自分の言葉を一所懸命フォローしようとしたのかも知れません。そうした様子、気が動転している様子が伝わってきます。愛する人を失った時というのは、そういうものではないでしょうか。やや支離滅裂なのです。

(3)子どもを失った母とエリヤ

 今日は、列王記上17章のエリヤ物語の一部をお読みいただきました。ここにも愛する人を失った時の気持ちがよく表れていると思います。
 エリヤは、当時のイスラエルのアハブ王とイザベル王妃を批判して、命をねらわれていました。彼は一旦ケリト川という川のほとりに身を隠すのですが、やがて母一人子一人の貧しい家庭に身を寄せるようになります。ところがその家の大事な息子、母親の宝物、生きる支えである独り息子が病気にかかって死んでしまうのです。エリヤはその家の二階に間借りしていました。彼女は二階に住んでいるエリヤに対して、怒りをぶつけます。「神の人よ、あなたはわたしにどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか」(列王記上17:18)。彼女はとにかく自分の気持ちをどこへもっていっていいかわからなかったように見えます。あのマルタに通じる気持ちではなかったでしょうか。とにかく誰かに訴えたいのです。
 エリヤは、「あなたの息子をよこしなさい」と行って、その亡骸を抱きかかえて二階の部屋へ連れて行きました。そして自分のベッドへ寝かせ、その体の上に突っ伏して、祈りました。彼女の言葉をそのまま神様にとりなしたような祈りです。「主よ、神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか」(同20節)。そして彼はその子どもの上に三度身を重ねてから、もう一度祈るのです。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」(同21節)。ついに神様はエリヤの祈りを聞かれて、その子の命を元にお返しになりました。エリヤは、その男の子をまた連れ降ろして、彼女にこう言います。「見なさい。あなたの息子は生きている」(同23節)。彼女は最後にエリヤにこう言いました。「今わたしはわかりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です」(同24節)。これは旧約聖書に記されている数少ない復活の物語のひとつです。今日の話に通じるものがあると思います。

(4)頭の中での理解

 マルタの「あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」という言葉は、本気ではないのかと言えば、必ずしもそうとは言えません。少なくとも、頭ではそのように理解しています。信仰の論理からすれば、そうなのです。私たちにも同じようなところがあるのではないでしょうか。「神様であれば、何でもできる。イエス・キリストであれば、何でもできる。」その通りです。でも本気で信じているわけではない。そういう思いがあります。彼女も「あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださる」と言いながら、兄弟ラザロが、その日のうちに復活させられるということは全く考えてもいないのです。
 ですから、主イエスが、「あなたの兄弟は復活する」(23節)と言われても、特に何の感動もありません。心は動かず、通り一遍の返事をします。「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(24節)。当時、ファリサイ派の人々はそう信じていました。ちなみにサドカイ派と呼ばれる人たちは、それと対立して、「復活はない」と言っていました(マタイ22:23〜33参照)。マルタはファリサイ派の教えに従って、「自分もそれは信じています」と言ったのです。

(5)「わたしは復活であり、命である」

 しかし主イエスは、このマルタの言葉を否定せず、言葉を続けられました。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(25〜26節)。

 これは聖書の中でも最も有名な言葉のひとつです。多磨霊園にあります、経堂緑岡教会の墓地の墓碑にもこの言葉が刻まれています。このラザロの復活物語全体のクライマックスは、この言葉にあると思います。物語全体が、この言葉のためにあると言ってもいい程です。
 「わたしを信じる者は死んでも生きる」ということと、「生きていてわたしを信じる者はいつまでも死なない」ということ。これは、同じことを裏表で語っています。命の源であるイエス・キリストにつながる時に、死は死でなくなるのです。
 前回のテキストの中に、「この病気は死で終わるものではない」(4節)という言葉がありました。私たちの人生は、この死によって、ある日突然、終わります。切られてしまいます。ところが聖書は、この切断は絶対的なものではないというのです。ただ単に肉体の死だ。私たちはそのことによって愛する人と隔てられてしまいますが、命の源であるイエス・キリストとつながることによって、私たちはずっとつながっているのだということです。それが聖書の根幹にあるメッセージであります。私たちの前に立ちはだかる肉体的な死、それを超えるものがあるのです。
 ラザロの復活の物語は、それを証しするために、その一つの例として示されているのです。

(6)ボンヘッファーの最期の言葉

 私はディートリッヒ・ボンヘッファーのことを時々話していますが、最期のことはまだ申し上げていないように思います。ボンヘッファーは、1945年4月9日にナチスの手で処刑されますが、それが決定したのはわずか数日前のことでした。彼自身、処刑の数日前まで、自分がいつか釈放されるということを信じていたようです。ヒトラー暗殺計画をもつ組織の一員であったヴィルヘルム・カナーリス提督(海軍大将)の完全な日記がナチスに発見されて、その中にボンヘッファーの名前がやはり組織の一員として記されていたことが決定的となりました。4月5日のヒトラーを囲む国家治安庁中枢部の昼食時の協議の席上でのことでした。
 ボンヘッファーは1945年4月8日、収容所から収容所へと移送中、シェーンベルクという村の小学校に滞在していました。そこで突然、呼び出されてフロッセンビュルク収容所へ移送され、その日のうちに死刑判決を受け、翌日4月9日に処刑されたのでした。
 移送中の最期の1週間を共に過ごしたペイン・ベストというイギリス人に、ボンヘッファーは、別れ際に英国国教会のチチェスターのベル主教にある伝言を託しました。ベル主教というのは1932年以来、エキュメニカル運動において、ボンヘッファーと親交のあった人物です。それはこういう言葉でした。「これが最期です。−わたしにとっては生命の始まりです」。これは、ボンヘッファーがこの世に遺した最後の言葉として有名になりました。「これが最期です。(しかし)わたしにとっては生命の始まりです」。後にベル主教はより詳細に報告しています。「彼にこう伝えてください(とボンヘッファーは言った)。私にとってはこれが最期です。しかしそれはまた始まりです。あなたと共に、私は、あらゆる国家的な利害を超越するわたしたちの全世界的なキリスト者の交わりを信じています。そして私たちの勝利は確実です」(E・ベートゲ『ボンヘッファー伝』W、501頁)。
 ボンヘッファーはその前年、獄中から友人E・ベートゲに宛てた手紙の中でも、やはりこれに通じる言葉を書き送っています。「僕たちの喜びは苦難の中に、僕たちの生は死の中に隠れています」(1944年8月21日)。
 ボンヘッファーが肉体の生死を超えたところに、まこと「生」「いのち」を見ていたということが伝わってまいります。

(7)命は、主イエスの御手の中に

 今日はこの後、『讃美歌21』575番「球根の中には」を歌いますが、その3節は次のような言葉です。

「いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に、死は復活に、
ついに変えられる 永遠の朝。
その日、その時を ただ神が知る」

 「いのちの終わりはいのちの始め。」イエス・キリストにつながる時に、私たちの命は、肉体の死を超えていく。イエス・キリストは、それをマルタに告げ、「このことを信じるか」と言われました。マルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」(27節)と答えました。彼女がどのレベルで信じたのか。どの程度、本気で信じているのか、疑わしいものがあります。彼女のこの後の墓の前での行動を見ていますと、どうも主イエスがおっしゃったことの深い意味は理解していなかったようです。しかし私は、彼女の応答はそれでも意味があると思うのです。
 「このことを信じるか」と言われて、彼女は、とにかく「はい」と答えた。そこには、疑いもあるかも知れない。しかし意識的にそう言った。これは私たちの信仰告白に似ているのではないでしょうか。一旦、そう告白した後でも、私たちの心は揺れます。本当にそう信じているのかと言われれば疑問もあります。しかし、私たちのそのようなあやふやな信仰告白の上に、私たちの救いがあるのではありません。イエス・キリストがすでに命の主として立っておられるということが根本的に大事なのです。私たちはただそれに「はい、主よ、信じます」と応答するだけです。私たちの手の内にではなく、イエス・キリストの御手の内に、私たちの命、救いがある。このイエス・キリストに、私たちも「はい、主よ、信じます」と応答して、新しく歩み始めましょう。


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