信仰生活の戦い

〜フィリピ書による説教(3)〜
申命記20章1〜4節
フィリピの信徒への手紙1章21〜30節
2007年5月13日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)生か死か

 使徒パウロは、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(21節)と言いました。パウロは、獄中にあって、死を意識することが多かったことでありましょう。いつ呼び出されて死刑を宣告されるかも知れない。しかしそのような状況にあっても、彼の心は平安でありました。むしろ喜びに満ちあふれていました。この言葉の直前で、パウロは「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に祈っています」(20節)と語っていました。どちらになっても、最終的にキリストがあがめられるようになるように、という心境であります。
 「けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です」(22節)。この言葉は、「ハムレット」の「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という言葉を思い起こさせるものですが、その心境は質的に違ったものであろうと思います。パウロはここで自殺を考えているわけではありません。
 確かに、パウロは死にあこがれていました。彼はこのように言います。「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」(23節)。彼にとって、死はイエス・キリストと直結することでありました。
 私たちは生きている間にも、キリストを知ることを許されています。そのために、キリストは私たちと同じ肉体をもってこの世界に来てくださったのです。しかし、それはまだ、「鏡におぼろに映ったものを見ている」(コリント一13:12)ようなものです。(昔の鏡は今の鏡とは違って、金属を磨いたようなものでしたので、おぼろにしか映らなかったのでした。)「だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」パウロは、このキリストと完全に一体になる時を待ち望んでいました。しかしこの死へのあこがれのような思いは、彼を自殺へと導くことはありませんでした。
 むしろこれは、日々、死が彼を破滅させようと押し迫り、彼の信仰を曲げようとする脅迫する中で、それをどのように克服して行ったかという信仰の言葉です。そういう究極の状況の中で、死ぬことは決して恐怖ではなく、むしろ望ましいことだと言ったのです。だから生き延びるために信仰を否定したり、あるいは人を陥れてまで生きようとしたりはしない、という思いでもあったでしょう。

(2)命の主、キリスト

 しかし彼は、そこで、がたがたっと死へと傾いていかないのです。「いつ死んでもいい、むしろ早くそうしていただいた方が楽なのに」という思いと同時に、それを押しのけるようにして、「いや、神様が生かされる限り、生きなければならないのだ」という信仰がここにあります。
 「だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつまでもあなたがた一同と共にいることになるでしょう」(24〜25節)。
 「自分がいつ死ぬか、それを決めるのは自分ではない。生かされていれば、まだご用も果たせる。」パウロは、たとえ牢の中にいようとも、自分がまだ生きているということ自体がフィリピの教会の人々の励ましになるということをよく知っていました。
 パウロは、一方で「死はキリストと一つになる望ましいことだ」という信仰により、死への恐怖に打ち勝ち、しかし「命の主は自分ではない」という信仰により、死への誘惑に打ち勝っているのです。そのような信仰の中で、パウロは「わたしにとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」と告白したのでした。そう、私たちは、神様から、イエス・キリストから、「もう十分だ、あなたはよく生きた」とお許しが出るまで、与えられた生を前向きに、精一杯に生き切らなければならないのです。

(3)フィリピへ行きたいけれども

 彼は、いつかまたフィリピに行く日を夢見ています。
 「そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります」(26節)。生きていたら、またこの地上で会えるかも知れない。そうすれば、私たち同士の再会の喜びだけではなくて、その再会を通して、信仰が増し加わるという。パウロにとってはありとあらゆることがキリストへとつながっているのでしょう。
 しかしここで反対に、会えなければ、キリストへの信仰がゆらぐのかと言えば、そうではありません。その後の言葉を見ると、自分がフィリピに行くということを絶対化していないことがわかります(27節)。

(4)信仰のために共に戦う

 ここからパウロは、自分がフィリピへ行こうが行くまいが、フィリピの人たちがしっかりキリストの福音に立って生活するようにという勧めを述べ始めます。

「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと」(27〜28節)。

 信仰生活には、戦いという側面があります。生半可ではありません。ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送るということは戦いなのです。そのためには、一つの霊によってしっかりと立ち、そして心を合わせて、祈らなければなりません。そうすれば、どんな敵を前にしても、たじろぐことはない。激しい言葉です。
 先ほどは、申命記20章の言葉を読んでいただきました。

「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬と戦車、また味方より多数の軍勢を見ても恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導き上られたあなたの神、主が共におられるからである。……『イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである』」(申命記20:1〜4)。

(5)敵を固定してはいけない

 もっとも私たちは、信仰生活が戦いであるということを誤解してはならないでしょう。この戦いは、何か具体的な敵を決め付けての戦いではありません。「反対者たちに脅かされて」とありますが、その反対者とは、誰のことである、と特定するのは危険なことです。むしろそうした決めつけの中にも、サタンが忍び寄ってくるのです。
 佐竹明氏はこの箇所を、こう注解しています。「キリスト者の戦いはまず自分の相手を固定し、その相手に対して自分の立場を主張し、相手を屈服させることの中には存(在)しない。それは自分のための戦いではなく、『福音の信仰のため』の戦いだからである。その敵は、しいて言えば、『やみの世の主権者』である。しかし、この『やみの世の主権者』は、時としてキリスト者自身をも支配しかねないのである」
 クリスチャンは、昔からこの決め付けをやってきました。魔女裁判などというのがその最たるものでしょう。十字軍も行われました。今日でも、何々クルセード(十字軍)というのは多数存在します。そこでは、往々にして、敵が固定化され、自分が神の側についていると信じ込んでいるのです。しかしそれこそ自分を絶対化する危険思想、原理主義です。
 たとえば、あるクリスチャンの多い国が神の側についていて、イスラム世界が敵だということは大きな間違いでしょう。またある時代には「近代主義」がキリスト教信仰に反する敵とされてきましたが、今日では、「妊娠中絶はキリスト教信仰に反する。」「同性愛はキリスト教信仰に反する」など、さまざまな「クルセード」が存在します。しかしそうした考えそのものの中にも、敵はひそんでいることをわきまえておくべきでしょう。

「1 主よ、終わりまで しもべとして
   あなたに仕え したがいます。
   世のたたかいは はげしくても
   主が味方なら 恐れはない。
 2 この世のさかえ、目を惑わし
   誘惑の声 耳に満ちて
   敵は外にも内にもある。
   お守りください、主よ、私を。」
(『讃美歌21』510)

と歌わなければならないのです。

(6)キリストのゆえに受ける苦難

 「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(29節)。
 これはパウロの経験に基づいた励ましでありました。パウロはその信仰の模範として生きていたのです。「あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」(30節)と言うとおりです。
 フィリピの人々がかつて見たパウロの戦いとは何であったでしょうか。フィリピ書の最初の説教の折に、パウロがフィリピでどんな経験をしたかをお話しました。やはりこの時と同じように、信仰のゆえに牢屋に入れられました。突然、大地震が起こって牢屋の鍵が開いてしまった。しかしそこで逃げなかったことに感心して、看守もイエス・キリストを信じるようになった。そのことは、表面的には戦いとはいえないようなものです。むしろ自分たちを脅かし、自分たちを閉じ込めている勢力と戦って、そこを抜け出た方がキリストの福音の戦いに近いように思えるかも知れません。看守がおびえている間に出て行く方がキリストの勝利に見える。しかしそうではありませんでした。彼はむしろそこで「逃げ出しなさい」という誘惑の声を聞きながら、その葛藤に打ち勝ったのでした。彼にとっては、それが福音のための戦いでありました。
 イエス・キリストご自身がそうでありました。「神の子であれば、十字架から降りて見せろ。そうすれば信じてやろう」という声、最後の誘惑と戦い、それに打ち勝って十字架にとどまってくださったのです。
 パウロは、イエス・キリストと関係のない人生を歩んでいれば、投獄されることもなかったでしょう。信仰をもったがゆえに、こんなことになったのです。しかしパウロはそのことを後悔していません。むしろ喜んでそれを受け入れていました。それで少しでもイエス様に近づくことができたと思っていました。
 この時、フィリピの町でイエス・キリストへの信仰のゆえに不利益をこうむっていた人たちが少なからずあったようです。社会的に疎外される。仲間はずれにされる。しかしそこで、かえって福音を受け止める感覚が研ぎ澄まされて、恵みを多く受け取るようになる。パウロは、自分の経験を通して、その確信を述べるのです。

(7)広く苦難の意義をとらえる

 今日においても、私たちがイエス・キリストの弟子として歩もうとする時に、この世の利害とぶつかることがしばしばあります。しかしそこでこそ祈りを新たにし、私たちの信仰がとぎすまされていくのではないでしょうか。
 また私はこの苦しみというのを、もっと広く解釈することも許されると思います。信仰のゆえに受ける苦難ではなかったにしても、信仰において、その苦難を積極的に受け止められるようになるのです。
 私たちの教会のアルセンヌ・ジャル・グロジャさんは、普通の日本人では、想像もつかないような厳しい苦難を経験してこられました。アルセンヌさんは、祖国コンゴ民主共和国において、ご家族を殺され、ご自身も命を狙われる中、日本へ助けを求めて逃げてこられました。しかし日本はその叫びを聞き入れず、彼は品川の入国管理局と牛久の入国管理センターに、合計9ヶ月にわたって収監拘束されました。
 私たちは、今からちょうど2年前、アルセンヌさんの仮放免と在留特別許可を求める署名活動を実施しました。彼に対しては、励ましの手紙を送り、祈りの連帯をしようとしていた矢先に、幸いにも仮放免となりました。それ以来、共に在留特別許可を得るための闘いをし、共に教会生活してまいりました。今ではすっかり教会に溶け込んでおられますが、あれからちょうど2年になるのかと思うと、神様の不思議なご計画を感慨深く思うのです。
 パウロは言いました。
 「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマ5:3〜4)。
 また先週、5月8日には、教会員の幸田清子さんが天に召されました。彼女の晩年の生活は、まさに病気との闘いであった。彼女自身はその苦しみについて、何度も神さまに問われたようですが、それを信仰により克服されました。命を主に委ねつつ、与えられた生を最期の時まで精一杯に生きて来られました。幸田清子さんの愛唱聖句は、第一テサロニケ5章16〜18節でありました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」私たちも、この信仰をもって、信仰生活の戦いを戦い抜いていきましょう。


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