神の民の使命

イザヤ書65章17〜18、25節
ペトロの手紙一 2章9〜10節
2005年4月3日
経堂緑岡教会 協力牧師 一色 義子


(1)感謝と喜びに満たされて新年度が始まる

 先週はすばらしいイースターで、洗礼をお受けになり、また信仰告白をされて経堂緑岡教会員に加えられた兄弟姉妹を4名もお迎えできて本当に感謝でした。新しいメンバーとともに、長い信仰歴にもう1年を加えたお互いも、イースターを迎えて新鮮に、復活の喜びと希望のうちに2005年度を励みたいと存じます。
 そこで本日からの新しい年度に、主イエス・キリストの復活によって、「神の民」とされる恩寵をいただいた私たちの使命とは何かという一点に、あらためてご一緒に心を集中したいと思います。

(2)神の創造された新しい天と新しい地

 イザヤ書65章にはまことにさらりと「見よ、わたしは新しい天と、新しい地を創造する」と言われました。 まさにそれ以前の悩みや苦労を、イザヤでは捕囚の苦しみを、わたしたちにとっては復活の主を仰いだそれ以前のことを「思い起こすことはない」とはっきり指摘して、今、神さまによって創造された新しい愛の秩序に活かされているものは、「世々とこしえに喜び踊れ、わたしは創造する。その民を喜び楽しむものとして、創造する」と明言されているのです。
 神は新たに創造する力ある方なのです。それを信じて、心を前進させるのです。神の新たな創造された世界というのはこういう世界なのです、と25節に、思いがけないような大胆な新鮮な描写で告げられます。「狼も小羊もいっしょに草を食べ、獅子も牛のようにわらを食べ、わたしの聖なる山のどこにおいても、害することも滅ぼすこともない、と主はいわれる」と。なんとこの世の常識、通念では強いとされるものは弱いとされるものを押しのけると考えられるのに、ここでは強いものも、弱いものも、みな共に生きることが許される、これが神さまのご支配の様だというのです。なんとすばらしいことでしょう。
 現在の世界。強者が武器を注ぎ込み、より精巧な科学、工学にかけて相手を先取攻撃し殲滅する術は何かと、依然として策を弄するこの狭い地球1個に居住する人の知恵。日夜そうした危機的状況をテレビ・メデアで見せられながら、人間のおろかさをあらためて知らされる思いがします。しかもそういう強者弱者のあらそいと、我こそ領土確保の旧態依然とした思惑の前に、この狼も小羊もともに生き「害することも滅ぼすこともない」世界を神はある、ありうる、と人間に示されるのです。そして、わたしたちにも神のご支配の前には、それが赦されているというのです。これは大なり小なり、わたしたちへの神さまからの夢のような希望への目標を示されているのです。それは決して政治やこの世の王様の問題だけではなく、私たちの生きる日常の中にも、同様な共に生きる天と地を示されるのです。
 そして、主イエスの復活をいただいたわたしたち主の民は、それに向かって生きさせていただける、わたしたちの人生にはそのような目標があるのです。
 イザヤ書56章以下は第三イザヤといわれ、紀元前515年前後に書かれたといわれます。それは紀元前539年ペルシャによるバビロニア征服、捕囚解放以後の時代です。イラン、イラク戦争の昨今にイスラエルがはらはらするような状況を思い合わせてしまいます。でも、あの捕囚の時代を思わないでよい、もはや新しい天と地に、神のご支配の本質はすでにこの時代にも明視されていて、その力に触れる思いがします。

(3)復活の後に

 私たちは主イエスの十字架からの復活によって、神の愛の完遂、神の愛の勝利を示されました。そして、罪にひしがれるのではなく、自分では到底逃れきれない罪ある人間の現状からただただ主イエス・キリストの十字架とその復活によって、神の絶大無比な愛によって、救いを与えられたのです。それはそれ以前とは比較にならないほど、格段の違いです。もはや、ありのままを赦してくださった神の、さしもの愛のゆえにです。これ以上の恵みはない、神の側から賜った恵みの中での生き方が示されるのです。それはイザヤ書で捕囚の民に与えられたのとは比較できないほど比類のない救いの現実です。ただ神によって活かされるこの恵みの絶大さから、わたしたちが過去にうずくまらないで、新しい生き方のイメージがそこに示されて、提案されています。それは、まさに狼も子羊も共に平和に生きることが出来る神の支配の世界です。
 非常に具体的です。私を攻める、あるいは私に意地悪な人もあるけれども、その人とも一緒に、平和を損ない合わずに生きることが出来るというのです。それが私たちに与えられる、生き方です。このごろはテレビでもすぐにイメージということがいわれますが、まさにこのイザヤ書の描写がわたしたち、イエスさまによって赦された者の生き方のイメージではないでしょうか。

(4)初代教会の先輩たち

 ペトロの手紙一はいつも申しますように、あのガリラヤ出のペトロが記したとすると時代的にも無理であり、その堪能なギリシャ語の構成からも、もっとあとの時代であろうと想定されていますが、西暦100年を過ぎた頃で、その少し後の文書にはこの影響があるといわれるので比較的はやい時期と考えられています。そうした時代、旧約聖書からの伝統的な支配者との関係を用い「あなた方は、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民」とあらゆる表現で神に属するものをイメージして、「そして神のものとなった民です」と鮮やかに言い切っています。この言い切られた相手の信徒は、まだ時代背景からいって、キリスト信者というだけで迫害されたり、無理解に出会ったり、そして教会もまだ決して確立しているものでもなかった小さな群であった時代です。でも、神の民との明らかな信仰を、形式が整っていないところで、心の底からそう神にあがなわれた者との自覚がしっかりしていたことがわかります。またそうした人々を励ましているのです。
 しかも、大切なことは、その外見的にはまことに力ないような初期の教会の人々に対して、「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」とものすごい使命をあたえているのです。これがキリスト者なのです。十字架につけられた主が復活されて、私たち一人ひとりをあるがままにお招き入れてくださった方の最高の力ある業、こんな具体的な事実をわたしたちが広く伝えるため、わたしたちは選ばれている、というのです、特権です。神の選びをうけ、使命を与えられている、のです。しかもダメ押しのように、新約の新しい主イエスを宣べ伝えるのですが、更にホセア書からの言葉を引用して、「今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」と明言しているのです。

(5)福音は人から人へ

 3月は卒業式があり、ことし小学校を卒業された方もあります。私は中高一貫の高等学校、大学、大学院、それに短期大学と、今年はたくさんの卒業式に出席しました。それぞれが、心に新しい希望の光を抱いて、でも慣れ親しんだ日々から別れて、一人、それぞれの道を行く。感動的ですが、また厳しさも感じるときです。そして、4月になれば、新しい環境で新しい職場で、4月1日には任職式もありました。明日は入学式もあります。個としての存在が、違った環境で、新しい友と共に生きることに出会うであろう時です。しかも、主なる神さまは、昨日と同じように、その新しい場も主の救いの場であります。
 初代教会の人々にとって、神殿というよりどころはないだけに、一層心から神を敬う人々に何も見えなくとも、そこに神がいまし、古く聴き知っていた伝統の言葉を用いて、イエス・キリストの救いの確実性と、新たに与えられている使命を力強く説いています。あの初めごろのまだ制度も建物も整っていなかった教会の人々が、もうすでにこうした強い信仰と信念によって、復活された主イエス・キリストのことを広く伝えたから、今私たちはこの神の愛とその救いによって、どんなときにも希望をもって活かされているのです。
 私たちの教会の古い伝統にあるメソジストのウエスレーはイギリスから遠くアメリカに渡って更に馬に乗って広く伝道したのですし、多くの宣教師たちは海外に福音が伝わる地域を広めていきました。ちょうど今朝、テレビでローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が84才で天に召されたと伝えられましたが、この法皇は若者たちへの伝道に熱意を示されて次の世代へ、福音宣教を努められたと伺いました。
 福音を伝えるのは法皇や牧師や年長者や雄弁家や先生だけではなく、わたしたちもまた、隣の人々へ、次の世代へ、広くこの愛の福音を伝える大使命を与えられているのです。子どもも、大人も、高齢者も、強い者も、体の弱い者も、どういう環境にあっても、主イエスの福音をいただいたものは、他へ広く伝えていく責任があるのです。そして、そのはてには、狼も小羊も共に生きる、誰も「害することも滅ぼすこともない」神の天と地があるという確固とした将来像が示されているのです。
 ではどういう風にして、伝えるのでしょう。主イエスはそのことをあっさりと、「互いに愛し合いなさい」と言われました。ガリラヤの一地方で、湖のほとり、日常の生活の場で主イエスがさとされたことを今改めて思いおこし、キリスト者とは、そうした愛の中で平安と喜びと感謝をもって積極的にこの喜びを人に伝えて、友と共に、他者と共に、それを感謝し喜び合う生活がゆるされて、この愛の使命が、いつも与えられているのだ、とあらためて感謝したいと思います。
 イースター後の最初の主日、お互いに感謝のうちに、新しい年度、この日々、どういう状況が新しい環境で待っていようとも、新鮮に復活の主の救いをいただいた新しい心で希望と信念をいただいて励みたいと願います。


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