二人は走る

〜ヨハネ福音書講解説教(75)〜
イザヤ書48章17〜22節
ヨハネ福音書20章1〜10節
2006年4月16日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)マグダラのマリアが「見た」もの

 イースター、おめでとうございます。
長らくヨハネ福音書を読み進めてまいりましたが、ようやくイエス・キリストの復活物語にたどりつきました。ヨハネ福音書は、この復活の出来事についても、他の福音書と違う独特の書き方をしております。マグダラのマリアがお墓の前で見たことを二人の弟子のところへ報告に行き、彼らも急いで墓を見に来るのです。
 「週の初めの日、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけられてあるのを見た」(1節)。4つの福音書は、復活の日の朝、最初にお墓へ向かったのは女性たちであったということを告げていますが、ヨハネ福音書は、特にマグダラのマリアに焦点を当てています。彼女は「見た」とありますが、実際、何を見たのでしょうか。お墓の中へ入っていったわけではありません。「墓から石が取りのけられてある」のを「見た」のです。そして「大変なことになった」と、弟子たちのところへ知らせに行くのです。
 「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」(2節)。彼女は、「墓から石が取りのけられてあるのを見た」だけのはずですが、「主が墓から取り去られました」と報告しています。これは直訳すると、「彼らが主を墓から取り去りました」という文章であります。祭司長たちユダヤ人のたちは、弟子たちが主イエスの遺体を盗むかもしれないと警戒していましたが、他方、彼女を含む弟子たちの側でも、官憲(ユダヤ人たち)が主イエスの遺体を奪うかも知れないと思っていたことが伺えます。
 とにかく何かただならぬことが起きた。その異常な空気を、彼女は墓の前で感じ取ったのでしょう。何が起きたかわからないが、彼女には悪いことのように思えた。胸騒ぎがする。そして走っていったのです。彼女の予想通り、確かに墓の中では、ただならぬことが起きていました。しかし彼女の予想とは違って、喜ばしい出来事が起きていたのです。

(2)ペトロと「もう一人の弟子」

 彼女は、まずシモン・ペトロのところへ、次に、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ行きました。この「もう一人の弟子」は、これまでも何度か出てきました。弟子ヨハネではないかと言われます。「ペトロ」と「もう一人の弟子」をわざわざ分けて記していることからすれば、この二人は別々の場所にいたようです。
 二人は、それぞれに家を飛び出し、道で一緒になったのでしょうか。こう記されています。「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた」(4節)。
 報告を聞いたのはペトロの方が先でしたから、「もう一人の弟子」がそれを追いかけるようにして走り、追いついたのでしょう。しばらくは一緒に走ったかも知れません。しかし「もう一人の弟子」の方が足が速かった。恐らく、彼の方が若かったのでしょう。ペトロがもたもたしていたかも知れません。「悪いけど、気になるから、先に行って見てくるよ。」「そうしてくれ。頼む。わたしもすぐに追いつくから。」そういう会話が思い浮かびます。
 しかし「もう一人の弟子」はお墓についても先に入ることはしません。ペトロを待っていたのです。彼は、ただ遠めに、主イエスの遺体をくるんでいたはずの亜麻布が置いてあるのを見ました。そこへ、ようやくペトロが到着し、お墓にはペトロが先に入るのです。ペトロも「もう一人の弟子」と同じように、亜麻布を見ました。そして主イエスの頭を包んでいた覆いも別のところに置いてあるのを見ました。亜麻布は丸めておいてあった。遺体が奪い去られた跡というよりは、一応、きちんと置いてあった。そこへ「もう一人の弟子」も入ってきます。同じことを確認しました。彼の方は、それを見ただけではなく、「見て、信じた」とあります。「信じた」のはこちらが先、ということでしょうか。
 何だかおもしろいですね。二人が後になったり、先になったりしている。ペトロが先に出たけれども、もう一人の弟子に追い越される。しかしこのもう一人の弟子は、ペトロに敬意を払ってか、お墓に着いても先に入らないで、外で待っている。先週も引用した「後の者が先になり、先の者が後になる」という聖書の言葉が、そのまま当てはまるような情景です。競争しているようにも見える。確かにそういう面もあるのです。

(3)ユダヤ人教会と異邦人教会の象徴

 実はこの二人は、ヨハネ福音書が書かれた当時の二つの教会、ユダヤ人教会と異邦人教会を象徴していると言われます。ペトロの方がユダヤ人教会であり、「もう一人の弟子」の方が異邦人教会というわけです。この福音書を書いた人は、この「もう一人の弟子」を自分たちの教会・教団の創立者と仰ぐ誰かであったと思われます。自分たちの教会と「もう一人の弟子」を重ね合わせているのです。
 キリスト教は、最初ユダヤ人から始まり、異邦人へ伝えられ、広まって行きました。その後の歩みからすれば、圧倒的に異邦人教会が大きくなっていくわけですが、この福音書が書かれた頃は両方の勢力が均衡していたのではないかと思われます。もしかすると、もう異邦人教会がユダヤ人教会を数(教会数と会員数)の面でも、経済的な面でも追い越そうとしていた頃かも知れません。
 ユダヤ人教会の中には、なお、異邦人のクリスチャンを軽蔑する傾向があった。「自分たちこそ、本家本元だ」と。一方で、異邦人教会の中にもそうした旧態依然としたユダヤ人教会を、逆に軽蔑したり、批判したりする傾向があったことでしょう。そうした中で、「いや張り合っているのではなくて、共に同じ方向を向いて走っているのである」という認識をもつことが大事なことであったのです。だからこそ、時にいっしょに走り、若くて、より力に満ちているかに見えるもう一人の弟子も、先輩の弟子に対する尊敬を忘れないのです。

(4)古い教会と新しい教会

 このことは、単にユダヤ人教会と異邦人教会の関係にとどまらないでありましょう。教会においてはいつもこういうことが起きています。これを東方教会(オーソドックス教会)と、西方教会の関係に当てはめることもできるでしょう。キリスト教会は、ヨーロッパ世界に大きく広まっていきました。キリスト教というと西洋の宗教だと思っている人も多いと思います。自他共に、そうでしょう。しかし、キリスト教のルーツはむしろ東方にあるのです。
 この関係を、カトリック教会とプロテスタント教会に置き換えることもできるでしょう。カトリック教会は自分たちこそ正当な継承者だと思ってプロテスタント教会を軽く見る傾向がありますし、プロテスタントはプロテスタントでカトリックを旧態依然とした教会として批判する傾向があるのではないでしょうか。しかし大事なことは細かな違いよりも、共に同じ方向を向いて走っている仲間だということです。
 伝統的な(WCCに属するような)プロテスタント教会と福音派の教会、あるいはまた福音派の教会とペンテコステ派の教会という風に読むこともありうるでしょう。
 西欧の教会と第三世界の教会と読むこともできるかも知れません。今日の世界においてキリスト教の中心は、もはや西欧ではありません。世界で最もクリスチャン人口の多い地域はラテンアメリカですし、世界で最もクリスチャンが増えているのはアフリカであります。アジアはなかなか難しいですが、フィリピンや韓国の教会は新しい力に満ち溢れています。世界の教会はそういう現実を認識しなければならないと同時に、若い教会は自分たちを育ててくれた西欧の教会に対する尊敬の念を忘れてはならないでしょう。
 日本キリスト教団の中の古い教会と新しい教会と読むこともできるでしょう。創立が古いからと言って、大きな教会であるとは限りません。地方の教会で120年の歴史があるけれども、小さな群れでがんばっているという教会はたくさんあります。開拓伝道をした子なる教会の方が母なる教会を、追い越して成長することもあるでしょう。しかし決して競争ではないのです。
 私たちはつい勘違いをすることがある。あの教会は、創立以来わずか何年で、何人の教会に成長した。それは確かに祝福であります。しかし企業のように競争するわけではない。今年はアサヒとキリンとどっちが上か。トヨタと日産とホンダ、どこが一番か。そういう世界ではないのです。違った持ち場で、時に違った宣教の課題をそれぞれ担いあう。しかし共に同じ方向に向いて、主の委託を受けて走る仲間であります。

(5)先輩の信徒と後輩の信徒

 一人一人の信仰においてもそうでしょう。そこではいつも「後の者が先になり、先の者が後になる」ということが起きるのです。今日は、この後、3人の方々が洗礼を受けられます。3人とも若い頃、あるいは小さい時にそれぞれにキリスト教の信仰に触れられた方であります。それがひとつの明らかな信仰告白になるまで時間がかかりました。ある人は20年、ある人は50年以上もかかりました。現象だけをとらえるならば、その間に多くの方々が、先へと追い越していったと言えるかも知れません。
 中には教会に来始めて1年足らずで受洗に導かれる方もあります。それはそれで祝福でしょう。今日、洗礼を受けられる方々が、他の方々を追い抜くような立派なクリスチャンになられることも十分ありうることであります。今日、どこかの教会で洗礼を受けておられる方が、来年の春には牧師になる決意を固めておられる、そういうことも起きるかも知れない。しかし競争ではないのです。

(6)「見る」ことと「信じる」こと

 「もう一人の弟子」は、亜麻布と頭を包んでいたはずの覆いが置いてあるのを見て、「信じた」とあります。ヨハネ福音書は「見る」ということと「信じる」ということの関係に、特別な関心をもっています。
 この後復活されたイエス・キリストが弟子たちの前に姿を現し、特にトマスに向かって、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29)と言われます。そのことと、今日の「見て、信じた」というのと、どう違うのでしょうか。「もう一人の弟子」は「見た」と言っても、トマスのように奇跡を見たわけではありません。ただ主イエスの遺体がないのを「見た」のです。だとすれば、この弟子は、むしろ「見ないで信じた」「見なかったのに信じた」という方がふさわしいかも知れません。そこには彼の信仰があらわれているのです。

(7)完全に理解しないでも、信じた

 「見て、信じた」の後、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」(9節)と続きます。「あれ、日本語がおかしいのではないか」と思われるかも知れません。「信じた」理由が、「理解しなかったから」という風に読めば、どうもよくつながらない。この9節の言葉は、むしろ、この物語全体のト書きのようなものだと思えばいいでしょう。
 この後、彼らは自分たちの家へ戻っていきます。しかし「主が復活された」と、喜び勇んで帰っていったのではありません。クリスマスの日に、羊飼いたちが救い主の誕生を見に行きました。そして「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)と、記されていました。それとは明らかに違う。半信半疑です。はっきりとしたしるしを見たわけではない。しかし「信じた」。
 私は、この時の「信じた」というのは、信仰の決意表明のような言葉ではないかと思います。その時には十分に理解していない。しかしすでに信仰の萌芽がある。そして信じる決心をする。それでもまだ不十分です。みんなどこかで疑いをもっている。多かれ少なかれ「疑う」ということがあるから、「信じる」と言うのです。一時非常に強い確信をもって信仰の道を歩んでいたとしても、いつしか疑いの波に襲われることもあります。私たち人間の信仰とは、そういうものではないでしょうか。しかしそうした中、私たちの疑いをはるかに超えたところで、大いなる神様の物語がすでに始まっている。見る目を持ち、聞く耳を持つところでは、それがあらわされているのです。
 使徒パウロは言いました。

「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(コリント一13:12)。

 向こう側、神様の側からは、すでにハッキリと知られている。事柄はすでにはっきりと起こっている。私たちには、まだそれが十分に理解されていないかも知れない。しかしそれは、希望のしるしであります。やがてそれが明らかにされる時が来る。そのところに向かって、私たちは共に信仰の道を歩いて行く。いや走って行くのです。
 パウロは、別のところで、こう語っています。

「兄弟たち、わたしたち自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3:13〜14)。

 これが、私たち、地上の教会に生きる者に与えられている信仰の道です。


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