モーセのとりなし

〜出エジプト記講解説教(43)〜
出エジプト記32章1〜14節
ルカによる福音書23章34節
2006年10月29日
経堂緑岡教会  牧師 松本 敏之


(1)偶像を求める心

 出エジプト記の25章から31章には、幕屋建設の細かい指示が記されていました。モーセは、これらの指示を山の上で聞いたということになっています。24章の終わりには、こう記されていました。「モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた」(出24:18)。
 しかしその四十日四十夜の間に、山の下は大変なことになっていました。イスラエルの民は、モーセがなかなか下りて来ないので、アロンのもとへ来て、こう願いました。「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」(1節)。
 四十日四十夜、何の音沙汰もない。人間誰しも、待たされ過ぎると、不安になるものです。そして目に見える、安易なものに頼ろうといたします。この世の力、この世の保障に頼ろうといたします。実は、それこそが偶像崇拝なのです。私たちは不安にかられて、神のみに頼ることをやめ、そこで別の力に頼って、自分を守ろうとしたり、教会を守ろうとしたりする。その時、実は知らずして偶像崇拝を始めているのです。そこでは、神の約束という目に見えないものは、何の力もないように思えてしまう。いやそんなことを考えることすらやめてしまう。祈ることをやめてしまうのです。
 ヘブライ人への手紙にこういう言葉があります。「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです」(ヘブライ10:36)。
 私たちは、そこで忍耐ができなくなって、神の約束を信じきれなくなって、手近にあるもので行動を起こそうとするのです。
 不思議なことに、モーセの兄弟であるアロンは、この不信仰な民の願い通りに行動いたします。アロンは、この時、彼らを説得できなかったのでしょうか。彼らを抑え切れなかったのでしょうか。それとも彼自身も、モーセの代わりにこの民を治めなければならないという重圧の中で、不安にかられてしまったのでしょうか。
 アロンは彼らにこう言いました。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい」(2節)。彼らは、喜んでこのアロンの要請に応じるのです。アロンは、のみで型を造り、その中に金を流し込んで若い雄牛の鋳像を造りました。
 イスラエルの民は、歓喜いたします。「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」(4節)。もうこの興奮を誰も止めることはできませんし、止めようとする人もいません。アロンはこれを見て、その前に祭壇を築きました。ちょうどその頃、モーセは山の上で、神の幕屋と、その幕屋の中に、真の祭壇を造る指示を受けていました。何というコントラストでありましょうか。
 そしてアロンは、次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えました。モーセは、その頃、山の上で、焼き尽くす献げ物の祭壇とそのすべての祭具の製作について、念入りな指示を受けていました。何というコントラストでありましょうか。民は、座って飲み食いし、立っては戯れた。そこには、神の前に静まって、神の声を聞く姿はありません。祈りはありません。自分たちが安心し、自分たちが喜び、楽しむために、やっていることなのです。神様を拝むという形を取って、自分たちに都合のいい神を作り上げる。それで安心をする。ここで行われていることは、確かに宗教行事そのものです。私たちは、宗教そのものが不従順の手段になりうるということを、深く心に留めておかなければならないでありましょう。

(2)信仰の原点に立ち返る

 教会も同じ過ちを犯すものであります。いや、私たちがなしている行為の多くは、実は知らずして、神を作り上げていく行為であるかも知れません。そこでは、教会が教会であり続けるということは、ほとんど奇跡のような事柄です。神様の耐えざる赦しと、それに立ち返っていく不断の悔い改めによってのみ、教会は教会であり続けることができるのだと思います。
 本日は、10月最後の日曜日、宗教改革記念日であります。これは1517年10月31日、マルティン・ルターが、95カ条の提題を発表し、それをヴィッテンベルク城教会の門扉に掲示したことを記念するものであります。
 当時の人々は、教会に安易な救いを求め、教会は教会で、安易に免罪符を発行いたしました。教会は、神様の御心から離れていたという風に、言わざるを得ないと思います。そうした中で、ルターは立ち上がったのです。それは歴史上の一事件でありましたが、教会は絶えずそのような危機にさらされてきましたし、今日でもそうでありましょう。教会が教会でなくなってしまう。教会はそこで、体裁を取り繕うのではなく、真の教会になっていくために、悔い改めて、絶えず信仰に立ち返っていく必要があります。そのところでは、カトリック教会もプロテスタント教会も同じです。

(3)神とモーセの真剣な問答

 7節から場面は山の上に変わります。いわば、第二幕です。主なる神は、モーセに言われました。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳造を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる」(7〜8節)。
 そしてこう続けられます。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」(9〜10節)。
 神様は、イスラエルの民を滅ぼすことにしたとおっしゃる。「モーセよ、お前を用いて、最初からやり直したい。」しかしそう言いながら、何かモーセに相談をしているように聞こえます。それに対し、モーセの方が神様をなだめようとするのです。

「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか」(12〜13節)。

 神様に再考を促す言葉を述べるとは、何と大胆な行為でありましょう。「どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください」(13節)。
 次にモーセは、神様にイスラエルの選びの歴史を思い起こさせようとします。

「どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください(イスラエルとはヤコブのことです)。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか」(13節)。

 神様は、モーセの言葉を受け入れて、御自分がくだす、と告げられた災いを思い直されたというのです。ここで、モーセは神とイスラエルの民の間に立ち、民の側の代表として、神に向き合っています。一歩も引こうとしない。すごい迫力を感じます。ここで第二幕が終わります。

(4)モーセ、山を下りる

 そして第三幕。モーセは、身を翻して、山を下りて行きます。手には、二枚の掟の板を持っていました。その板には、文字が刻まれていました。十戒の言葉です。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていたということです。神ご自身の筆跡であった、とまで言います(16節)。
 これまでのところでは、モーセは、民の代表として神に向き合っていましたが、ここでは、神の代弁者として民に向き合っています。これまでは祭司として神と民の間に立ち、ここでは預言者として神と民の間に立っていると言ってもいいでしょう。
 そして彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上に撒き散らし、イスラエルの人々に飲ませた、とあります。非常に激しい情景です。
 そして兄弟アロンに詰めよります。「この民があなたに何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」(21節)。アロンはこう言いました。「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存知です。彼らはわたしに『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがとどうなってしまったのか分からないからです。』と言いました」(21節)。
 いかがでしょうか。アロンもここで、イスラエルの民のために、とりなしをしているように見えます。しかしアロンの言葉には、モーセのとりなしのように、自分の命をはる迫力がありません。むしろ嘘をついて言い訳をしながら、自己正当化しようとするのです。
 「わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです」(24節)。4節では、「彼(アロン)は、……若い雄牛の鋳造を造った」となっていたのに、ここではそれが勝手にできたかのように言うのです。そのように言い訳をするアロンは、とりなしをしているように見せて、自分を守ろうとする宗教者の姿そのものです。

(5)厳しい裁き

 その後、モーセは、この偶像製作と偶像崇拝に加担した者に悔い改めを呼びかけます。するとそこには、レビの子らが集まりました。モーセは、このレビの子らを用いて、悔い改めない者全部を殺してしまうように、命じるのです(27〜28節)。
 この記述に対しては、正直、辟易する思いがいたします。皆殺し。旧約聖書には、そういう話はいっぱい出てくる。しかし私たちは、まずその本来の意味をよく理解しなければならないでありましょう。本来は、当然の報いであったということです。私たちには、自分の罪の責任が伴っているのです。パウロも、「罪の支払う報酬は死です」と言っています(ローマ6:23)。そのことの重みがわかっている時に初めて、イエス・キリストのあがないの意味もわかってくるのであろうと思うのです。

(6)命をかけて、とりなすモーセ

 第四幕。翌日、モーセはこう言いました。「お前たちは、大きな罪を犯した。今、わたしは主のもとに上って行く。あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかも知れない」(30節)。そしてモーセは山の上で、ただ一人神に向かって祈るのです。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。」ここで、言葉をつまらせます。そして一息ついてから、「もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください」(32節)と言いました。モーセは自分の命をかけて、その民のために、とりなしの祈りをするのです。
 主はモーセに言われました。「わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る」(33節)。各人の罪は各人が負う。私たちは今、水曜日の聖書研究で、エゼキエル書を学んでいますが、その18章で高らかに宣言されていることです。主はモーセの命をかけたとりなしの祈りを聞つつ、それが人々の「あがない」になることは退けられました。
 そして、「今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい」(34節)と告げられました。モーセには、まだなすべきことがあったのです。

(7)罪のあがない

 さてモーセは、このところで、神と人の間に立つ仲保者でありました。神はそのモーセのとりなしに応じられ、思い直して裁きを留保されました(14節)。神は、そのようなとりなしを待っておられるようでさえありました。
 パウロも、イスラエルの民のためにこう祈りました。「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ9:3)。ここには真剣なパウロのとりなしの祈りがあります。自分の命と引き換えてもよい。神から捨てられた者とさえなってもよい。神はそのような真剣なとりなしの祈りをお聞きくださるのです。
 しかしながら同時に、このようなモーセやパウロのとりなしの祈りにも限界があった。それは罪のあがないまではできなかったということです。モーセ自身、「あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかも知れない」と言って、祈りに向かいました。モーセにその志はあっても、それをなしうる力はなかった。それをまことになしうるのは、神の子イエス・キリストのみであります。神の子として、神の資格をもったお方が、人間の側に立ってくださる時、その二つがぴたりと重なる時に、まことの罪のあがないが成り立つのです。イエス・キリストは、それを身をもってなしてくださいました。ご自分の命をかけて、十字架の上で、自分を迫害し、自分を十字架にかけている人を指して、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と祈られました。このイエス・キリストの十字架上の祈りによって、モーセやパウロのとりなしの祈りも完成すると言ってもいいかも知れません。モーセのとりなしの祈りそのものが、イエス・キリストのあがないを待ち望む祈りであった、イエス・キリストを指し示す祈りであった、と私は思うのです。


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