おおみ神をほめまつれ

詩編100編1〜5節
ルカによる福音書1章67〜79節
2005年12月11日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)恵泉女学園中学校ハンドベルクワイアを迎えて

 本日は、恵泉女学園中学校ハンドベルクワイアの皆さんが、この礼拝において、美しいハンドベルの音色で、2曲の讃美歌を奏でてくださいました。またこの礼拝の直後には、ミニコンサートとして、讃美歌に限らず、世界のさまざまな音楽をハンドベルにより演奏してくださることになっています。この催しは、昨年に続き、2度目となりました。今年は、特に、指揮者の小田部万里子先生がご自身リンガーとして加わっておられるスプリング・スプライトの賛助出演も予定されていますので、どうぞお楽しみに。
 今年、私ども経堂緑岡教会では、「手をつなごう、世界はひとつ」というクリスマス標語を掲げました。このテーマに即して、すてきなチラシも作られています。本日、初めて来られた方々も、ぜひこのチラシを手にとってご覧くださるとよいと思います。
 また、今日のミニコンサートの曲目も、この「手をつなごう、世界はひとつ」のテーマにふさわしく、世界のさまざまな国々の音楽、そしてさまざまな種類の音楽が集められたと思っております。さすがにヨーロッパの音楽が多いですが、熊本民謡の「おてもやん」もありますし、「となりのトトロ」もあります。アルゼンチンのエドムンド・サルディーバが1943年に作曲したフォルクローレの名曲、「花祭り」もあります。この曲は、原題をそのまま訳せば、「ウマウアカ谷の人々」(El Humahuaquen~o)となりますが、日本では、「花祭り」として有名になりました。カルナヴァリートと呼ばれるスタイルの、カーニヴァルの音楽です。

「もうすぐ谷のカーニヴァルがやってくるよ、
 私のいとしいお嬢さん。
 ウマウアカ谷のお祭りで歌おうよ。
 私たちはウマウアカ谷育ち。
 ウマウアカ谷のお祭りで歌おうよ。
 角笛やチャランゴや太鼓にあわせて踊ろうよ。」

(2)ファニー・クロスビー「おおみ神をほめまつれ」

 礼拝の中では、クリスマスの名曲「きよしこの夜」と「おおみ神をほめまつれ」という賛美歌を演奏していただきました。
「きよしこの夜」の方は皆さんご存知かと思いますが、「おおみ神をほめまつれ」(To God Be The Glory)の方は、教会に馴染みのない方は初めてお聴きになったかも知れません。後で皆さんと御一緒に歌うことにしていますが、実は、この賛美歌は、アメリカではとても人気のある賛美歌です。アメリカでは、賛美歌ベストテンというようなアンケートを時々やるのですが(そういう発想自体が日本にはないかも知れません)、2002年の調査では、この曲は、堂々7位に入っています。
 この賛美歌の歌詞を作ったのは、フランセス・ジェーン・クロスビーという人ですが、一般にファニー・クロスビーという呼び名で親しまれています。この人は盲目の詩人でありました。ニューヨークのサウスイーストに生まれ、子どもの頃、不適当な治療のために6歳で失明をし、ニューヨーク市立盲学校を卒業後、母校の教師となりました。幼い時から詩において才能を発揮して、1850年代から歌曲の作詞を発表しました。特に結婚後は、賛美歌の作詞家として、当時のアメリカで最大の名声を博した人であります。非常に多作で、その作品は生涯に6000編を超えると言われています。
 この「おおみ神をほめまつれ」は『讃美歌第二編』に収められていますが(194番)、その他に『讃美歌第一編』の517番「われに来よと、主は今」や、529番「ああうれし、わが身も」なども、彼女の作詞によるものであります。
 「おおみ神をほめまつれ」の1節は、まさにクリスマスのことを歌っています。

1おおみ神をほめまつれ
 つきぬ生命あたえんと
 ひとり子をも惜しみなく
 世びとのためくだしたもう
※ほめよ、ほめよ、神の愛を
 歌え、歌え、主のみわざを
 そのみわざにあらわれし
 父なる神のめぐみを

 「永遠の命を与えるために、そのひとり子を惜しみなく、この世の人々のためにお送りくださった、その神様をほめたたえよう。そこにあらわれた神様の恵みを、みんなでほめ歌おう。」
 私ども経堂緑岡教会では、標語の「開かれた教会」に添えて、今年度は「主を賛美しつつ」という副題を掲げて歩んでいます。まさにそれにふさわしい賛美歌ではないでしょうか。

(3)詩編100編

 先ほど司会者の方に、詩編100編と、「ザカリアの預言」と呼ばれるルカ福音書1章67〜79節を読んでいただきました。この二つも、実は歌なのです。
詩編100編の方は、

「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
喜び祝い、主に仕え
喜び歌って御前に進み出よ。」
「感謝の歌を歌って主の門に進み
賛美の歌をうたって主の庭に入れ。」

 そういう風に、この詩人は歌います。
 私たちは、信仰生活の基本は歌であると思います。よく「私は賛美歌信徒です」なんていう方があります。「他のことはあまり熱心ではありません」というニュアンスがあるのかも知れませんが、それはともかくとして、私は、確かに、賛美歌こそが私たちの信仰を育んでくれるものだと思います。頭でっかちにならないで、心から、そして魂から、神様をほめ歌える。信仰とは、そういうものであると思います。

(4)ザカリアを困らせた天使

 もう一つのザカリアの預言、というのは、ザカリアという祭司によって詠まれたとされる歌であります。ザカリアは、くじ引きにより、祭司の代表として、香をたくために神殿に行くことになりました(ルカ1:8〜9)。一生に一度あるかないかというような神様の大事な御用です。その御用の途中で、天使が現れて、ザカリアに預言を告げるのです。ザカリアにはエリサベトという奥さんがいましたが、二人の間には子どもはいませんでした。そして二人ともすでに年をとっていました。もう子どもが生まれる年齢ではありません。そのザカリアとエリサベトの間に、赤ちゃんが与えられる。そういう預言を聞いたのです。イエス・キリストがマリアのところにお生まれになる、という預言に先立って、この老夫婦に赤ちゃんが与えられるという預言があったのです。この子は後に洗礼者ヨハネと呼ばれることになる人物であります。つまりそのお父さんがザカリアであったのです。
 このザカリアの預言(賛歌)も「ほめたたえよ」という言葉で始まります。今日の「おおみ神をほめまつれ」に通じるものでありましょう。音楽をお好きな方は、ミサの中に「ベネディクトゥス」というのがあるのをご存知であろうかと思います。このベネディクトゥスという言葉は、「ほめたたえよ」という意味で、このザカリアの賛歌から来ているものであります。
 ザカリアは、緊張して、祭司の代表としての御用にあたっている時に、突然、全く予期しなかった天使の言葉を聞きました。今日のハンドベル演奏の時に、皆さんは、どの程度緊張されたかわかりませんが、この位の礼拝でも、たとえば、説教をするにも、司会をするにも、あるいは今日は独唱がありましたが、独唱するにも、慣れないと、体が震えるほど緊張するものであります。早く自分のパートが終わらないか。何事もなく、すべてつつがなく終わるように思うものではないでしょうか。
 そうしたところ、このまま早く終わって欲しいと思っているところに、天使が介入してきて、取り乱させるようなことを言ったのでした。「ザカリア、あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」(ルカ1:13)。ザカリアは当惑しました。「そんなこと今はわかりません。今は早く終わって欲しい。それだけです。」ザカリアにとっては、ありがた迷惑な話です。
 私たちの人生においても、時々、そういうことが起きるのではないでしょうか。どうか何ごともなく、平和に過ごせますように。つつがなく全てが終わりますように。私たちは、そういう祈りを持つことがあると思います。しかし残念ながら、そのとおりになるとは限りません。突然、神様が入り込んで来られる。ディスターヴ(妨害)するのです。しかしそれが神様のわざの始まりだと言ってもいいでしょう。
 私たちは、自分の計画、自分の予定通りに、人生が進むことを望んでいますが、それが突然、神様の計画によって、思い通りに行かなくなる。時には、願わない形で、望ましく思われない形で、それが起きることもあるでしょう。しかしそこには、やっぱり神様の何らかの意志が働いているのだと思います。そうしたところでこそ、神様に目を向けるようになり、「一体、何でこんなことが起こるのか」「ここには一体、どういう意味があるのか」と考えるようになる。あのマリアもそうでしたし(ルカ1:29、34、38)、ザカリアもそうでした。彼はこう言いました。「それが本当であれば、何らかの証拠をください。神様がかかわっておられるというしるしをください」。天使はこう言いました。「あなたは神様を疑ったので、口が利けなくなる。赤ちゃんが生まれるまで、話すことができなくなる」。それこそがしるしだと言われたのです(ルカ1:20)。
 しかしその経験を通して、神様のことを思い巡らし、最後に、口が利けるようになったとたん、ザカリアは「ほめたたえよ」(ベネディクトゥス)と歌っていきました。

(5)神の介入

 あのクロスビーの場合はいかがだったたでしょうか。目が見えなくなった。今では考えられないような医療ミスかも知れません。6歳の幼い少女でした。彼女の身に起こったことは、この世的に言えば、不幸な出来事でしょう。どうして神様は、そんなことをなさるのか。ある時は、神様を呪ったのではないか、と想像します。しかしそうした中から、クロスビーは神様を呪う歌ではなくて、逆に神様をほめたたえる賛美歌を作っていきました。
 私たちの人生には、そういうことが起きるのです。神様の介入。そこで自分の人生を振り返り、そこでどういう意志があるかということを、考えてみたいと思います。
 今年、皆さんの一年はどうだったでしょうか。楽しいこと、うれしいこともあった方も、たくさんあろうかと思います。逆に悲しい経験をなさった方も、きっとあると思います。つらい思いをし、苦しい経験をして、今年はとてもクリスマスをお祝いするような気持ちになれない。そういう気持ちの方もあるでしょう。
 年賀状の場合は、年賀欠礼というのがあります。しかしクリスマスは違います。まさにそのような暗い重い気持ちになっているところ、そうしたところでこそ、イエス・キリストは、あなたのためにやってきたことを告げるのです。「さあ今こそ、神様をほめたたえましょう」。あのザカリアと共に、あるいは、あのクロスビーと共に、そうした気持ちをもっていただきたいと思います。
 今日はこの前にキャンドルが3つ灯っていますが、これはクリスマスを待ち望む週の3週目ということです。今日は、朝ですから、ここにろうそくが灯っていても、それほど光の存在感はないかも知れません。しかし夜になると、光が本当に輝いているのが、よくわかります。光は暗いところでこそ、輝きます。私たちの心がそのように闇のような時にこそ、イエス・キリストの光が輝く。福音が届く。そうしたクリスマスを迎えていただきたいと思います。


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