二人の派遣

〜フィリピ書による説教(6)〜
詩編121編1〜8節
フィリピの信徒への手紙2章19〜30節
2007年7月29日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)具体的用件

 私たちが手紙を書く時には、たいてい、何かしら、「何々をしました」とか、「何とかをどうぞお願いします」といった用件があるのではないでしょうか。
 しかしパウロの手紙は、執筆動機はあるものの、あまり具体的な用件を伝えるような手紙ではありません。むしろその言葉から、福音の理解について学ぶ、いわば説教のような特色をもっていると思います。それだからこそ、時代を超えて読み継がれるのであり、現代に生きる私たちにも訴えかける内容をもっているのです。ただ単に具体的な用件を伝えるような手紙であれば、パウロの手紙が聖書の中に入れられることもなかったでしょう。
 このフィリピの信徒への手紙も、このところにパウロの神学、福音理解がよく示されているという点では、他の手紙と同じなのですが、この手紙はある具体的な用件を持っていました。それが今日の箇所に記されているのです。その用件とは、まもなくテモテを送ろうとしているということと、それに先立って、今エパフロディトをそちらに送るということでありました。新共同訳聖書では、「テモテとエパフロディトを送る」という題が付けられています。しかしその具体的用件を伝える中にも、キリストの福音が語られているところは、さすがパウロだと思わされるのです。
 この二人を送るということについては、共通点と相違点があります。いや普通に考えれば、この二人は全く違う状況なのですが、パウロはあえて続けて語ることによって、どんなに外面的に違っていても、「キリストの名において人が動く」ということは、本質的には同じなのだ、と言おうとしているのではないかと思います。

(2)テモテとは

「さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています」(19節)。
 テモテは、パウロの最も信頼する同労者であります。パウロは、この手紙自体を、「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから」(1:1)という風に書き始めました。使徒言行録16章によれば、パウロは最初にフィリピに行った時にも、このテモテを連れて行っておりました。

「パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである」(使徒16:1〜3)。

 なかなか興味深い記述であります。このテモテという人は、言わば、ギリシア人とユダヤ人のハーフだったのです。彼は、二つの文化が融合する中で生まれました。父方の宗教(ギリシアの神々)を信じるべきか、母方の宗教(ユダヤ教)を信じるべきか。そうした葛藤の中、パウロの説く新しいキリスト教の福音に、その解決を見出し、心惹かれていったのではないでしょうか。
 パウロにとっては、テモテ以上の助け手は見当たらなかったでしょう。パウロの目はすでに、ユダヤ人世界から異邦人世界、特にギリシア世界へと向けられていました。テモテという人は、まさに二つの文化の申し子のような存在です。
 テモテは他の宣教者から、「父親はギリシア人ではないか」と軽んじられていたかも知れません。パウロは、その人たちの批判からテモテを守るために割礼を施して、同労者として同行させるのです。
 パウロは、テモテについて、このように記しています。「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです」(20節)。
 伝道者といえども、心から本心で何でも語り合い、分かち合える同労者というのは、そう多くはないものです。私自身、自分を振り返ってみても、そのことを思います。それなりに親しい牧師は大勢いますが、本音でつき合える親友のような同労者を見つけるのは、そう簡単ではありません。

(3)共に福音に仕える

 さて、パウロはテモテについてこう続けます。「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」(22節)。
 パウロの絶大な信頼を受けていることがよくわかります。「息子が父に仕えるように」と来れば、普通は「彼はわたしに仕えてくれました」と、予期するのではないでしょうか。もちろん、テモテは実の父親に仕えるように、あるいはそれ以上に、パウロに仕えたことでしょう。しかしパウロは、「彼はわたしと共に福音に仕えました」と結ぶのです。ここには、伝道者たる者は、いかにあるべきかが示されていると思います。テモテは、福音に仕えることを通して、パウロに仕えたのです。テモテは、パウロに召されたのではない。パウロの期待に応えて、パウロに仕えてきたわけですが、主イエスから「パウロに仕えなさい」という風に召されたのです。ですからパウロとテモテの関係は直接的ではありません。その間に神さまが介在している。パウロも「テモテを連れて行き、同労者として育てなさい」という召しを受けたのです。
 パウロは、「私自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています」(24節)と言って、テモテについての記述を結びます。客観的に見れば、パウロはいつ呼び出されて死刑の判決を受けるかも知れない状況にありましたが、それでも、すべてを主の御手に委ねている。「神様がもう一度フィリピへ行くようにとお考えであれば、必ずそのようになる。」そうした確信をフィリピの人々に伝えて、励まそうとしたのでしょう。

(4)エパフロディトとは

 さて、そこからエパフロディトの話に移ります。テモテを送るというのは、言わば、予告です。それに対して、エパフロディトの方は、実際に、この手紙を託す人物であります。
 ですから、私はこのエパフロディトを快く受け入れて欲しいというところに、彼のこの手紙の本当の用件があったのではないかと思うのです。エパフロディトを送り返すことは、テモテの派遣と並ぶものであるということを伝えようとして、テモテのことから書き始めたのではないでしょうか。
 このエパフロディトは、もともとフィリピの教会からパウロのもとへ遣わされてきた人物でありました。この手紙の終り近くにこう記されています。
 「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています」(4章18節)。
 そしてそれらの物品にも増して、エパフロディトの存在そのものがフィリピの教会の人たちからパウロに対しての何よりの贈り物でありました。彼はフィリピの教会から遣わされた者としてパウロに仕えていたのでした。みんながみんなパウロの元へ行けるわけではない。その代表として、みんなの思いが託されて、みんなの代わりにエパフロディトが遣わされたのです。

(5)パウロの配慮

 ところが、そのエパフロディトが病気になってしまいました。それも生きるか死ぬかの大病でありました。「実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました」(26節)とあります。九死に一生を得たということでしょう。しかし完治したとは書いてありません。何とか旅行ができるまでに回復した。
 「彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました」(26節)と続けます。パウロにしてみれば、「フィリピの教会から送られてきた大事な人を、自分のところで死なせてしまったら、どうしようか」という思いがあったことでしょう。もちろんエパフロディトが助かることは、素直にパウロの願い、祈りでもありました。
 パウロはそこで、エパフロディトが小康状態になったところで、フィリピに送り帰すことにするのです。「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています」(25節)。
 この考えがフィリピの人にとってどう映るか、パウロはそのことを心配しました。マイナスの印象を与えるかもしれない。使命を全うせず、半ばで挫折して帰ってきたと受け止める人もあるでしょう。
エパフロディトが大病を患ったということはすでにフィリピの教会にまで伝わっていました。「(彼は)しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです」(25、26節)。なんと配慮に満ちた言葉でしょうか。エパフロディトは、この病気を通してはじめて死を意識したのかも知れません。「もう一度フィリピの人たちに会いたい。フィリピの町を見たい。」「しかし、それはそれとして、がんばって何とかここで踏みとどまってパウロさんにお仕えしたい。」どちらも本心です。二つの本心の間でゆれているのです。
 それをパウロの方から、今エパフロディトにとっては何が一番いいのかを察して、安心してフィリピの町へ帰れる様に整えてやるのです。パウロは、エパフロディトのことを最大級の賛辞、形容詞で持って、フィリピの人に伝えます。
 「彼は、わたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」(25節)。
 「帰さねばならないと考えています」の「帰す」というのは、実は単純に「遣わす、送る」という言葉です。「テモテを遣わす」というのと、同じ言葉が使われています。二人の状況が違っても、同じように遣わされる人間だと言うことを言おうとしてるように思います。つまり、エパフロディトは、挫折して帰るのではなく、新たな使命を帯びて、パウロの元からフィリピの教会へと遣わされるのです。
 伝道者とはそういうものではないでしょうか。どんなに挫折に見える異動も、そこには主の召命があって遣わされるのです。

(6)ブラジルからの帰還

 私がブラジルから日本へ帰る時も、少しそういう思いがありました。ブラジルで働いて、ようやくポルトガル語で説教ができるようになった頃でありましたので、日本のある教会から「ぜひ、帰ってきてうちの教会で働いて欲しい」という招聘を受けた時は、それをどう受け止めるべきか、随分、悩みました。「どうして今なのか。もう少しいたい。」「もしもここで帰ったら、自分は志半ばで挫折して日本へ帰るようなものではないか。」「(当時、仕えていた)教会の人に何て言えばいいのか。」
 しかし、その一方で、日本人も全くいないブラジルの田舎で、宣教を続けていくことにも、どこかでためらいがありました。「このまま、ここにいていいのだろうか。自分には日本語で日本人に向かって語るべき使命があるのではないか。」そうした中で日本の教会からの招聘は、挫折ではなく、むしろ日本における新たな召命と、次第に積極的に受け止められるようになりました。

(7)キリストの業に命をかける

 私は、この時のエパフロディトの気持ちもそのようなものではなかったかと思うのです。ここに残りたい。でも帰りたい。どちらも本音なのです。パウロは、そのエパフロディトの帰還を、新たな宣教への召命と位置づけるのです。
 パウロは、エパフロディトを、「そちらに帰さねばならないと考えています」と述べていますが、これは「帰す必要がある」という言い方です。一体誰にとっての必要なのか。エパフロディトにとっての必要であると同時に、どうもフィリピの人にとって、エパフロディトが必要な存在だということを伝えようとしているようです。
 「そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから主に結ばれている者として大いに歓迎してください。彼のような人々を敬いなさい」(28〜29節)。
 エパフロディトをかわいそうに思って受け止めるのではなくて、敬って受け入れる。「彼のような人々」とは、どういう人々でしょうか。「わたしに奉仕することで、あなたがたにできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです」(30節)。
 伝道献身者というものが、どういう存在であるが示され、襟を正される思いがします。「キリストの業に命をかける。」どきっとさせられます。牧師は、任職式において、「あなたはこの教会に招聘されたことを神のみ旨であると信じ、主の栄光のためにその身をこの職にささげる覚悟がありますか」と問われるのですが、これはいつも大きなチャレンジです。しかしこのエパフロディトは、まさにそれをやったのでした。パウロのところへ行くことを主のみ旨と信じ、その職に身をささげたのです。
 「そのような人々を敬いなさい」ということなのです。それがフィリピの人々がエパフロディトに対してなすべきことでした。
 ここには、現代の私たちの教会にも通じる、重いことが語られております。ただ単に用件を伝えるかに見える言葉の中にも、福音の本質、教会の拠って立つべきところが示されているのではないでしょうか。


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