再出発

〜ヨハネ福音書講解説教(80)〜
ミカ書7章18〜20節
ヨハネ福音書21章1〜3節
2006年9月3日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)余計な物語か?

 秋になりました。私たちも新たな思いで、信仰生活を歩んでまいりましょう。ヨハネ福音書は、20章の21、22節のいわゆる「あとがき」をもって一旦終わったわけですが、21章として、もう一つ別の復活物語が書き加えられています。文体からしても内容からしても、これは後代の付加であるというのが学者たちのほぼ一致した意見でありますが、私たちはそれを前提にしつつ、ここからメッセージを聞き取ってまいりましょう。
 「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された」(1節)と、21章は始まります。イエス・キリストが復活されて、弟子たちの前に姿を現されてから大分日が経っているようです。しかも場所も移動しています。ティベリアス湖というのはガリラヤ湖の別名です。弟子たちは、エルサレムから、ペトロたちの故郷であるガリラヤへと舞い戻っているのです。この物語は、一体何を意味しているのでしょうか。
 あのイースターの日の夕方、復活のイエスは弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(20:21)と言って、弟子たちに「ふうっ」と息を吹きかけられました。私たちは、その息を受けた弟子たちが、そこから一気に伝道活動に邁進し、今日の教会の基礎が築かれたのだと思っていました。
 その1週間後、その波に乗り遅れたトマスのために、イエス・キリストはわざわざもう一度、現れてくださいました。イエス・キリストは、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(20:27)と言われました。トマスはそれを聞いて、「わたしの主、わたしの神よ」(20:28)という信仰告白をいたしました。これがヨハネ福音書のクライマックスでありました。この告白は、後の教会の信仰告白となっていったと、申し上げました。
 ヨハネ福音書は、このクライマックスをもって終わっていた方がよかったのではないでしょうか。少なくとも元来の著者は、恐らくこれに21章が書き加えられるということを想定していなかったでしょう。元来の著者は、天国で「余計なものを書き加えやがって」と思ったかも知れません。(天国では、そんなことを考えないでしょうが)。

(2)挫折

 しかし私は、ヨハネ福音書にこの21章が書き加えられたことは恵みであると思います。元来の著者の想定外であったかも知れませんが、これが聖書として残されたことは、神様の御心であったと、私は思うのです。なぜならば、弟子たちが一直線に信仰の道、伝道の道を進んで行ったのではないことを記し、そこからもう一度信仰を奮い起こし、再出発をしたことを記しているからです。
 この物語は、優秀な弟子たちの物語ではなく、復活の主イエスと出会っても、なお挫折する弟子たちの物語です。その意味では、これはその後の歴史に何度も繰り返されてきた物語であるとも言えるでしょう。
 人生に浮き沈みがあるのと同様、信仰生活にも浮き沈みがあります。洗礼を受けたいと願う時、私たちの信仰は高揚していますが、そうした気持ちを持続することがいかに難しいことであるか、私たちはよく知っています。
 21章の筆者は、「その次第はこうである」として、書き始めました。「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた」(2節)。あのトマスもこの里帰り集団の中にいます。彼らがなぜガリラヤに帰ってきたのか、理由は記されていませんが、エルサレムでの生活は順調ではなかったのでしょう。イエス・キリストの息を受け、押し出されたからと言って、世間は何も変わっていません。その後も、重犯罪人イエスの一味としてブラックリストに挙げられていたかも知れません。エルサレムのような都会では生活費もかさみ、漁師の彼らには他の仕事をするのも難しかったでしょう。
 田舎から都会へ出てきた者の挫折と重なるものがあります。毎日の生活が大変です。「故郷に帰れば、実家がある。親戚がいる。とにかく食べていくことができる。もう田舎へ帰ろう。」そういう経験は、多くの人がしているのではないでしょうか。
 ペトロは、一旦は網を捨て、漁師であることをやめて、イエス・キリストに従いました。それだけではなく、復活の主に出会って聖霊を受け、使徒として派遣されました。ところが、そのペトロがまたガリラヤでやり直そうとしている。そこに挫折感がないはずはありません。決して「故郷に錦を飾る」というようなことではありません。使徒としての働きもうまくいかなかったのでしょう。

(3)原点に立ち返る

 ペトロは、この時、「わたしは漁に行く」と言いました。特に仲間を誘う言葉ではありません。まずは自分自身を立て直さなければならない。彼の信仰の原点は、かつて漁の時に、イエス・キリストと出会ったことでありました。これは、ヨハネ福音書の話ではなく、他の福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に出てくる物語です。そこからしても、この21章は、ヨハネ福音書の著者以外の誰か、しかし共観福音書を知っている誰かが書いたと思われます。
 ルカ福音書では、やはり恵みの大漁を経験した後、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5:10)と言われ、「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(同11節)のでした。
 ペトロは事柄がうまくいかなくなった時、信仰の危機を経験した時に、信仰の原点に立ち返ろうとしました。「何とかしなければならない」、「何かしなければならない」という思いから、「漁でもやろう」と網をとる。それは間違っていなかったでしょう。
私たちもスランプに陥った時に、原点に立ち返ろうとします。スポーツ選手でも、そうだと聞きます。野球選手でも、急に打てなくなることがある。順調に打てていた時のバッティングフォームを思い出そうとする。それでもだめな時は、母校に帰ってみることもあるでしょう。私たちの信仰生活にも、それぞれに原点があると思います。そこへ立ち返り、主の恵みを思い起こすことは大切なことでしょう。
 この時のペトロの自分自身に対する言葉、「わたしは漁に行く」という言葉に反応して、他の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と、言い合いました。みんな同じ挫折経験をしていたのでしょう。しかし、それでどうなったでしょうか。それでもうまくいかないのです。「彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった」(3節)。だめな時は何をやってもだめです。魚にも、こちらの気持ちを見透かされているようです。信仰生活にも仕事にも疲れ果てています。

(4)主が突破口を開かれる

 しかしそこへ事態を打開する出来事が起こります。「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」(4節)。だめな時というのは、立ち直るきっかけがすぐそばにまで来ていても、それが分からないことが多いものです。
 彼らは、「一体誰だろう、こんな夜明け時に」と思いつつ、「ありません」と答えました。「ありません」というのは丁寧な日本語訳ですが、もっとぶっきらぼうに「ないよ。あるわけないだろう」という自暴自棄的な返事であったかも知れません。
 その人は、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば、とれるはずだ」(6節)と続けました。彼らは半信半疑で、網を打ちます。この頃すでにぼんやりと、「何かこれと同じ経験をしたことがあるぞ」と思い始めていたかも知れません。「あれ、確かどこかで同じ経験したことがある。」皆さんも、そう感じることはないでしょうか。彼らは、言われたとおりに網を打ち、引き上げようとすると、あまりにも多くの魚がかかっていたので、もはや網を引き上げることができませんでした。
 この時、ペトロよりも先に「あれは主だ」と叫んだ人がいました。主の愛する弟子です。これまでも何度も出てきた弟子ヨハネであろうと言われます。この人は優れた洞察力を持っていたといわれます。ヨハネの洞察力とペトロの行動力。この二人のコンビネーションは興味深いし、重要だと思います。イエス・キリストのお墓へ向かった時も、この二人が先になり、後になり、いたしました(ヨハネ20:1〜10節)。
 この時も、愛する弟子が「主だ」というのを聞いて、ペトロの方が、すぐに上着をまとって湖に飛び込むのです。普通であれば、服を脱いで飛び込みそうですが、逆でした。岸に泳ぎついた時に、裸だと失礼だと思ったのでしょう。200ペキスばかりの距離というのは約90メートルです。(1ペキスが45cm)。この時のペトロのはやる気持ちがよくわかります。
 結局、このスランプ状態から突破口を開いてくださったのは、イエス・キリストでありました。「舟の右側に網を打ちなさい」と示して、大漁を導いてくださった。キリストは言葉を与え、それに従う者を生かしてくださるのです。私たちの思いを超えて、できない者ができる者に変えられるのです。

(6)主は備え、増し加えられる

 他の弟子たちも魚のかかった網を引きながら、舟で岸へ戻ってきました。陸にあがってみると、イエス様が炭火をおこし、食事の準備してくださっていました。魚がのせてあり、パンもありました。そこへさらに「今とってきた魚を何匹か持ってきなさい」(10節)と言われます。
ここには二つの意味があると思います。一つは、キリストは、私たちの働きに先立って、私たちを迎える準備をしておられるということ、もう一つは、そのようにして準備し、十分なはずのお方が、私たちの働きの実りを、そこに加えてくださるということであります。私たちの働きを祝福して、共に働くことを喜んでくださるのです。
 シモン・ペトロが舟に乗り込んで、網を陸に引き上げると、153匹もの多くの魚でいっぱいでした。それほど多くとれたのに、網は破れていませんでした。153というのは、随分細かい数字です。おそらくこの数字に何らかの寓喩的な意味があったであろうと言われます。古代よりいろんな学者がいろんな数字の解釈をしていますが、どれも後からこじつけたような感じが否めません。素直にそれだけ多くの魚がとれたということを受け止めればよいのかも知れません。さまざまな解釈の中で、私が心を引かれたのは、この当時知られていた魚の種類が全部で153種類であったというものです。だとすれば、これは世界のすべての民族を象徴しているのでしょうか。
 彼らは、イエス・キリストによって「人間をとる漁師にしよう」と言って召された弟子たちです。この大漁は、その後の弟子たちの今後の伝道活動を指し示し、それが世界全体の人々をすなどるところにまで及ぶということを言おうとしているのでしょう。それでいて、この網は破れない。教会は一つであるということです。

(7)復活の主による聖餐式

 イエス・キリストは、弟子たちに向かって、「さあ、朝の食事をしなさい」(12節)と言われました。「あなたはどなたですか」と聞く人は誰もいませんでした。この言葉、この仕草で、彼らはかつての、なつかしいイエス・キリストと共にある食事を思い起こしたに違いありません。イエス・キリストはパンを取って弟子たちに与え、魚も同じようにされました。彼らは、至福の時を経験したことでありましょう。彼らは、もう一度、恵みの原点に立ち返って、イエス様の言葉に基づく生き方をしよう、伝道活動をしよう、と決心したに違いありません。
 私は、これは、あの最後の晩餐とは違う、復活の主による希望に満ちた新しい聖餐式であると思います。天国の宴を指し示しているようです。
 今日、私たちは、この後、聖餐式をまもります。聖餐式こそ、私たちが繰り返しイエス・キリストの恵みを思い起こす時であります。そして信仰の原点に立ち返るのです。
 今日もあの復活の主が弟子たちと共にいてくださったように、私たちのただ中にあって、聖餐を導き、パンを与えて、私たちと共に歩んでくださることをお示しくださるのです。
 この夏、皆さんはどういう歩みをなされたでありましょうか。この夏に限らず、もしかすると皆さんの中には、大きな挫折を経験しておられる方、スランプを経験しておられる方もあるかも知れません。どうやって立ち直ればよいか。どこから突破口を開いていけばよいか。あの時、ペトロが、「わたしは漁に行く」と言ったように、「わたしは教会に行く」、そのような思いで来られた方もあるかも知れません。それはよいことです。
 そういう私たちの歩みに先立って、あるいはそういう歩みを導くようにして、主がすでに待っておられることを心に留めましょう。言葉をかけ、導き、イエス・キリストの方から突破口を開いてくださる。恵みを再現し、私たちと共にいることを示してくださるのです。私たちも聖餐にあずかり、恵みを感謝しつつ、秋の歩みをスタートいたしましょう。


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