ブラジリアにて(その2)

(1)エスタジオ

 私は昨年に引き続いて、4月下旬から6月中旬までのブラジリアのCCMにてポルトガル語の研修をしました(編集者注−この時の報告はこちら)。本来4ヶ月であるコースのちょうど中間に8日間のエスタジオ(実習を兼ねたホームスティ)があるのですが、私は今回このエスタジオから始めました。
 この間、学生たちは全員ブラジリアを離れ、一人ずつ衛星都市のブラジル人の家庭にホームスティをします。CCMの紹介で行くので、みんなカトリックの家庭です。私を迎えてくれたのは、日系3世のご主人(サトーさん)と、ブラジル東北部出身の奥さん、それに十代の三人娘という家庭でした。私にとって幸いなことに(?)誰も日本語を話す人はいませんでした。
 日本ではクリスチャン全体が少数なので、カトリックと聞くとプロテスタントの私たちも親近感がありますが、ここではほとんどがクリスチャンなので、反対に違いばかりが強調されてしまいます。しかも少し田舎に行くとプロテスタントのほとんどがカトリックにきわめて批判的なペンテコステ派の教会です。そのためカトリックの人は、牧師というと「マイクをもって大声で叫び、おおげさに祈り、カトリック批判をして信者を増やす」というイメージを持っています。サトー家も、素朴なカトリックの家庭であったので、最初は私も少し警戒されていたようですが、いっしょに生活し、信仰について語り合ううちに、次第に打ち解けて楽しく過ごすことができました。カトリックの伝統的なロザリオの祈りの集会にも出席しましたし、最後の日には、彼らの教会のミサの中で、牧師として紹介され、聖書も読みました。 

(2)フェスタ

 5月2日より、いよいよコースの後期が始まりました。45人ほどの学生の中でプロテスタントの宣教師は、私一人だけです。午前中4時間の授業の他に、後期には午後にいろんな講演が週に2回ほどあります。「土地所有の問題」「ストリートチルドレンの問題」「インディオの問題」など、どれもブラジルを知るのに非常に有益なものです。
 金曜日の夜には楽しいフェスタがあります。今回の学生たちは、出身国によってグループを作り、綿密な準備をしてユニークなフェスタを企画しています。それぞれの国の大使館を訪ねて、ポスターやパンフレットなどをもらってきて国の紹介までします。ポーランドのフェスタ、アイルランドのフェスタ、スペイン語圏のラテン・アメリカのフェスタなど、お国自慢のダンスや歌に、みんな大騒ぎです。
 5月27日は、アジア人学生たちによるフェスタでした。今回のコースでは、インド人が5人、インドネシア人が3人、フィリピン人が1人、日本人が2人います。最初にそれぞれの国のシンボルを用いて、ミサをしました。私は折り鶴を使って千羽鶴の話をし、アジアの平和のために祈りました。インドネシア人の神父パウロのお父さんは、かつて日本軍の兵士だったそうで、現在も補償金を請求中です。日本と他のアジア諸国の過去の侵略関係、現在の経済関係を思うと,心がいたみますが、彼らは私をアジアの仲間として暖かく迎えてくれました。
 インドネシア風の食事の後、インド人シスターが大使館から借りてきたきれいな民族衣装を着、お化粧をして、インドのダンスを披露、普段とまったく違う姿にみんなびっくり仰天しました。フィリピン人のシスターは他の国の学生と共に、竹の間を跳びはねるダンスをしました。足をはさまれないように特訓したそうです。残念ながら、私たち日本人は、盆踊りも何も知らないので、かわりにラジオ体操を披露しました。あらかじめアジア人たちで練習しましたが、普通にそろって体操するだけで、大受けするのです。ヨーロッパにもアメリカにもアフリカにもそういう習慣がないので、物珍しいのでしょう。

(3)メソジスト教会

 CCMの中には宿舎があるのですが、私は今回ホームスティをすることにしました。第1の理由は、外国人のポルトガル語ではなく、ブラジル人の普通のポルトガル語により多く接したいと思ったこと、第2の理由は、ブラジル・メソジスト教会をより深く知りたいと思ったことです。幸いサンパウロ地区のメソジスト教会のビショップが、ブラジリアのアーザ・スル・メソジスト教会のエウレル牧師に紹介状を書いてくれました。
 5月はこのエウレル牧師宅からCCMへ通いました。6月は、同教会の信徒で、アルド・ファグンデス兄、マリア・ルイーザ姉夫妻宅にホームスティしています。アルドは20年間下院議員を務めた政治家で、軍政の時代には、議会内で反軍政のリーダーだったそうです。現在は最高軍事裁判所の裁判長です。またブラジル聖書協会の理事長、クリスチャン裁判官グループの前会長でもあります。忙しくとも信仰生活を大切にする人で、毎日曜日、朝と夜に教会へ行き、教会学校成人科の先生をしています。マリア・ルイーザは教育者で、幼稚園、小中学校、高校、大学の先生(教育学)までしました。また世界中の教会婦人によって守られている世界祈祷日のブラジル全体の理事長であり、今年からはラテンアメリカ全体のコーディネーターです。夫妻そろってブラジル・メソジスト教界の「顔」のような存在です。
 ブラジルのメソジストたちは、かつて宣教師たちが教えた通り、今でも非常に「まじめな」生活を続けています。カトリックの人たちはフェスタでも一杯飲んですぐに踊りだしますが、それと対照的です。マリア・ルイーザは、冗談で次のように言いました。「イギリスのメソジストたちは、たばこをすって天国へ行く。ドイツのメソジストたちは、ビールを飲んで天国へ行く。アメリカのメソジストたちは、ダンスをして天国へ行く。ブラジルのメソジストたちは、たばこも吸わず、ビールも飲まず、ダンスもしないで、地獄へ行くのだ。」
 アーザ・スル・メソジスト教会で、日本語(通訳付き)と、ポルトガル語で1回ずつ説教をしました。私にはポルトガル語の方がはるかに大変なのに、彼らには日本語で説教できることの方が尊敬に値するようでした。「全部わかった。ペンテコステが一週間早くやってきた」とか「いい説教だったけど、本当に同じことを言っていたんだろうな」とか言われました。

(松本敏之)

(「ジャカランダのかおり」第7号、1994年7月)

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