親から巣立つ

〜ルカ福音書による説教(11)〜
申命記4章39〜40節
ルカによる福音書2章39〜52節
2008年1月13日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)まことの人になられた

 1月の第二月曜日は、日本の成人の日であります。私たちの教会の会員である一色創紀さん、そして会員のご家族である榎本恵一さん、須藤雅佳さん、中島学さんが、この度、成人式を迎えられます。教会においても成人を祝うことは意味のあることであろうと思います。今日、私たちに与えられたテキストは、主イエスの成長過程における一つの区切りのエピソードでありますので、成人の日にふさわしい箇所が与えられたと思います。
 まずこういう文章があります。「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」(39節)。この短い1節を読みながら思うことは、主イエスが「まことの人になられた」ということであります。
 人間というのはそれぞれに生まれた環境というのがあります。ここにいる多くの方々は日本でお生まれになったことでありましょう。もちろんその他の国、ブラジル、中国、韓国、インド、コンゴなど、さまざまでありましょう。そしてその国の習慣やその家庭の宗教があります。文化や言葉、親の職業、それぞれに固有の背景がある。それが人間であります。
 人類、すべての人の救い主であれば、それらを超越したところでお生まれになった方が、普遍性があるようにも思えますけれども、それだと逆に「まことの人」とは言えません。イエス・キリストもユダヤの固有の文化の中で生まれ、ヘブライ語の親戚であるアラム語を話し、大工の息子としてお育ちになったのです。それでこそ「まことの人になられた」ということです。
 また数ある文化の中の一つというだけではなく、聖書(ユダヤ教)において命じられている儀式を大切にする家庭に生まれ、お育ちになりました。そしてこの「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれて」(40節)いました。

(2)主イエスの唯一の少年時代の話

 その後の41節以下は、イエス・キリストの少年時代の一つのエピソードです。福音書というのは、伝記のような体裁をしていますが、普通の伝記とは違って、イエス・キリストの小さい頃のことから順を追って成長していく姿を伝えてはいません。マタイとルカはクリスマスの出来事によって福音書を書き始めていますが、マタイではクリスマスの話からいきなり成人した30歳頃のイエス・キリストに飛んでいきます。主イエスの公生涯(パブリック・ライフ)というのは30歳の受洗からと言われますので、まさに30年間の空白があります。マルコとヨハネは、クリスマスの物語を記していません。
 唯一ルカだけが、その間のエピソードを、しかも一つだけぽつんと、踏み石のように記しているのです。それが本日の12歳の主イエスの姿であります。
 新約聖書の外典(アポクリファ)の中に『トマスによるイエスの幼児物語』という非常に興味深い書物があります。それは幼児イエスが5歳から12歳までの間に行なった奇跡物語集のような書物です。幼児イエスの神がかり的超能力と異常な知恵について記しています。例えば、5歳のイエスが泥をこねて12羽の雀をつくり、それを飛ばしたというようなことが書いてあります。ちょっとあやしい。全体が19章から成り立っており、その最後の19章は、私たちが今読んでいるルカ福音書2章41節以下によく似ています。著者は、恐らくこのルカ福音書を下敷きにして書いたのでありましょう。結局、この『トマスによるイエスの幼児物語』は正典には含まれませんでした。実は当時、イエス・キリストについて書かれた書物は、現在の聖書に含まれているもの以外にもたくさんありました(外典)。聖書というのは、数あるイエス・キリストの伝承の中から、これが神様の御心を伝えるのにふさわしいというものだけが正典として選ばれて編まれていったのです。そこで正典から外れた外典の中に、近年有名になりました『ユダの福音書』などもあります。正典の中では、ルカ福音書の中のこのエピソードだけが、少年時代のイエスについて述べているということなのです。

(3)息子がいない

 「さて、両親は過ぎ越し祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った」(41〜42節)。ユダヤ人の成人男子には律法により年3回、エルサレムに上っていわゆる三大祭りに出るということが命じられていました。それらは、春の過越祭、初夏の五旬祭、秋の仮庵祭であります。しかしエルサレムから遠く住んでいる人もありますので、一般には年に1回、特に過越祭に来ればよいとされていました。マリアとヨセフも、そういう慣習に従っていたのです。
 また当時のユダヤ教社会では、男の子は12歳になると、自分の責任において、律法に従う生活をすることができるようになると考えられていました。信仰的、霊的に一人前と認められた。ある種の成人式であると言えるかも知れません。
 このときの旅は、家族だけの旅ではなかったようです。ナザレから親戚や知人、みんなでわいわいがやがや一緒にやってきたのでしょう。少年イエスの友人もいたかも知れません。ヨセフとマリアは、イエスがいなくなっても、そのことに気付かないのです。最初は「一体どこにいるのだろうね」位にのんきに思っていたかも知れません。しかし夕方になって、家族ごとに集まる段になって、本当にいないということがわかった。両親はさぞかしあわてたことでしょう。二人は、エルサレムから群れをなして離れていく人々に逆行するように捜しましたが、結局見つからず、エルサレムまで引き返してきました。それでも街の中にもいない。結局、三日の後、神殿の境内で発見するのです。この三日間の両親の気持ちは推して計るべしであります。この時のマリアの言葉は、「なんでこんなことをしてくれたのです」という叱責の言葉ですが、ほっとしたという思いが伝わってくるようです。

(4)真剣に話を聞く少年イエス

 イエス・キリストは、「神殿の境内で、学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられ」ました。また「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いてい」ました(46、47節)。
 しかし、これは特別に対等に議論していたということではないようです。「真ん中に」という言葉も、「間で」(among)という程度の意味でとった方がいいように思われます。「座る」というのは話を聞く姿勢です。対等に議論する姿勢ではありません。あのマルタとマリアの姉妹の話で、マリアが座って話を聞いていた姿勢です(ルカ10:39)。その同じ姿勢で、イエス・キリストは律法の教師たちの話を聞いたり、質問したりしていました。その質問も、自分がよく理解するために、ということでありましょう。主イエスは、このエルサレムでどんどん新しいことを吸収され、ナザレでは学べないことを学んでおられたのでしょう。まわりの人がそれを聞いて驚いたというのも「子どもにしてはよくできる」という程度の驚きであろうかと思います。そういう姿を伝える記述ではないでしょうか。

(5)父の家にいる

 ただし両親が驚いたのは、他の人々のようにその受け答えの素晴らしさのためではありませんでした。思いがけず、神殿の境内にいたこと、子どもでありながら、学者たちの律法の教えを一人前の顔をして参加していたことに驚いたのです。彼らにとっては話の内容など聞こえなかったでしょう。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(48節)。恥ずかしさでいっぱいであったかも知れません。
 イエス・キリストは、こう答えます。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいることは当たり前だということを知らなかったのですか」(49節)。
 母マリアの言葉は、日本語では「お父さんもわたしも」となっていますが、原語では「あなたのお父さんもわたしも」となっています。「あなたのお父さんも」という言葉に対して、主イエスは「自分の父の家にいる」と言われたのです。
 イエス・キリストが本当に心憩う場所、天のふるさとから、この地上に来られて、いわば寄留者としてお過ごしになった。そのふるさとは天であるけれども、地上においてその天とつながるところがまさにこの父の家としての神殿であるということが語られているのであろうと思います。

(6)親離れ、子離れ

 親としては、子どもが自分の手の内にあると思っていた。ところが子どもは、いつの間にか、それを超えた存在になっていた。親としては、自分の子どもと排他的に関わっていると思っていたら、実はその親の想像を超えた世界があったということです。「両親は、イエスの言葉の意味が分からなかった」(50節)とあります。
 もちろんこれは、イエス・キリストという特別な場合でありますが、私たちの一般的な家庭においても心に留めるべきことではないでしょうか。
 私の子どもは私の管轄内にある、と思っているのが、子どもはいつのまにかそれを超えたところで自分の世界をもっているのです。神様とのかかわりにおいても、いつしか親の手から巣立っていくものです。
 今日は、この世の成人式をお祝いする時にあわせて、教会でもお祝いするわけですが、教会では特に、信仰的にも親から巣立つ、親から自立するということを心に留める時ではないでしょうか。それは必ずしも20歳ではないかも知れませんが、一つどこかで区切りをつけて、親は親として子どもを送り出します。それは、言い換えるならば、神様から預かった子どもを再び神様にお返しする時、と言えるかも知れません。
 また子どもは子どもで、親から譲り受けた信仰を、ただ単に親からの信仰というのではなくて、自分の信仰として持ち直す、神様から直接、受け止め直す時といえるのではないでしょうか。
 そうした時、旧約聖書のさまざまな戒めが心に響きますが、今日はその中の一つとして申命記の言葉を読んでいただきました。

「あなたは今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる」(申命記4:39〜40)。

 モーセを通して示された戒めでありますが、そのような言葉を私たち一人一人、自分に与えられた言葉として聞きたいと思います。

(7)キング牧師の説教

 さて、この物語はさまざまな示唆を与えられるものでありますが、その一つとして、私はキング牧師がこのテキストに基づいて行なった「失われた価値の再発見」という説教を紹介したいと思います。
 それは、昨年末に出版されました、キング牧師の『真夜中に戸をたたく』という新しい説教集に収められています。私はこの書物について『本のひろば』という雑誌に書評を書きました(1月号)。壮年会の『道標』にも転載させていただきましたので、ご覧くださった方もあろうかと思います。
 キング牧師は、少年イエスがエルサレムに置き去りにされたこと、しかし両親はそれに気付いて、それを探し求めてエルサレムへ戻って行ったこと、そこで、イエス・キリストをもう一度見出したということを積極的に取り上げて、「失われた価値の再発見」と呼ぶのです。
 そしてイエス・キリストの両親がイエス・キリストをエルサレムに置き去りにしてしまったように、「今、アメリカ人は、どこかに大事なものを置き去りにしてしまったのではないか。私たちは、あのマリアとヨセフが引き返して行ったように、『失われた価値』を取り戻しに行かなければならない」と呼びかけるのです。
 キング牧師は、この説教を1954年に行ないました。アメリカの黒人の公民権運動の出発となった、あのモンゴメリーにおけるバス・ボイコット事件の前の年であります。すでにその運動の内的準備が整っていたと、私は思うのです。

(8)両親に仕える主イエス

 さて最後のところには、こう記されています。「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」(51節)。主イエスは、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」とおっしゃってエルサレムに残り、両親から離れてしまったというのではありません。もう1回家庭に帰られて、そこで育っていかれるのです。
 主イエスは、父の家にいるべき子どもでありつつ、同時にヨセフとマリアの子どもとしてお育ちになります。このことの中にも、イエス・キリストの「まことの神にして、まことの人」の姿があります。
 その後30歳になるまでの18年間のことは聖書のどこにも何も書いてありません。
「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された(52節)」とあります。そのようなナザレの村里でのイエス・キリストに心を馳せて、そこに救い主の姿を見ていきましょう。また私たちも、そのイエス・キリストにつながることによって、この地上に生きるものでありながら、父の家に憩うことができる者とされるのです。


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