身勝手と知りつつ

〜ヨハネ福音書講解説教(47)〜
ゼカリヤ書9章9〜10節
ヨハネ福音書12章12〜19節
2005年2月6日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)カーニバル

 昨日の夕刊に、リオのカーニバルが始まったことが出ていました。ブラジルと日本の時差は12時間ですので、今ブラジルは土曜日の夜11時です。かなり盛り上がってきた頃かなと思います。ちなみにリオのカーニバルの本選は、日曜日の夜と月曜日の夜にそれぞれ出場する7チームの合計14チームで競われます。この14チームがスペシャル・グループと呼ばれます。スペシャル・グループ最下位のチームは、土曜日の夜に行われるAグループの優勝チームと、次年度入れ替わらされます。また火曜日の夜はBグループですが、その優勝チームが土曜日のAグループの最下位のチームと入れ替わることになります。そして火曜日のBリーグに入り込むためにも、熾烈な競争があるわけですから、日曜日と月曜日のスペシャル・グループに残り続けるのは大変なことであります。
 カーニバルは、リオデジャネイロだけではなく、ブラジル中で、各地のスタイルで行われます。私が住んでいましたオリンダも特徴のあるカーニバルで有名な町でした。もちろんブラジルだけではなく、ドイツのケルンであるとか、アメリカのニューオリンズであるとか、それぞれ特徴のあるカーニバルが行われているようです。カーニバルの話を始めると、すぐに30分位たってしまいますから、今日はこれ位にしておきましょう。

(2)カーニバルから受難節へ

 カーニバルというのは教会の祭りではありませんが、教会の暦に連動しています。カーニバルは受難節に入る灰の水曜日直前の数日間に行われるからです。受難節は自分を静かに振り返り、悔い改めをする季節ですので、その前に大騒ぎをしてしまおうということでしょう。また受難節には肉を食べないということで、その前に思いっきり肉を食べようというのがカーニバル(謝肉祭)という名前の由来です。(カーニバルの「カルネ」とは、肉のことです。)これは、かなり乱暴な考えで、とても信仰的とは思えませんが、裏返して言えば、それだけ受難節のことを重く受け止めていると言えるかも知れません。受難節の間は、ともかくお祭り騒ぎは自粛するのです。人によっては、あるいは教会によっては、この時期に断食をいたします。日本人は、クリスマスには街中で大騒ぎいたしますが、受難節とイースターの場合には、「関係ありません」という感じですね。
 今週の水曜日が灰の水曜日であり、この日から40日間の受難節に入ります。この40日間というのは、主イエスが荒れ野で40日40夜、断食をなさったことに基づいています。もう一つさかのぼれば、イスラエルの民が荒れ野で40年を過ごしたということと関係があります。
 皆さんもそれぞれにこの受難節をどのようにして過ごすか、何かしら普段とは違う努力をして、自分を静かに振り返る時にしていただきたいと思います。たとえば、普段なかなか祈祷会に来られない方々であっても、せめて受難節の間は祈祷会に出る努力をするというのは、それにふさわしいことでしょうし、それが無理な方であっても、それぞれの仕方で、何か考えられるのではないでしょうか。例えば、断食をしないまでも、ぜいたくな食事をしないで、その分献金をするという方法もあるでしょう。ちなみに2月17日、私は経堂のYMCAで開かれる東京目黒ワイズメンズクラブで、お話をすることになっていますが、この日は普段のような食事はせずに、おにぎりだけにし、その分献金をしようということになっているそうです。

(3)エルサレム入城

 さて、今日私たちに与えられましたテキストは、ヨハネ福音書12章12節から19節です。新共同訳聖書では、「エルサレムに迎えられる」と題されております。
 いきなり「その翌日」という言葉で始まっています。前回の、マリアが主イエスに香油を注いだ話が「過越祭の6日前」のことでしたので、引き算をすると、これは過越祭の5日前の出来事ということになります。主イエスが十字架にかけられたのが過越祭の金曜日ですから、その前の日曜日、イースターの前の日曜日の出来事です。私たちは、この日をしゅろの主日と呼んでいますが、その名前の由来はこの出来事の中にあります。

「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして叫び続けた。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に』」(12〜13節)。

 この「なつめやしの枝」というところが、これまでの口語訳聖書では「しゅろの枝」と訳されていました。「しゅろ」と「なつめやし」、どちらでもいいようにも思えますが、少し種類が違うそうです。なつめやしの方が、幅の広い枝であるとのこと。また聖書学者の研究によれば、イエス・キリストの時代のエルサレムには、しゅろの枝はなかったそうです。(これからは「しゅろの主日」ではなく、「なつめやしの主日」と呼ぶようになるのでしょうか。)

(4)「マカバイ記」の勝利の凱旋

 ちなみにここで彼らがなつめやしの枝をふって、主イエスを出迎えたことにも背景があります。皆さんの中に「続編つき」聖書というのをお持ちの方があるかも知れません。「続編」というのは、カトリック教会で「第二正典」、プロテスタント教会で「外典」(アポクリファ)と呼んできたものです。「第二正典」とすると、プロテスタントの人は首を傾けますし、「外典」とすると、カトリックの人が納得しないでしょうから、新共同訳では「続編」という呼び名に落ち着いたようです。
 その中にマカバイ記というのがあります。このマカバイ記に、勝利の支配者をしゅろの枝を持って迎えるという記事があるのです。「第171年の第2の月の23日にシモンとその民は、歓喜に満ちてしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二絃を鳴らし、賛美を歌いつつ要塞に入った。イスラエルから大敵が根絶されたからである」(マカバイ記一13:51)。
ちなみにこの後歌います『讃美歌』第一編の130番というのは、ヘンデルの「マカベウスのユダ」というオラトリオから讃美歌になったものですが、もともとは、この出来事を歌ったものでした。表彰式などでしばしば用いられるのは、これが勝利の凱旋歌だからです。
 エルサレムの群衆もこの時、イエス・キリストをそのような勝利の支配者として大フィーバーをして迎えたのです。それは、イエス・キリストを憎々しいを思っている人でも全く手のつけようのない程の熱狂ぶりでありました。「そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。『見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか』」(19節)。彼らも自分たちの計画が挫折しかけていたことを、半ば認めていたのかも知れません。
しかし私たちは、残念ながら、これが最後のイエス・キリストの姿ではないことを知っています。この同じ群衆がわずか5日後の金曜日に、イエス・キリストを「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と叫ぶようになるのです(19:15)。ファリサイ派の人々からすれば、この時あきらめかけていたものが、思わぬ形で一気に形成が逆転して、計画が実現に向かうということになります。

(5)熱狂的歓迎を受け入れる主イエス

 この時、つまり群衆がイエス・キリストを熱狂的に出迎えた時、イエス・キリストはそういう風になることを見抜くことができなかったのでしょうか。イエス・キリストは、この時、群衆の期待通りに行動しておられます。ろばの子を見つけて、ご自分からそれにお乗りになられました。私は、この時、イエス・キリストはこれから起こるべきことを察しておられたに違いないと思うのです。それにもかかわらず、イエス・キリストは彼らの歓迎を受けいれられた。イエス・キリストがラザロを復活させられたことで、群衆はスーパーヒーローのような救い主を期待しています。ですから「そんなことではないのだ」と一喝して拒否なさってもおかしくないところです。しかしイエス・キリストは、彼らの熱狂、彼らの行動が身勝手なものであると知りつつ、静かにそれを受け入れられたのです。

(6)旧約の預言の実現のため

 それは一体どうしてでしょうか。一つには、そのようにして旧約聖書の預言が実現するためでありました。先ほど申し上げましたように、なつめやしの枝を振って出迎えたというのは、マカバイ記が下地になっています。
その次の「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」という言葉は、詩編118編25〜26節の言葉であります。
「どうか主よ、わたしたちに救いを
どうか主よ、わたしたちに栄を
祝福あれ、主の御名によって来る人に。」

ちなみに「ホサナ」というのは、「今、救ってください」という意味です。この詩編が今ここに実現しているのです。そしてこのように続きます。

「イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。
『シオンの娘よ、恐れるな。
見よ、お前の王がおいでになる。
ろばの子に乗って』」(14〜15節)。

 これはゼカリヤ書9章9節の引用です。

「娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。」
(ゼカリヤ書9:9)

 王というのは堂々としているべきものでしょう。ですから王にふさわしい乗り物、動物と言えば、馬ではないでしょうか。しかしこの王は馬ではなく、ろば、しかも子ろばに乗ってやってくるというのです。ろばは、柔和さの象徴でありました。あるいは、愚かでのろまな動物という風にみなされていました。王にはふさわしくない動物であるように思えます。しかしそのろばに乗る姿にこそ、実はまことの王の秘密が隠されていたのです。
先ほどのゼカリア書の言葉は、このように続きます。

「わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。」
(ゼカリヤ書9:10)

 もう戦争はしない、ということです。平和の王がろばに乗ってやってくるのです。この預言が、今イエス・キリストによって実現しているということを福音書記者は言おうとしているのでしょう。もちろんイエス様自身が、それをご自分のこととして受け入れられたということでもあります。

(7)それでも救い主であるから

 さらにもう一つ、主イエスが彼らの歓迎を受け入れられたことには、次のような意味があると思います。それは、たとえ彼らが身勝手な思いで、自分のイメージの救い主を待ち望み、そのような王として、イエス・キリストを迎えたのだとしても、彼らが救い主を必要としていることには違いないということです。彼らがどんなに誤解していたとしても、イエス・キリストは、彼ら以上に、彼らが自分を必要としているということをご存知でありました。だからこそ、彼らが期待はずれだったとして、イエス・キリストを憎み始めたとしても、イエス・キリストは彼らに対して救い主であり続けるのです。彼らが、「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と叫んだとしても、イエス・キリストは、彼らに対して救い主であり続けるのです。
 それは、「彼ら」に対してだけではありません。私たちは、この熱狂している群衆をどういう風に見るでしょうか。「何と愚かな人々か。私たちは彼らほどおろかではない」と思うかも知れません。しかしそういう風に考えている限り、私たちとイエス・キリストの間に、本質的な関係はありません。私たちがイエス・キリストに期待していることは、実は、この群衆と似たり寄ったりではないでしょうか。少なくとも程度の差に過ぎないでしょう。一番弟子のペトロといえども、彼らと究極のところでは、五十歩百歩であったといわざるを得ません。彼もイエス・キリストのことを本当にはよくわかっていませんでした。しかしそれでも主イエスは、救い主であり続ける。群衆の救い主であり、ペトロの救い主であり続ける。私たちの王であり、私たちの救い主であり続けるのです。だからこそ、誤解を誤解と知りながら、身勝手と知りながら、喜んでろばに乗ってくださったのではないでしょうか。
 私たちは、その厳かな事実を、ただアーメンと言って深く受けとめるしかありませんし、同時に受けとめることが許されているのです。
 これから聖餐式をいたします。パンとぶどう酒を受けます。そのようにしてご自分を差し出してくださる主イエスを身に受けながら、それにふさわしい歩みを始めたいと思います。受難節。私たちも悔い改めの気持ちをもって、この季節を歩みだしましょう。


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