〜出エジプト記講解説教(41)〜
出エジプト記26章15〜35節
ヘブライ人への手紙9章1〜12節
2006年9月10日
経堂緑岡教会 牧師 松本 敏之
出エジプト記の後半に入り、幕屋建設の指示という煩雑なところを読んでおります。そこを読みながら、そこに現れた神様の御意志、恵みについて、心を留めてまいりましょう。今日は第26章であります。25章は、掟の箱、購いの座、机、燭台など、いわば祭具の製作についての指示でありましたが、この26章は、いよいよ幕屋そのものの建設についてであります。
まず大きな流れを確認しておきましょう。それは、彼らがまだエジプトから脱出して、約束の地カナンへ入る旅の途上にあるということです。ですから、幕屋建設と言っても、あくまで仮のものです。仮のものにしては随分大掛かりですが、彼らはこの後、移動の度にそれをたたみ、滞在する場所が決まったら、この幕屋を組み立てることになります。大変な作業であったと思いますが、彼らにとっては最も重要なことでありました。幕屋は、そこに神が住まわれる、神が自分たちの旅と共にあるということを、目で見える形で示すものでありました。
ブラジルを初め、ラテンアメリカの町々を見てみますと、街の構造がよく似ています。町の一番中心に教会があるのです。そこから放射状に町ができています。移住者たちは、何を建てるよりも前に、まず教会を建て、そこから町の建設をしたのだということがよくわかります。一度、フィリピンを訪ねたことがありますが、そうした街づくりがよく似ていることに驚きました。
さて1〜6節では、まず「幕屋を覆う幕」の製作について語られています。「幕屋」というのは、(そこに神様が)宿られる場所というような意味です。
1節。「次に、幕屋を覆う十枚の幕を織りなさい。亜麻のより糸、青、紫、緋色の糸を使って意匠家の描いたケルビムの模様を織り上げなさい。」この「幕」というのは英語ではカーテン、あるいはタペストリーです。その方がわかりやすいでしょうか。
その後に、サイズと組み合わせ方が記されています。長さ28アンマに、幅4アンマ。1アンマ=45cmで換算すると、長さが12.6m、幅が1.8mです。それを5枚つづり合わせるので、幅は9mになります。随分、大きな「幕」です。そして、それをまた輪っか(リング)で全体をつないでいくのです。生地は亜麻布(リネン)です。それに意匠家(デザイナー)がケルビム(翼のある知恵の動物)の絵を描くことになります。
7節以下にあるのは、さらにそれを覆う天幕を作るということです。この「天幕」というのは英語ではテント
です。こちらは山羊の毛糸で作るのです。
そして今日読んでいただいた15節以下では、その骨組みとなる横木と壁板の製作です。全体の大きさだけを確認しておきますと、この幕屋は長方形ですが、南北の長辺が30アンマ(13.5m)、西側の短辺が9アンマ(4.5m)、高さが10アンマ+台座の高さということで、約5mです。大きなものです。彼らは、移動の度に、これを大急ぎでたたみ、また組み立てることになるのです。
そしていよいよ至聖所の確保です。この至聖所には、前回述べた十戒の板を納めた「掟の箱」が安置されました。それを仕切る垂れ幕がある。カーテンです。垂れ幕そのものは、最初のものと同じようですが(1節)、それをかける4本の柱は金箔で覆われており、フックも特別なものであります。
最後の36節以下で、「天幕(テント)の入り口の幕」についての指示が述べられます。この天幕は、幕屋の外の庭を含めた大きな敷地全体を確保するものです。この庭はまだ野外です。そこで焼き尽くすささげものをしたりして中に入っていくことになります。この庭については27章に記されていますが、今日はそこまで述べることはできません。
全体のイメージとしては、三重構造になっている。まず大きな天幕で仕切られた全体の敷地があります。その中に幕屋があります。その幕屋の中が聖所ですが、その奥に、さらに聖なる至聖所がある、という風にお考えください。これで、26章は終わります。
さて、私たちは、この無味乾燥に見える幕屋建設の指示から何を聞き取っていくことができるでしょうか。
まず神様がこのような幕屋建設を命令されたことと、それに従っていこうとする神の民の信仰というものに心を留めたいと思います。30節にこういう言葉があります。「こうして、山で示された方式に従って幕屋を造りなさい。」
25章で指示された祭具の製作も大変だったでしょうが、この26章の指示は、規模が大きいだけに、もっと大変です。彼らには、不可能な命令のように思えたのではないでしょうか。
そもそも彼らはまだ移動中です。「そんなことができるわけがない」とため息が出たことでしょう。しかし出エジプト記35章以下において、この幕屋建設が粛々と実行されていくのです。
神によってまず幻が与えられ、その幻を実現していく。そうした中で、逆に信仰が強められ、結束が強められていったのではないでしょうか。
この記述が記されたのは、実はもっともっと、かなり後の時代であると言われます。恐らく紀元前6世紀頃、バビロン捕囚の時代です。(祭司制度が整っていた時代に書かれたものであることから、祭司資料と呼ばれます。)すでに幕屋の時代から、ソロモン王以降は神殿の時代になり、神の箱は、その神殿に安置されていました。しかしそのエルサレムもバビロニア帝国によって滅ぼされ、主だった民はバビロンの地で捕囚の民となっていました。そのような中で、これが記されたと言われています。
幻が与えられ、それが実現し、さらに神殿となり、神の栄光が示された。しかしその栄光も過去のものとなってしまった。どん底の状態です。彼らはそこでもう一度、信仰の原点にたち返るべく、神が共にいてくださるという約束を思い起こすようにして、この神殿建設の細かい指示を書き記していったのではないでしょうか。
私は、この細かい記述の中に、かえって彼らの執念のような約束へのこだわり、いやそこにこそ彼らの信仰を見る思いがいたします。そして何度、どん底を経験しようとも、神の約束は反故にされることなく、神様は神の民と共にいてくださるという約束を新たにしていかれたのです。
そして、その神の民への約束は、神の子イエス・キリストの派遣という、より深い形、より広い形で引き継がれることになります。そのことについて詳しく述べているのが、先ほどお読みいただいたヘブライ人への手紙9章であります。
ここでまず、著者は、幕屋の状況について、わかりやすくまとめてスケッチしております。「さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです」(1〜2節)。これは、出エジプト記25章に記されていたことです。
「また第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナ(聖なる食物)の入っている金の壺、芽を出したアロンの杖(民数記17:23参照)、契約の石板があり、また箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました」(3〜4節)。
そしておもしろいことに、「こういうことについては、今はいちいち語ることはできません」(5節)と言うのです。私たちも同じ思いがいたします。むしろそこにどういう意味が込められているか。ヘブライ人への手紙の著者と共に、私たちも先へ進んでいきましょう。
「祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。」(6〜7節)。
聖なる神の前に出る時、「汚れたものは滅びざるを得ない」と言われていましたので、そのように過失を赦していただく万全のことをしたのです。
さてヘブライ人への手紙の著者は、ここから新約的な解釈に踏み込んでいきます。
「このことによって、聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます」(8節)。
神の民は、自分たちの罪を赦していただくために、いつも供え物といけにえをささげていました。この供え物といけにえには、完全ではありません。いわば有効期限があるのです。だから、度々行わなければならない。今なお、汚れた人間と聖なる神は、至聖所の垂れ幕によってさえぎられているのです。年に一度だけ、しかもたった一人選ばれた大祭司が踏み入っていきますが、その彼も本来は、こちら側の人間です。そのような非常に危うい架け橋によって、神様と人間はかろうじてつながっていたのです。
しかしながら、ヘブライ人への手紙の著者は、こう高らかに宣言するのです。
「けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の購いを成し遂げられたのです」(11〜12節)。
この言葉には深い意味が込められています。その都度、その都度、雄牛や雄山羊の犠牲をささげていたけれども、そうしたことは、このイエス・キリストによって終わったのだということです。もう必要ない。たった1回、イエス・キリストの十字架によって、どんな犠牲にもまさる犠牲が捧げられた。いけにえの終わり、供え物の終わりが告げられているのです。
去る金曜日(9月8日)、霊南坂教会において、西南支区社会担当の講演会があり、ニューヨーク神学大学名誉教授の小山晃佑先生が「神学と暴力」という題で、お話をしてくださいました。「神学と暴力」という本来、一番、離れているはずのものが、いかに危険に結びつくことが多いか。そして神学が暴力的になって、強圧的になって、犠牲を要求することがある、不幸にもそういうことがあるということを述べながら、イエス・キリストによって、すべてそういう犠牲は終わったのだと語られました。私は、とても印象深く伺いました。
旧約聖書の中には、さまざまな厳しい神の裁きの話が出てきます。例えば、列王記上19章には、エリヤとバアルの預言者の対決の話があります。エリヤは、この対決に勝った後、バアルの預言者450人を皆殺しにするよう命じました。小山先生は、「いくら悪くても、ちょっとやり過ぎじゃないの」と、言われました。
また私たちが、今読んでおります出エジプト記でも、32章のところで、モーセが山に登って不在である時に、イスラエルの民が金の小牛の偶像を作る話があります。モーセが山から下りてきた時に、その勝手なふるまいを見て、レビの子らに、兄弟、友、隣人を皆殺しにさせるのです。小山先生は、「これも、ちょっとやり過ぎじゃないの」と、述べられました。
もちろん、神の前で清さを保つということは、それほど大変なこと、それほど厳しいことなのだということでありましょう。しかし、神の子イエス・キリストが、犠牲となって十字架にかかられたということは、そういう「悪い者は皆殺し」というようなことは必要がなくなったのだ、終わったのだということを意味しています。神様と私たちの間に、これまでとは全く違った形で、しかも完全な形で、和解の道が開かれたのです。
マルコによる福音書は、そのことを象徴的な言葉で記しています。
「イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」(マルコ15:37〜38)。
イエス・キリストの時代には、聖所・至聖所は、幕屋から神殿に移っていました。しかし同様に、神が臨在されるという至聖所の前には垂れ幕がかかっており、外の世界と隔てられていました。イエス・キリストが十字架にかかったのは、ゴルゴタの丘の上です。エルサレム神殿から遠く離れています。しかし、イエス・キリストが息を引き取られたちょうどその時、遠く離れたエルサレム神殿の中で、聖所と至聖所を隔てている垂れ幕が、真っ二つに裂けたというのです。この時、神と人を隔てる幕がなくなったのです。
私たちは、もちろん今でもささげ物をいたします。今日も、この後、献金があります。しかしそれは、償いのための供え物ではなく、感謝と献身のしるしのささげ物であります。イエス・キリストが私たちにいけにえが必要ないということをお示しくださったことに対して感謝し、私たちもそれに連なってキリスト者として生きる献身の決意を新たにするのです。
今日の世界において、何が必要であるか。私たちはイエス・キリストによって一つとされたものでありますから、それに従う者として、同じように和解を示す、そうした道を歩んでいきたいと思います。