解放の福音

〜ルカ福音書による説教(18)〜
イザヤ書61章1〜5節
ルカによる福音書4章14〜21節
2008年9月7日
経堂緑岡教会  牧師  松本 敏之


(1)本格的宣教の始まり

 今年も秋を迎えました。9月です。私たちの礼拝でも、3月から中断していましたルカによる福音書を、今日から再び読み進めていきたいと思います。この前は、受難節に「荒れ野の誘惑」の部分を読みましたが、ここから、いよいよ本格的にイエス・キリストの宣教活動が始まっていきます。こういう言葉で始まります。
「イエスは"霊"の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判は周りの地方一帯に広まった」(14節)。
 最初にルカが語るのは、イエス・キリストは「霊の力に満ちていた」ということです。イエス・キリストの全生涯は、常に神の愛の霊に満たされ、その言葉と行いも、常に聖霊の力と導きによるものでありました。それを、いわば全体を貫くものとして、最初に告げるのです。
 イエス・キリストの故郷とは、ガリラヤ地方の中のナザレという町でありましたが、ナザレを含むそのガリラヤ全領域において、イエスの評判が広まっていきました。
 荒れ野の悪魔は、「こういう風にしたら、みんながお前の前にひれ伏すに違いない」と教えましたが、そういう仕方ではく、むしろ内側からあふれ出るようなイエス・キリストの言葉、権威、人格が、人々に伝わっていったのであろうと思います。
 「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」(15節)。
イエス・キリストの語られたこと、なされたことは、聖書(いわゆる旧約聖書)の深い解釈であったと言えます。それを撤回されたの ではなく、それに新たな命を吹き入れられた。ですから、イエス・キリストはあくまでユダヤ教徒として、会堂(シナゴーグ)を教えの拠点とされたわけです。
 「皆から尊敬を受けられた」とありますが、これも悪魔が誘惑したような形、奇跡を人々に見せることによって得た尊敬ではなかったでしょう。本当に困った人の傍らで、ご自分の身を砕いて、その人のために尽くし、いやし、その人を立ち直らせた。そういうことがイエス・キリストの評判を高め、尊敬を集めていったのであろうと思います。
 ここまでの部分をいわば全体の前書きのようにして、その後いよいよ具体的な出来事に入っていきます。

(2)主イエスがこの世界に来られた意味

 「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」(16節)。
 イエス・キリストが忠実なユダヤ教徒として、またその教師として、安息日ごとに礼拝をなさっていた姿が、この短い言葉の中にもあらわれています。
 聖書を朗読しようとして立ち、開かれたのはイザヤ書でありました。それが先ほど読んでいただいたイザヤ書61章の言葉です。ルカの方ではこういう言葉です。

「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。」
(18〜19節)

 マタイ福音書やマルコ福音書をお読みになっている方は「あれ、少し順序が違うのでは?」とお感じになったかも知れません。ルカは、この言葉をイエス・キリストの活動の一番はじめに置いたのですが、マタイやマルコでは、この記事はもう少し後の方に出てきます。
 またこの先を読んでいきますと、「『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」(23節)という言葉が出てきますが、カファルナウムでの出来事について何も出てきません。31節でようやく「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って」とあり、悪霊を追い出されたことが記されています。それを先取りするようにして23節の言葉が記されているのです。順序が結構入り組んでいるのです。
 ルカは、マルコ福音書を知っていました。知っていたにもかかわらず、わざわざこれを一番先に置きました。ルカは間違えたのでしょうか。混乱しているのでしょうか。そうではないと思います。
 ルカには、時間的順序よりも大事なことがあったのです。事柄の順序とでも言えばいいでしょうか。それは、「イエス・キリストは一体何をしにこの世界へ来られたのか」ということでありました。それを最初に言う必要がある、と考えたのであろうと思います。イエス・キリストの業と言葉、さらに言えば十字架、それは一体何のためであったのか。それが、最初に高らかに宣言されているのです。これは、ルカ福音書で、最も大切な箇所の一つであります。

(3)苦しむ人の解放

 イエス・キリストの宣教が一体どういうものであったのか。それは、このイザヤ書61章に関係しています。

「主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを
伝えさせるために」(イザヤ61:1)。

 それは、何よりもまず、貧しい人に福音を告げ知らせるためであるということです。油注ぎというのは、国の指導者、王であるとか、預言者であるとか、そういう人たちに対してなされました。
(ちなみに「油注がれた者」という言葉は、ヘブライ語で言うと「メシア」、ギリシア語で言うと「キリスト」です。それは、やがて来るべき救い主という意味をもつようになりました。)
 新しい王が到来した時には、しばしば祝福が強要されました。「王の到来だ、喜べ」と言われた。そして、より多くの税金を集め、貧しい人をより苦しめたのです。王が即位するたびに、貧しい人はより貧しくなり、どんどん虐げられていく。それに対して、まことの王、まことのメシアが来る時には、貧しい人に福音が告げ知らされ、すべての捕らわれ人が解放されるのだということが語られているのです。

(4)安息の年

 特に「主の恵みの年を告げるためである」というのは、とても大事な言葉であります。「恵みの年」というのは、モーセの律法に出てきますがレビ記25章にこの「恵みの年」(安息の年とヨベルの年)のことが詳しく記されています。
 安息日が7日に一度あったように、7年に一度安息年というのがあったのです。

「イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。6年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、7年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない」(レビ記25:2〜4)

と続きます。
 農業的にもこれは妥当性のある教えなのではないでしょうか。何年に一度か土地を休ませると、また実りが多くなるということがあると思います。「土地を休ませる」ということで、実際にはそこに働いている人にも休みと収穫物を与えることになるのです。ですから次のように続きます。

「安息の年に畑に生じたものはあなたたちの食物となる。あなたをはじめ、あなたの男女の奴隷、雇い人やあなたのもとに宿っている滞在者、さらにはあなたの家畜や野生の動物のために、地の産物はすべて食物となる」(レビ記24:6〜7)。

それが7年に一度定められたのでした。

(5)ヨベルの年

 その後、こう記されています。

「あなたは安息の年を7回、すなわち7年を7度数えなさい。7を7倍した年は49年である。その年の第7の月の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、この50年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それがヨベルの年である」(8〜10節)。

 49年に一度か50年に一度、すべてのものを解放しなければならないという神様の戒めであります。ヨベルは英語ではジュビリーと言います。ゴールデン・ジュビリーという言葉をお聞きになったことがあるかも知れません。50年に一度すべてがリセットされる。奴隷になった者も、そこで解放される。土地もすべてそこで元へ戻るのです。自分の土地を借金によって誰かに取り上げられた人はそれが返ってくる。それがヨベルの年でありました。なぜ神様はそういうことをなさったのか。それは、この当時においても持てる者がさらにより多くのものを持つようになり、持たざる者は自分の持っているものまでもだんだん取り上げられていく、そういう現実の中で、「本来すべてのものは神様のものである」という宣言であったと思います。
 レビ記25章の23節には、「土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者に過ぎない」とあります。
 南北アメリカの先住民の人は、「土地は人間が勝手に売り買いしてはならないものだ」という意識を強くもっていました。そこへヨーロッパから来た白人たちが土地を売ったり買ったりするので、非常に戸惑い、そして知らずにそこへ巻き込まれ、だまされて土地を取り上げられていったという歴史があります。
 先ほど歌いました賛美歌「喜ばしい声響かせ」(『讃美歌21』431)というのもまさに、恵みの年の歌であります。

1 喜ばしい 声ひびかせ
 つのぶえ吹き 告げ知らせよ
「世界の人々、ヨベルのこの年
今はじまるのだ」
2 地のはてから 地のはてまで
あがなわれた 罪びとたち
喜びいさんで ふるさとさしつつ
急いで帰ろう

 イエス・キリストという方は、本当の意味での解放を告げるために来られたのだということを、ルカは宣言しているのです。

(6)主イエスの説教の要所

 さて、イエス・キリストは、イザヤ書を読まれた後、「巻物を巻き、係りの者に返して席に座られ」(20節)ました。これが当時の会堂での礼拝の様子であったようです。そしていよいよ説教が始まります。
 「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」(20節)。そして説教が始まりました。イエス・キリストが語られたのは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(21節)という言葉でありました。「そう話し始められた」とありますが、大事なことは、このひと言で言い尽くされていたと言っても過言ではないでしょう。何と短く、何と力のある説教でしょうか。
 私たちプロテスタント教会の説教は、長過ぎることが多いものです。私の説教は平均的な長さかと思っていますが、それでも長いと思われることもあるかも知れません。
 今年は、日本ブラジル交流年(日本からブラジルへの移民100年記念)ということで、10月19日にカトリックの人と一緒にエキュメニカルな礼拝をしようと準備をしています。説教はカトリックの神父が担当することになりました。もうすでに原稿を書いておられているのですが、何と説教の長さは3分だそうです。びっくりしました。その後プロテスタントの誰かがお祈りをするのですが、「説教より長い祈りをしないように」ということを冗談で言いあいました。短くひと言で語るというのは大事なことかなと思います。

(7)今日、実現した

 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した」(21節)というのは、イエス・キリストがそこにおられたということそのものが言葉を超えたメッセージであったからであります。
この言葉は、聖書朗読を別として、ルカ福音書の中に出てくる最初のイエス・キリストの言葉であります。原語の語順で言えば、「今日」という言葉が最初です。ルカはどうしてもこの言葉を宣教活動の最初に置き、そのことから語り始めざるを得なかった。どうしてか。それはイエス・キリストの宣教活動が開始された時に、イザヤ書の預言が実現したからです。
 しかもこの「今日」は、決して古くならない「今日」です。「昨日」にならないし、あいまいに「いつか」実現するというのでもない。その意味で、私たちがこの礼拝で、この言葉を耳にした「今日」でもあります。 私たちも、招きの言葉でパウロの言葉を聞きました。「今や恵みのとき、今こそ、救いの日」(コリント二6:2)。これが今日実現している、ということを、心に深く刻み、この一週間、またこの秋の季節を歩み始めたいと思います。
 私たちのこの礼拝においても、イエス・キリストが共にいてくださいます。そしてこの言葉が一人一人を解放するのです。解放するために、イエス・キリストは来られた。宗教というのは、しばしば私たちをがんじがらめにするようなものだと思われることがありますが、聖書の福音はそうではありません。本来、人間を解放し、社会を解放するものです。そこで公平が実現され、正義が実現され、困っている人が困らないようにされていくこと。それがイエス・キリストの宣教の原点でありました。


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